53歳、乳がんで。
国民的人気漫画「ちびまる子ちゃん」などで知られる漫画家のさくらももこさんが今月15日、乳がんのため亡くなりました。53歳でした。
さくらももこさんは、静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身で、昭和59年に漫画家としてデビューしました。
昭和61年には自身の子どものころをモデルとした人気漫画「ちびまる子ちゃん」の連載がスタートし、平成2年には民放でテレビアニメ化され、30年近くたった今も続く国民的な人気番組となりました。
アニメのエンディングテーマ曲の「おどるポンポコリン」はさくらさんも作詞を担当し、耳に残る印象的な歌詞などが話題となって大ヒット曲となりました。
その後、自身の体験をつづった「もものかんづめ」や「さるのこしかけ」などのエッセイもベストセラーとなったほか、独特のキャラクターが登場するギャグ漫画「コジコジ」もテレビアニメ化されました。
さくらさんの事務所によりますと、さくらさんは今月15日、乳がんのため亡くなったということです。
さくらさんの事務所は、平成26年にデビュー30周年を迎えた際のさくらさんのコメントを改めて発表し、「30年間、良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」とファンや関係者に対して感謝の気持ちを伝えています。
事務所のブログが伝える
さくらももこさんのオフィシャルブログには、「さくらプロダクションからのお知らせです。」というタイトルで、次のような書き込みがありました。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。
昭和59年に漫画家デビュー
さくらももこさんは静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身で、昭和59年に漫画家としてデビューし、昭和61年に代表作「ちびまる子ちゃん」の連載がスタートしました。
「ちびまる子ちゃん」は、さくらさん自身の子どものころがモデルとなっていて、平成2年には民放でテレビアニメ化され、国民的な人気番組となりました。
出版社によりますと、さくらさんは漫画のほかにもエッセイの「もものかんづめ」がミリオンセラーとなったほか、作詞家などとしても幅広く活動していました。
さくらさんの事務所によりますと、平成26年にデビュー30周年を迎えた際、さくらさんは「30年間、良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」というコメントを出していました。
「ちびまる子ちゃん」は今も、不定期で連載
出版社の集英社によりますと、さくらももこさんの代表作である「ちびまる子ちゃん」は、昭和61年に漫画雑誌「りぼん」で連載が始まりました。
30年余りたった今も、不定期で連載が続いていて、物語として完結はしていなかったということです。
また、さくらももこさんの漫画家としてのデビューは、「ちびまる子ちゃん」の連載が始まる2年前の昭和59年で、「教えてやるんだありがたく思え!」というタイトルの漫画だったといことです。
テレビアニメは30年近く続く
フジテレビによりますと、テレビアニメの「ちびまる子ちゃん」は平成2年1月に放送が始まり、現在まで30年近く続いているということです。
フジテレビは、次回放送予定の来月2日も以降も、放送を続けていくとしています。
「りぼん」編集長「ご冥福をお祈りいたします」
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、人気漫画「ちびまる子ちゃん」を連載していた集英社の「りぼん」の相田聡一編集長は、「心よりお悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。このたびの早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありませんが、まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子供から大人まで、読者の皆様の心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」というコメントを出しました。
TARAKOさん「早すぎます」
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、アニメの「ちびまる子ちゃん」の声優、TARAKOさんは「『ご冥福を』とか言えないです。頭の中がぐちゃぐちゃです。早すぎます。今はただ先生の分身でもある小学三年生の子に、嘘(うそ)のない命を吹き込み続けることしかできないです。ももこ先生は『ありがとう』しかない恩人です」というコメントを出しました。
JR静岡駅前では悲しみの声
さくらももこさんは、静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身です。JR静岡駅前では悲しみの声が聞かれました。
親戚がさくらももこさんと同級生だという男性は、「親しみをもって見ていました。清水を代表する人なので、突然の知らせに驚いています」と話していました。
また、さくらももこさんと同じ短期大学を卒業したという女性は、「亡くなったということはインターネットのニュースで知り、驚いています。出身の短期大学が一緒で、漫画もよく読んでいました。年齢もまだ若く、海外でも人気があったので、まだまだ活躍してほしかったです」と話していました。
ネット上では突然の死を悼む声
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、ネット上では、突然の死を悼む声が相次いでいます。
このうちツイッターでは、「今年いろんな方が亡くなられたけど、一番衝撃的。ご冥福をお祈りいたします」といった声や、「早すぎます。ビックリです。大好きでした」といった声など、突然の死に衝撃を受けたという投稿が相次いでいます。
また、「自分はコジコジも好きなのよ。もちろんちびまる子ちゃんはうちの娘も大好きだし本当に悲しい。さくらももこさん天国でもずっと書き続けて下さいね」などと「ちびまる子ちゃん」以外の作品やエッセイに触れ、惜しむ声も相次いでいます。
情報源:漫画家 さくらももこさん死去 「ちびまる子ちゃん」の作者 | NHKニュース
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)
これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。
「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)
作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。
これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。
なお、通夜・告別式は、ご遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われました。
さくらプロダクションスタッフ一同
平成30年8月27日
情報源:さくらももこ 公式ブログ – さくらプロダクションからお知らせです。 – Powered by LINE
「ちびまる子ちゃん」の原作者であり、幅広い執筆活動の他、多方面でご活躍されました、さくらももこさんが2018年8月15日ご逝去されました。
生前のご貢献に深く感謝申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2018年8月27日
株式会社集英社
りぼん編集部さくらももこ先生の突然のご訃報に際し、心よりお悔やみを申し上げると共にご冥福をお祈りいたします。
「りぼん」1986年8月号より連載開始した「ちびまる子ちゃん」は、たぐいまれなギャグセンスと、親近感あふれる登場人物、そして彼らへ注がれる眼差しの温かさが魅力で、瞬く間に一雑誌の枠を越える大人気作品となりました。その誕生の舞台となったことは、編集部の大きな喜びです。
このたびの早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありませんが、まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子供から大人まで、読者の皆様の心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。
さくらももこ先生、ありがとうございました。
りぼん編集長
相田聡一
情報源:さくらももこさんご逝去の報
さくらももこさんご逝去の報
「ちびまる子ちゃん」の原作者であり、幅広い執筆活動の他、多方面でご活躍されました、
さくらももこさんが2018年8月15日ご逝去されました。
生前のご貢献に深く感謝申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。ここに追悼の意を表し、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
2018年8月27日
株式会社フジテレビジョン
情報源:ちびまる子ちゃん – フジテレビ
【さくらももこさんご逝去の報】「ちびまる子ちゃん」の原作者であり、幅広い執筆活動の他、多方面でご活躍されました、さくらももこさんが2018年8月15日ご逝去されました。生前のご貢献に深く感謝申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 2018年8月27日 株式会社集英社 りぼん編集部
— りぼん編集部 (@ribon_comic) August 27, 2018
ご冥福をお祈りいたします