加藤一二三九段
2022年1月21日 13時00分
プロ将棋で元名人の加藤一二三・九段は、厳しい勝負の世界に生きるなか、30歳でキリスト教の洗礼を受けました。それから半世紀。加藤さんを支えた信仰について聞きました。77歳で引退したとき、神さまから受け取ったメッセージとは。(聞き手・西田健作)
略歴
かとう・ひふみ 1954年に当時の史上最年少記録となる14歳7カ月で四段に昇段してプロ棋士に。名人位などタイトル獲得は通算8期。2017年6月20日に引退するまで62年、プロの世界で活躍した。一方、1970年に洗礼を受け、信仰生活は50年を超える。86年にはバチカンから「聖シルベストロ教皇騎士団勲章」を授与されている。愛称は「ひふみん」。――「神武以来(じんむこのかた)の天才」といわれ、若い頃から将棋界で活躍してきた加藤さんが、1970年に30歳でキリスト教の洗礼を受けたのはどうしてですか。
前の年に、大山康晴十段に挑戦して大きなタイトルだった「十段」を取ったのですが、防衛戦で大山名人に負けたんです。そのころから将棋に行き詰まるようになりました。キリスト教の本を読んでいたので、洗礼を受け、神の助けを借りることで、行き詰まった状態から飛躍できると確信したんです。以後、控えめに言っても800回は将棋に勝っています。正確に数えたら850ぐらいかもしれません。
――加藤さんは近著「だから私は、神を信じる」(日本キリスト教団出版局)に、対局の前日には長い時間をかけてお祈りをすると書いています。対局前に初めて祈ったのは1972年の米長邦雄さんとのA級順位戦だったそうですね。
杉並区(東京)のカトリック下井草(しもいぐさ)教会で祈ったんです。そうしたら、明くる日の対局は素晴らしい出来栄えで勝ったんですよ。翌年には、カトリック吉祥寺教会で「ゆるしの秘跡」(自分が犯したことをイエス・キリストの代理人である司祭に告白し、神さまのゆるしを乞う儀式)にあずかって、翌日に有吉道夫さんとA級順位戦で戦ったら素晴らしい将棋を指すことができました。
――でも、お祈りするとき、「将棋に勝たせてください」とは決して言わないそうですね。
実は「勝たせてください」と祈ったこともあったんです。けれども、そう祈るとかえってそれがプレッシャーになって良くないんですよ。「十分に力を尽くして戦わせてください」と祈ると勝てることがある。棋士はよく「精いっぱい戦います」といいますが、それは「勝ちたいです」って言っているのと同じなんです。ただ、そう言うとかえってプレッシャーになるから「精いっぱい戦います」と言うんです。力が入りすぎるんでしょうね。
――対局前日にお祈りするのは心を静めるためですか。
前の日は、自宅にいて、妻が夕食を作っていて、私が将棋の研究を少しして、お祈りをして、好きな音楽を聴く。それで次の日の対局に臨むとよく勝てるんです。将棋に限りませんが、仕事というのは時間の使いかたが大事ですよね。
――バチカン(ローマ・カトリック教会の総本山)に9回も行ったことがあるそうですね。歴代の教皇は、加藤さんにとってどんな存在でしょうか。
何と言いましてもイエス・キリストの後継者です。ヨハネ・パウロ2世(2代前の教皇)には、サン・ピエトロ広場でお目にかかった思い出があります。間近に座っていらっしゃったから、写真を撮るたびに「ビバ、パパ!」「ビバ、パパ!」(教皇万歳)と叫んだんです。そうしたら、私だけに手を振ってくださいました。
1982年にはマキシミリアノ・コルベ神父の列聖式(福者を聖人に加える式典)に参列しました。コルベ神父はポーランド人で、(昭和の初めに)長崎で宣教に励みました。帰国後、アウシュビッツで死刑宣告された人の身代わりになって殉教された方です。その時はバチカンの広場に世界中から30万人もの人が集まりました。列聖式は10月10日にあり、その年の7月31日に何と私は名人になっているんですよ。気分よく列聖式に行ったってことですね。
――研究で使っている将棋の駒を、ヨハネ・パウロ2世に祝福してもらったこともあるそうですね。
カトリックの世界では、自分の仕事で使っている道具を教皇様に祝福してもらうという習慣があります。例えば大工さんだったら、のみやかんなを祈ってもらったりするんです。立派な盛り上げ駒(文字が浮かび上がった駒)を持っていき、聖人のヨハネ・パウロ2世が目の前で祈ってくださいました。これには値がつけられません。
――1986年には聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受けられています。加藤さんが好きなモーツァルトもバチカンから勲章をもらっていますね。
声楽の錦織健さんにこう言われたことがあります。モーツァルトと私には三つの共通点があると。一つ目は天才と言われていること。二つ目は名曲(名局)の数々を残していること。三つ目はモーツァルトも私も駆け引きのない人生だと。そうなんですよ。私の人生に駆け引きなんてないんですよ。錦織さんはそれをほめてくれました。
それと、私は将棋の天才と言われているけれど、将棋の次に結構自信があるのが歌です。「帰れソレントへ」「ラブ・ストーリーは突然に」。どれもなかなかいい曲ですよ。何かの拍子でNHKの紅白歌合戦に出る可能性はゼロではないと思っています。
――将棋の次に歌なんですね。
将棋ファンに言います。将棋は一生楽しい。でも、できたら音楽も好きになってほしい。そうしたら将棋も強くなる。だって音楽は感動だもの。将棋も感動がなければ強くなれないよって。音楽と将棋の共通点は次々と景色が変わっていくこと。しかも緊張感がある。展開するメロディーが美しい。映画や美術が好きな人もいると思いますが、はっきりいって音楽が一番将棋と似ていると思います。
――ご自身ほど将棋の研究に時間を割いた棋士はいないと自負されているそうですね。
今までは羽生善治さんだと思っていたの。でも最近気付いたんです。私は公式戦を2505局戦って、1324勝しています。そうしますと、どうみても、私が研究ナンバーワンですよ。研究をしないで盤の前に座ったことは1回もないですもん。これで負けたら引退という対局の時には2週間ホテルに泊まり込んで研究しました。でも、それでも負けたんです。負けたときに心の中で言いました。「神様、分かりました。引退と言うことですね」と。
――2017年に引退されましたが、その直前にも神さまの啓示があったんですよね。
77歳で現役を引退したのですが、引退が決まる対局の直前のゆるしの秘跡でのことです。四谷の教会で神父に「あなたは仕事をするのが嫌いですか」と聞かれたんです。「仕事をするのは好きです」と答えると、「では、仕事をしなさい」と言われました。
――引退直前なのに。
告悔の場で、イエス・キリストの承認のもとに神父がおっしゃった言葉ですから、これ以上確実な言葉はありません。天才少年の藤井聡太さんの活躍で、私のところにコメントを求める電話がかかってくるようになり、それがヤフーニュースに出るようになりました。洗礼を受けていなかったら、行き詰まり、よく頑張っても60歳で引退してますね。今のようにクラシックの名曲を歌うことも、藤井聡太さんの魅力をしゃべることもできなかったと思います。
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「バチカンと日本 100年プロジェクト」
加藤さんは「バチカンと日本 100年プロジェクト」(主催・公益財団法人角川文化振興財団、共催・朝日新聞社)を応援するアンバサダーに就任。バチカンにある日本関連文書の調査研究活動を進める同プロジェクトへのクラウドファンディングを呼びかけている。加藤さんの講演は同プロジェクトの公式YouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCf6pYfw9yM0J_IIW_WO3-cw別ウインドウで開きます)で見ることができる。
情報源:加藤一二三さん、勝負と信仰を語る 引退直前に神の啓示:朝日新聞デジタル
村)「立派な盛り上げ駒を持っていき、聖人のヨハネ・パウロ2世が目の前で祈ってくださいました。これには値がつけられません」「錦織健さんにこう言われたことがあります。モーツァルトと私には三つの共通点があると」
加藤一二三さん、勝負と信仰を語る 引退直前に神の啓示https://t.co/jAt8hKKpLV— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) January 21, 2022
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