中原誠名人を激闘の末に破り、名人の座に就いた加藤一二三さん(右)。初めての名人戦挑戦から22年の月日が流れていた=1982年、東京都渋谷区

(人生の贈りもの)わたしの半生 将棋棋士・加藤一二三:6 76歳:朝日新聞デジタル

6/全9回


2016年11月21日 16時30分

中原誠名人を激闘の末に破り、名人の座に就いた加藤一二三さん(右)。初めての名人戦挑戦から22年の月日が流れていた=1982年、東京都渋谷区
中原誠名人を激闘の末に破り、名人の座に就いた加藤一二三さん(右)。初めての名人戦挑戦から22年の月日が流れていた=1982年、東京都渋谷区

■もつれて10局目、中原名人破った

――改めて1982年の名人戦について伺います。9連覇中の中原誠名人とは2度目の名人戦でした。

以前は苦手な相手でしたけれど、だんだん勝てるようになっていました。中原さんは攻めが鋭いので、「それ以上に鋭い攻めをしよう」と心がけたのが良かった。名人戦での中原さんの強さは知っていましたが、負ける気はしませんでした。

――3勝3敗で最終局を迎えました。持将棋1回、千日手2回と「引き分け」が三つあり、10局目でした。

ここから続き

最終局は珍しく「持ち時間を残すようにしよう」と意識したんです。1日目は互角と思っていましたが、終盤で非勢に。「また、出直しだ」と思っていましたが、読んでいるうちに相手玉の詰みに気づいたのです。思わず、「あ、そっか」と声を上げました。

――1分将棋の中、劇的な勝利でした。

紙一重でしたね。負け将棋を相手のミスで勝てたのは、神様の助けだと思っています。中原さんはだいぶ悔しかったそうですが、あちらはこの後にも名人を取っている。「1回ぐらい、いいじゃないですか」と思っています。

――名人になって、何か変わりましたか。

他のタイトルの時より段違いで反響がありました。NHKのニュースでも流れましたし、取材依頼も40社以上。もし名人になっていなかったら、私の棋士としての存在価値は半分くらいになっていたでしょう。

――タイトル戦の常連だったこの時期、数々の「伝説」が生まれました。旅館の滝を止めた話は有名です。

中原さんと箱根の旅館で棋聖戦を指した時、滝の音が気になったので止めてもらいました。別のタイトル戦では、川が流れる音が気になったので、泊まる部屋を変えてもらったこともあります。棋士は常にベストコンディションを心がけないといけませんから、気になることは言うべきです。

――対局中、相手の側から盤面を眺めることもあります。

これも相手は中原さんで、王将戦です。中原さんが席を外した時、ふと思い立って反対側から盤を見てみました。すると、局面を打開する妙手がひらめいたのです。最近は、これが「ひふみんアイ」と呼ばれて定着しています。相手の立場から物事を見て考えるのは、日常生活でも基本ですよね。

――将棋会館(東京都渋谷区)での対局の時に、昼食も夕食もうな重の出前をとる習慣はこの頃からです。

若い頃はラーメンが多かったです。鍋焼きうどんも好きなのですが、熱いので、冷めるまで待っていると15分ぐらいかかる。まさか水をかけるわけにはいきませんからね。うなぎは温かいし、腹持ちもするのでこれに落ち着きました。

――いつも同じだと飽きませんか。

対局中に迷いたくないので、決めておいた方がいいんです。でも、時には考えることが面白くて、食べるのを忘れることもあります。後でおなかがすいてきて、「食べておけば良かった」と思うのですが。(聞き手・村瀬信也)=全9回

情報源:(人生の贈りもの)わたしの半生 将棋棋士・加藤一二三:6 76歳:朝日新聞デジタル



ほぉ・・・