結婚式でケーキに入刀する加藤一二三さん(左から2人目)。仲人を務めた升田幸三・実力制第四代名人(左端)夫妻とは公私にわたって交流が続いた=1960年、東京都港区

(人生の贈りもの)わたしの半生 将棋棋士・加藤一二三:5 76歳:朝日新聞デジタル

5/全9回


2016年11月18日 16時30分

結婚式でケーキに入刀する加藤一二三さん(左から2人目)。仲人を務めた升田幸三・実力制第四代名人(左端)夫妻とは公私にわたって交流が続いた=1960年、東京都港区
結婚式でケーキに入刀する加藤一二三さん(左から2人目)。仲人を務めた升田幸三・実力制第四代名人(左端)夫妻とは公私にわたって交流が続いた=1960年、東京都港区

■洗礼受け充実期へ、法王からは勲章

――1969年1月、初タイトル「十段」を獲得しましたが、12月に大山康晴名人に奪い返されました。

タイトル戦に出られなくなり、勝率も5割程度に低下。不満が残る成績が続きました。そんな時期にも目をかけてくれたのが、升田幸三先生(実力制第四代名人)です。

――独創的な序盤で知られ、50年代には当時の三つのタイトルを独占した名棋士です。どんな方でしたか。

ぶっきらぼうですけど、同じ朝日新聞の嘱託だった私は大変お世話になりました。当時は先生の誕生会などで、東京都中野区のご自宅に年4、5回伺う機会があって、私の将棋を講評してくれることもありましてね。ある日、結果が出ない私に非常に升田先生らしいアドバイスをくれたのです。

――どんな言葉ですか。

「加藤君、君の将棋は今、行き詰まっている。でも、それがいいんだ。中途半端に活躍するよりいい」と言うのです。驚きました。そして、やおら筆と色紙を取り出して揮毫(きごう)した言葉が「潜龍」。「今は潜んでいるが、いずれ空に舞って活躍できる」と励ましてくれました。ありがたかったです。その色紙は今でも大切な宝物です。

――この頃、他にも新たな心の支えを得ました。

70年のクリスマス、東京都杉並区のカトリック下井草教会で洗礼を受けました。ミッション系の学校に通っていた子どもたちと妻が先に洗礼を受けていて、ある時、教会で「次はあなたの番ですね」と神父に声をかけられたのがきっかけです。元々、クラシック音楽など西洋文化に親しみがありましたし、自然な成り行きでした。

――将棋との向き合い方は変わりましたか。

一言で言うと、吹っ切れました。それまでは対局中、自分の指し手をどう評価すれば良いのかに迷いがありましたが、「自分が精いっぱい考えた手を指せばいい」と思えるようになったんです。

――73年、名人戦で久しぶりにタイトル戦の挑戦者に。しかし、7歳下の中原誠名人に4連敗を喫しました。

中原さんは強い上に、作戦がうまかった。一時、20連敗したほど苦手にしていて、この時もやられました。でも、名人戦の後、教会に行ったところ、「いずれ名人になれる」という確信を得たのです。それは9年後に実現することになります。

――77年に二つ目のタイトル「棋王」を獲得。その後も王将、十段と立て続けにタイトルを取り、充実期を迎えます。

この頃は度々、イスラエルに巡礼に行きました。イエス様が宣教された地などをたどると、精神が活性化されるんですね。巡礼帰りでタイトルを2回取れたのもいい思い出です。

――86年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ騎士勲章を受章しました。その4年前の名人獲得が評価されました。

バチカン側から電話で受章を知らされました。現地の広場で法王と握手をした時は、感動のあまり声が出ませんでした。将棋が世界に認められて、ありがたかったです。(聞き手・村瀬信也)=全9回

情報源:(人生の贈りもの)わたしの半生 将棋棋士・加藤一二三:5 76歳:朝日新聞デジタル



ほぉ・・・