史上初の「中学生棋士」としてデビューした頃の加藤一二三さん(右)。当時の「週刊朝日」では「関西の天才少年」と紹介されていた=1954年

(人生の贈りもの)わたしの半生 将棋棋士・加藤一二三:2 76歳:朝日新聞デジタル

2/全9回


2016年11月15日 16時30分

史上初の「中学生棋士」としてデビューした頃の加藤一二三さん(右)。当時の「週刊朝日」では「関西の天才少年」と紹介されていた=1954年
史上初の「中学生棋士」としてデビューした頃の加藤一二三さん(右)。当時の「週刊朝日」では「関西の天才少年」と紹介されていた=1954年

■夢中で指すうち、中3で最年少プロ

――「一二三(ひふみ)」とは、珍しいお名前ですね。

1月1日生まれなので「一」、生まれた1940年が「皇紀2600年」なので「二」、三男なので「三」です。おじが名付けたそうですが、気に入っています。小学生の時は一時、「六さん」って呼ばれました。三つの数字を足しても掛けても6なので。

――福岡県稲築村(現・嘉麻市)のご出身です。

炭鉱がある企業城下町でした。野球が好きで、朝、小学校の授業の前に校庭でよくしていました。スターだった川上哲治(巨人)がホームランを打つたび、新聞記事を読んで喜んでいました。

――将棋はいつごろから。

小学校に入る前に覚えました。いわゆる縁台将棋で、近所の子どもたちと指していましたが、全然負けませんでした。でも、他に相手がおらず、しばらくしたらやめてしまいました。

――なぜ再開したのでしょうか。

小学校4年の時に朝日新聞で将棋の観戦記を読んだのがきっかけです。ある棋士が攻めの手を指し、相手に受ける手段がないことが説明されていました。それを読んだ時、「将棋というゲームは、素晴らしい手を指し続ければ勝てるんだ。理詰めの世界なんだ」ということに感動を覚えたのです。今度は、大人が集まって将棋を指す場に行くようになり、上達しました。

――1951年、小学6年で棋士養成機関「奨励会」に入り、大阪にあった将棋連盟の関西本部に通ってプロを目指すようになりました。どんな勉強をしたのですか。

羽生さん(善治三冠)にも「どうやって強くなったのか」と尋ねられたことがありますが、夢中で指しているうちに強くなれたのですよ。あとは、故木村義雄十四世名人が書いた定跡の本をよく読みました。盤に駒を並べなくても、読めば大体、頭に入りました。「勉強をした」という意識はあまりないですね。

――才能を感じさせる話ですね。

私が関西本部でプロから指導を受けている時に、居合わせた升田幸三八段(当時)が将棋を見て「この子、凡ならず」と言ったのをよく覚えています。その後、「おい、将棋を指そう」と誘われて、教えてもらったこともあります。当時、升田先生は既に一流棋士でしたから、「自分には見込みがあるのかな」と感じました。

――54年、中学3年の時に四段になり、プロ入りしました。14歳7カ月は当時の史上最年少記録でした。

当時は三段が少なくて、二段や初段と指すことも多かった。スムーズに四段になったと思いますが、難関を突破したという意識はあまりなかったです。

――今年、14歳2カ月の藤井聡太四段が誕生し、記録を塗り替えられました。

今は、年間で原則4人しかプロになれない三段リーグ戦があります。昔より制度が厳しく、緊張感が違います。私は57歳下の若手と戦ったことがありますが、藤井さんとは62歳違う。ぜひとも、現役のうちに公式戦で対戦したいですね。

(聞き手・村瀬信也)=全9回

情報源:(人生の贈りもの)わたしの半生 将棋棋士・加藤一二三:2 76歳:朝日新聞デジタル



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