ほぉ・・・
2020年4月1日 22時16分
亡くなった志村けんさん(享年70)と同じ東京都東村山市の出身者である将棋の清水市代女流七段(51)が1日、同郷人として故人をしのぶコメントを寄せた。
東村山が生んだもう一人のレジェンドである清水女流七段にとって、志村さんは人との橋渡し役になってくれる、かけがえのない存在だった。「偉大なる同郷の先達である志村けんさんのパワーに数え切れないほど助けていただいて参りました。対局やイベント、日本将棋連盟理事の公務で全国各地に行かせていただいております中、私の出身が東村山と聞いた途端、皆さま、朗らかに『あの有名な!?』『志村けんさん!』『東村山音頭ですね♪』と次から次によどみなくお話しされるのです。お陰様で、初対面の方々とも会話が弾みます」
実は志村さんは大の将棋ファン。伝説の番組「8時だヨ!全員集合」出演時には、待ち時間にザ・ドリフターズのメンバーと盤を囲むのが通例だった。故・いかりや長介さん、仲本工事が上級者。志村さんと加藤茶が2人に挑んでいた構図で、高木ブーは参加しなかったと生前、志村さんは2003年発行の専門誌「将棋世界」で明かしている。羽生善治九段や加藤一二三九段のファンで、2人による応酬で成立するため「コントと将棋は似ている」との言葉も残している。
東村山市が生んだスーパースターと対面を果たせなかったことが、清水女流七段にとって何よりの心残りになった。「訃報に接した瞬間、時が止まり、周りの音が途絶え、呼吸さえ忘れました。まったく読み筋にない局面が目の前に来て…禁じ手(反則)ですよ…と思ってしまいました。ぜひ一度、ご一緒するのが夢でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」。同じ故郷を持つ者として、心からの言葉で悼んだ。
◆清水 市代(しみず・いちよ)1969年1月9日、東京都東村山市生まれ。51歳。故・高柳敏夫名誉九段門下。8歳で将棋を始め、85年に女流棋士に。96年に史上初の女流4冠独占。当時は「女・羽生」のニックネームも。通算獲得タイトル43期は歴代1位。17年に女性として初めて日本将棋連盟常務理事就任。現在もトップ女流棋士として活躍を続ける。今月1日に「類いまれなる実績」を理由に史上初の女流七段に昇段。生粋の居飛車党。趣味は茶道。
情報源:東村山市出身の将棋・清水市代女流七段 同郷の志村けんさんの存在に「助けていただきました」(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース(コメント)
情報源:東村山市出身の将棋・清水市代女流七段 同郷の志村けんさんの存在に「助けていただきました」 : スポーツ報知
https://www.youtube.com/watch?v=fkdsvAbezj4&hd=1
へぇ・・・