【インタビュー】【糸谷哲郎八段】山崎さんは「クリエイター」、私は「アレンジャー」

【インタビュー】【糸谷哲郎八段】山崎さんは「クリエイター」、私は「アレンジャー」 – ライブドアニュース

ふむ・・・


2019年9月23日 20時0分

糸谷哲郎。太陽の人だ。
時には苛烈。時には陽だまり。糸谷の周りにはいつも自然と人が集まり、笑顔が生まれる。

棋士。哲学者。今期からはさらにもうひとつ、棋士会副会長という重責が加わった。
3つの顔を華麗に使いわける一方、どれだけの思慮を巡らせ覚悟を背負うのだろう。
「才能と努力」という抽象的なテーマをぶつけたとき、どんな解釈を示してくれるのだろう。

第69期大阪王将杯王将戦挑戦者決定リーグには、現在の将棋界を代表する個性豊かな7人の棋士が集結。今期、5度目の王将リーグに挑む糸谷は、「かき回し役ではダメ。そろそろ本命に」と勝負師としての顔をのぞかせる。

シリーズ第2弾は、多才で異才、30歳の頭の中をのぞいてみたい。

撮影/吉松伸太郎 取材・文/伊藤靖子(スポニチ)


2019年度も折り返し地点を過ぎました。前半は対局数が少ないですが、順位戦は1勝1敗。竜王戦はまさかの降級となりました。振り返っていただけますでしょうか。

2月から3月にかけて負けすぎて暇になってるんですけど…。今年度は勝率から言えばそんなに悪くはない。でも好調という感じではないので、王将リーグ(第69期大阪王将杯王将戦)までにどう立て直すか、どうやってもう一度ムチを入れるかという感じです。

王将リーグの開幕により、ここから怒涛の6局が待ち構えています。どんな戦略を考えていますか?

リーグの期間は1ヶ月くらいでしょうか?1ヶ月半くらいあったほうがありがたいんですけどね。対局間隔がつまると忙しさで倒れそうなので(笑)。今回は関西での対局も多そうなのでまだ良いのですが、関東遠征だと3日間(前日移動、対局日、翌日移動)も消費してしまうんですよね。

1ヶ月で6局やると、それだけで18日も消費してしまうんです。さらに他の対局や仕事もあるので、ほぼ予定が埋まることになってしまいます。そうなると、どうしてもパフォーマンスが落ちるので、できれば長いスパンのほうがありがたいです。8月くらいからリーグを開幕してもらっても構わないですよ(笑)。

いちばんキツかったのはB級1組に在籍していたときです。B級1組は10月に2局あるんですよね。2局番のときに王将リーグがかぶさってくると、さすがに体力的に死にました。でもいまの豊島(将之)名人よりは忙しくないと思うので、そんなことを言っていられないかもしれませんね(笑)。

移動は苦手ですか?

嫌いではないですけど、限度はあるかなと。1ヶ月にどのくらい移動するのかは気になります。疲労という意味では、前日に東京に入って調整するのか、関西で家からいつもどおりのルーティーンで行けるかどうかはけっこうな差があります。

※今回の王将リーグは豊島名人、久保(利明)九段、糸谷八段、藤井(聡太)七段が関西。ただし最終局は関西同士の対局であっても関東での一斉対局となる。

いま抱えている課題や改善点はどのあたりになりますか?

各予選で上のほうに行けていなくて対局が疎らなので。正直、月2の対局数は少ないですよね。対局がいちばんの勉強でもあるので、そういった意味では調整できていないなという感じはあるんです。結局「序盤が悪くても、中・終盤でどうにかしちゃう」みたいな将棋になっていて。「いまに始まったわけではなく、お前は昔からそうじゃないか」と言われればそれまでなんですが(笑)。でも、もう少しどうにかしないと現在の精密な序中盤についていけないので、そのあたりは調整したいなと思っています。

今年の王将リーグのメンバーを見渡してみて感想はいかがですか?

藤井七段が満を持して王将リーグに乗り込んできましたね。それと豊島名人がタイトルを背負って戦うので、そのふたりが注目なんでしょうね。

A級とタイトルホルダーばかりで、トップの方々の中で藤井七段がどういう戦いぶりを見せてくれるのかという。私も他人事じゃないんですけど(笑)。完全にいま他人事の体で話していました(笑)。全員「藤井七段にはそう簡単には負けられない」と思って戦うと思います。

糸谷先生ご自身はトーナメントとリーグ戦、どちらを得意とされていますか? 過去の王将リーグや順位戦での成績を見ると、リーグ戦と相性が良いように感じます。

リーグ戦のほうが戦う相手が決まっているのでやりやすいですが、短いあいだに何局も指すことになるので、一長一短です。ただしリーグ戦では、あんまり成績が飛び抜けないんですよね…。ずっとかき回す役をやっていたので、そろそろ本命になれるように頑張ります。

まもなく31歳の誕生日を迎えられます。30代に入って年齢のことを気にされる発言が増えています。疲労感や思考力などに変化はありますか?

とくに年齢がというわけではないんですけど、最近棋士会の副会長になって、忙しさは増しました。複数の仕事をいっぺんにやるときに、切り替えが遅くなった感じはあります。書類仕事と将棋の仕事、思考の切り替えが一瞬でできなくなっている。マルチタスクの速度を保つのが厳しくなっている感じがします。

仕事は意図的に増やしているんでしょうか? それとも勝手に増えていきますか?

「勝手に増えてる」と思います。あまり断らないので勝手に増えることも多いですね。とはいっても完全にNGがないわけじゃないですよ(笑)。嫌なことの範囲が狭いだけで。

「独創」というのが好き

次に「糸谷将棋」についての話をお聞かせください。糸谷先生は後手番一手損角換わり、阪田流向かい飛車など、いまのトッププロがめったに使わない戦法を好みます。どういう経緯で特殊な戦法を好むようになったのでしょうか?

(嬉しそうなトーンで)最近、羽生(善治九段)先生も一手損角換わりを指されますよね。

特殊な戦法を好む理由としては、「指していて楽しい」というところでしょうか(笑)。とくに後手番は、一般的に研究されるとまずくなる立場なんですね。それをどうにか研究で互角に持っていこうという人が多いんです。将棋ソフトではマイナス200など低い評価が出がちなんですけど、みんながそこで研究を打ち切っていて、深くは研究していないということがあります。マイナーな戦法は相手が何をやってくるか把握しづらいんですね。そういった点でも対人で有利は取れると思うんです。

強者に対しても特殊な戦術を選ばれるのはわかるのですが、一般的に弱者にもそういった戦術を選ばれるのはどうしてなんでしょうか?

「独創」というのが好きなんです。これは私しか絶対にやらないだろうという。でも最近、一手損角換わりなどを羽生先生や他の一流棋士の方々も指されることによって、自分が好んで使っていた戦術が棋界でもよく指されるようになってしまうと、どうしたらいいかわからなくなるんですよね。「羽生先生のモノマネ」をやっているように見えたら嫌ですしね(笑)。

糸谷先生の特徴として挙げられるのは「早見え・早指し」です。順位戦でも持ち時間を3時間ほど時間を残されました。素人目に見て、時間があれば確認作業にも使えますし、時間を余らせることにメリットがないように思えます。

時間を使わないメリットはテンポですよね。そして相手の時間を削ること、また終盤に時間が残ることですね。互角の局面では自分が決めたらこれでいいという感じです。もちろん確認していないわけではありません。確認してあの時間の使い方なんです。でも昔に比べれば最近は相当時間を使うようになってきたと思います。悪い局面や終盤に間を残したい局面では、意図的に時間を使わないことも多いですし、相手を焦らせる効果は早指しの勝負手のほうにあるような局面も多いです。

将棋を続けていく中では、芸術面を追い求めたり、または自分の趣味嗜好のような面も出てきてしまうと思います。しかし、竜王位を獲得された際は「芸術より勝負にシフトした」という発言もありました。いま現在は、いかがですか?

また芸術方面に戻っていると思います。自分の好きなことをやってないと続けられないですから。たまに勝ち負けを決めること、勝負自体が好きって人もいるのですが、そういう人はスゴイなと思います。私は自分の好奇心を追い求めるほうが楽しいですよね。「一手損角換わりをいつまでやんねん」とか言われますけど、やっぱり好きなんですよ。駄目な子ほど、どうにかしてあげたくなる心境のようですね(笑)。

今年AbemaTVトーナメントに出場された際に「混沌とした状況にしたいという欲求に抗えない。冗談ですが」と話されていました。ただ冗談に聞こえないぐらい、力戦や前例のない将棋が多いです。糸谷将棋からは、勝つ以上に新たな世界を覗いてみたいという欲求を感じますがいかがでしょうか?

一応冗談です(笑)。観戦するファンの好き嫌いはあると思います。でも角換わり系は好きだし、一手損するっていう発想が好きです。たぶん自分でも何度も「こんなダメな戦法はないです」って言ってると思いますけど、それでも懲りずにやってる。「お前、この前ダメな戦法だと言ってたやんけ」とか言われますけどね(笑)。同じく、新しい形や妙な手を思いついたときは、そちらに思考が引きずられることは多いですね。未知の局面のほうがやっていても観ていても楽しいと思いますので。

もちろん負けたときは、そうした奇妙な手も反省します。自分のベストを尽くして負けたのなら仕方ないですけど、やっぱり人間、ミスはあるので。

でも後手番では “パーフェクト負け”というのがありまして。自分ではほぼ完ぺきに指し切ったけど、無理がたたって負けるという将棋なら反省はしません。途中にミスがあるなら反省する意義はあるので、修正して次に臨むという感じです。

棋士の指導マニュアルを作りたい

先ほど少し触れられた棋士会副会長のお仕事についてお聞かせください。就任に至った経緯を教えてください。ご自身の立候補だったのでしょうか。それとも先輩方から推薦だったのでしょうか?

棋士会の役員は2年1期でして、2期4年やって交代という形です。今回はもうひとりの副会長の畠山(鎮八段)先生が声をかけてくださいました。関西は畠山先生、久保先生の世代から私の年までの人数が少ないんです。37、8歳の山崎(隆之八段)さん世代の棋士から、少し年齢層が跳んだ感じですね。

畠山先生から声がかかったときはどのような感じだったのでしょうか?

「はい」と答えるしかありませんでした。私が奨励会だったときに幹事だった怖い先生なので。もちろん冗談ですが(笑)。

ご自身としては、やりたいという気持ちはあったのでしょうか?

いつかは普及に携わる役にはなると思っていました。自分でもやりたいと思っていた仕事なので、声をかけていただいたことに感謝しております。

9月初旬には第66期王将戦第4局の開催地、岡山県矢掛町でチャリティーイベントが開催されました。棋士と副会長としての活動の比率はどのくらいで考えられていますか?

基本的には対局がメインですが、普及にかけるウエイトも少しずつ上げていきたいなと思っています。比率はバラバラです。普及のことだけをやっている日もありますし、以前よりは普及の比率が増えているとは思います。

将棋界全体として普及の比率を増やしていきたいというのもあります。普及のシステム自体ももっともっと改善できると思います。

棋士会の枠は超えてしまいますが、将棋の指導方法の改善は必要だと思っています。「棋士全体における普及知の共有」を目指していきたいです。将棋の世界は、とくに普及や指導のやり方に関しては、ほとんど指導のマニュアルがないんです。

指導対局のやり方というのも師匠から軽く教わるくらいで、どちらかというと「勝手に学べ」という感じです。そこは「個人主義じゃなくても良いんじゃないですか」と思うんですよね。マニュアルにして言語化していったほうが引き継ぎも簡単です。駒落ちの定跡パンフレットとかもあれば指導がやりやすいですよね。マニュアルの共有化によって、棋士個人でもイベントなども簡単に開けるようになるんじゃないでしょうか。

もちろん棋士個人の創意工夫、独自性を否定するわけではないです。マニュアルの共有で全員の指導レベルを下から底上げするイメージです。ただ独自性って基礎的な知識や方針の上に詰み上がるものだと思うんです。共通する基礎的な知識や方針がなくていきなり独自性を求めると、たいていとんでもないことになってしまいますから。

ただし、指導の面では段位者になれば個人メニューも必要です。そこまで行くと個性も出てくると思うので。私の場合、そのレベルの方には「序盤・中盤・終盤のどこに自分の弱点があるかわかるようにする」というのを課したいですね。自分の弱点を補強せずに強いところだけを伸ばし続けると、だいたいどこかで頭打ちになってしまいます。そのときに対応できるように、当人が自らの弱点を補強するために何を改善すべきかわかるようにしたいです。

自ら将棋を指す、“指す将”への普及の考え方をお伺いしましたが、“観る将”への普及はどう考えられますか?

観る方にとってわかりやすい作り方、というのも意識しないといけないと思っています。棋士は“指す将の権化”みたいな感じなので、どうしても自分自身の小さい頃、指して楽しかった風景を重ねて見てしまうんです。それだけでは問題だから、それは棋士側がやるより、観る人たちに聞いたほうがいいのかなと思います。

観る将は「将棋」というより「棋士」が好きな方が多いです。指す将は「棋力向上」を目指す。ネット上ではお互いを”ニワカ”という言葉を使って攻撃する人もいます。将棋を愛するもの同士、どうすれば歩み寄れると思いますか?

プレイヤーとウォッチャーって楽しみ方の質が違うので。お互いに反発するような風潮になってしまいますよね。ただ、たとえばプロ野球を観ていてプレイヤーでないのに、野球選手のデータを知っているだけのニワカがとか、そんなこと言う人はあまりいないように思います。

第一に数と歴史の問題だと思うんですよね。現時点ではプレイヤーの方が多くて、ウォッチャーはまだ新規ですから。だから今はイベントなども多少どちら向け、といったような形で区分されることもあると思うんですよね。とはいえ、まず観てくれる人がいない分にはどうしようもないですし。時間が解決する問題だと思います。観る人が増え、そのことに指す人が慣れることによって、ある程度解決できると思います。

今後、観る将イベントと指す将イベントを区別するなどのお考えはありますか?

現状は、どちらでも楽しめるイベントを目指しています。観る将の方も「指導対局くらいは受けられるように」と考えてくださっているような方が多いです。ルールをわかって、ある程度指せるようになりたいという方も増えています。

もちろん観るだけの楽しみ方もあるのですが、やはり簡単なルールがわかっていることはより深い理解の助けにはなります。野球をプレイしないファンでもルールや作戦は理解されている方が多いですから。盗塁やエンドランの意味が理解できるようになると、プロの選手の動きが読み解けるようになるように、将棋もどこで棋士が悩んでいるかなどをわかっていただけるかと思います。

最近の若い世代の棋士は、将棋を始めたばかりの方に対してもお教えして勝っていただく、ということもちゃんとできますので、観る将の方も体験のような形でもやっていただければありがたいですね。

「ちょっとやってみる」という点で言うと、野球よりはハードルが低いんじゃないですかね? たとえばプロ野球では、プロの方がアマチュアに指導することは禁止されていますよね。「密接指導からドラフトへ!」みたいなケースは将棋ではなかなかありませんし、ルールをほぼわからなくても、最近はきっちりお教えできる棋士が多いです。

棋士に興味がある方は安心して受けていただければなと思います(笑)。何段とかいうレベルでできなくていいので、普段観ているだけの方も、指導対局を受けてみるのも楽しいんじゃないかな、と思います。

糸谷先生といえば、後輩への面倒見がとても良いことでも知られています。以前、プロ棋士になって初の給料で奨励会員に食事をご馳走したと話されていました。普段の対局中継でも、棋士室に訪れる際には必ず手土産を持っていらっしゃる姿をよくお見かけします。そういう心遣いは師匠や先輩など、誰かの影響があったのでしょうか?

おごったエピソードは給料全額ではないですよ(笑)。同じ年くらいの奨励会員が多い中で、私がいちばん先にプロになったので「メシくらい」という感じでした。

誰かの姿を見習ったかと言われれば、やっぱり山崎さんです。山崎さんはそういう部分がすごくしっかりしていて。自分がプロで、周りが年上の奨励会員だったとしてもほとんど自分が出していたみたいです。もちろん私たち後輩世代も相当、お世話になっています。将棋も教えていただいていますし、食事などもご馳走していただいています。そういった山崎さんの隠れた部分に関しては、ご本人がシャイなのでほとんど語らないですが、好影響を受けている後輩は多いのではないかと思います。

糸谷先生はトッププロで、人間的にも成熟されています。弟子になりたいという志願者は多いと思います。川愛生女流三段のYouTubeに出演されたときには「精神的に成熟しているが自信がない。人心掌握が下手」とおっしゃっていましたが、そのようには思えません。

いえいえまだまだ未熟です(笑)。ただ、弟子についてはそろそろ自分も取るべきなのではないかなと思っています。弟子入り志願の声はいただいたことはあるのですが、師匠(森信雄七段)が元気で弟子を取っているうちは、私よりも師匠の弟子に入ったほうがいいと思ってしまい、なかなか踏ん切りがつきませんね。人生経験や、多くの弟子を指導してきた経験もあるので、私よりも師匠のほうが人の心がわかるんですよね。自分はまだ師匠よりうまく育てられないと思っています。

同じ関西所属の菅井竜也七段のように、すでにお弟子さんを取っていらっしゃる棋士もいますね。

菅井さんはすごく普及熱心ですよね。ずっと地元の岡山で、子どもたちやアマチュアの皆さんの指導に励まれているんですよ。連盟で見るときもぶつかり稽古みたいな感じで、熱血指導派です(笑)。自分の将棋を伝えるというか。そういうことが非常に重要だということがわかっていて、きちっとされていると思います。

ご自身が理想とする「弟子の育成方法」などはありますか?

弟子を取った場合、その人の個性をしっかり見たいですね。学習法も合う、合わないがあるので。その学習法を見つけることを伝え、どうにもならないことや自分でできないことを少し手伝う形が理想だと思っています。本人の長所を伸ばし、短所をフォローしてあげられるような師匠になれれば嬉しいですね。

師匠の森(信雄七段)先生も同じような感じだったのでしょうか?

師匠の考え方には「教えて伸びるものじゃない」というのがあるんだと思います。弟子の個性を矯めないというか、矯正するのではなくて個性をまっすぐ伸ばすようにして、伸びるところまで見てみようという感じです。もちろんその指導方法も、合う、合わないがあると思います。師匠の指導方法を受け継いで、より進化させて良いものにしていくことが、恩返しになると思っています。

人によって、まっすぐ伸ばすのが良い人、ビシバシやったほうがいい人、いろいろいると思いますけど、放置すると無限にサボるヤツとかいますから(笑)。あとは無限に袋小路にはまる子とかもいるんですよね。真面目な子ほど「自分はこれができない」という強迫観念に駆られてしまうんですけど、周りから見ればじつはそんなに問題ではなかったりして。そういうときにひと声かけてあげるのも重要だと思っています。

「今この子がどこで困っているのか」というのを見つけてあげられるのは「師匠スキル」であって「棋士スキル」ではないんです。単純に将棋の実力だけでなく、メンタルで迷ってる場合もあるかもしれない。そういうのを判断していかないといけないんですよね。プロ棋士が指導する場合の問題点だと思うんですけど、将棋の実力が若いうちに比較的スッと伸びた人が多いので、伸び悩んでる人の気持ちがわからないんですよね。「なんでこんなこともできないんだ」では伸びませんから(笑)。

会社員でも、たとえば営業部門だったらひたすら売り上げを伸ばす社員が出世していくので、その人が管理者になったとき「部下がなぜ売り上げが上げられないのかわからない」。それと同じような感じですね。

野球もそうかもしれないですね。日本では有名な選手が監督やコーチになりやすい。

でも、アメリカだとライセンスを取って、下から指導していって指導者としてのキャリアを積み上げていくみたいですね。そのキャリアがちゃんと監督人事に生かされるから、大選手じゃなくても名監督になれると。今の棋界にもそういうシステムが足りないかもしれないですね。

学校や塾とかで数学を教えている先生って、たいてい数学が得意だった人だと思うんです。そういう人は数学が好きでハイレベルな子を伸ばすことはできるのに、数学が苦手な子を相手にすると「どこで苦しんでるのかわからない」となってしまう。抱えている問題が見えないというのと近い感覚でしょうか。

才能という言葉は定義できない

糸谷先生が考える将棋の才能とはどんなものでしょうか? 野澤亘伸著『師弟』で、糸谷先生は「計算能力があってさらに将棋向きみたいなもの、正解の形を美しいと認識する感性、大局観が優れている。フィジカルも大事。いろんな能力が集まって、将棋に適応している部分を引っ張り出せる能力というのが才能」(原文ママ、一部抜粋)と述べられておりました。

実際にはたくさんの軸があって、どう集結しているかわからないくらいだと思うんです。人の定義する才能というのは生まれつきなものなのか、その形をやり続けた結果、その形に習熟したものなのか、という点で違いがあると思うんです。

棋士というのは、みんな小さい頃から将棋をやっていて、やり続けているうちに慣れてくる、というところがあるんですけど、その結果として「才能みたいなもの」になっています。あとは計算量ですね。

計算量…とは?

計算量とは、読みが早い。思考が早いこと。

「読み」という言葉をもう少し言語化したいです。「読みが早い」というのは「頭の中で駒を動かすスピードが速い」ということになるのでしょうか?

平たく、そういうのもあります。よく藤井七段が評価される軸ですよね。他の人よりも2手3手深く読める。

将棋の読みは樹形図で考えるとわかりやすいですけど、まず要求されるのは樹形図にどの手を浮かべるかです。ここで良い手が一発でわかれば、どんどん「1手」「1手」で行けるわけです。これなら50手先でも50手読めば大丈夫です。でも現実的にはそうならないので、「3手」「3手」くらいで読んでいきます。これで5手先を読むだけでも、すでに243手を読まなければなりません。ここで難しいのが、棋士は常に手を絞ってはいるんですが、その働きはどちらかというと、意識上ではなく局面を見たときにはすでに絞っているんです。

盤面を見たときに、可能手というのは40、50手くらいあるんですけど、棋士はその中で2、3手しか見えない。言いかえるとその2、3手に絞っている。ソフトは全部読んでいることもあるらしいですね。もう少しその局面を、意識的に切りかえて、手を探すなど広く読むと4、5手。さらにレンジを広げればより深く、読めるんですけど、全然頭の中に浮かんでこない手というのは、たいてい悪手なので問題にはされないんですが「どれが浮かんでくるか」というところが重要なんです。

それが「才能」ということでしょうか?

才能というと本題的というか「先天的」な感じがあるんですけど、自分としては後天的なもので、どんな訓練をしてきたかによって持っている才能が違う、みたいな感じです。どんな訓練をすると、どういう才能が身につくのか、”ブラックボックス”なんです。要するに、処理方法がわからない。

少し話が変わりますが、AI(人工知能)ががんの診療をすると、その診療内容がブラックボックスで人間が継承できないという話があるそうです。でも実は人間の脳もかなり複雑な処理をしているんです。人間の直感と言われるものって、ちょっとブラックボックスが入っているんですよね。「なんでこうなのはわからないけど、こうだということがわかる」ということがあり得るんです。第六感的というか。

お医者さんが画像を診て、「なんか問題があることはわかるんだけど、言語化できない」というか。無理やり、言語化することはできるんでしょうけど、余すことなく言語化しているわけではないんですね。将棋も同じで、「なんでこの手が思い浮かんだのか?」というのも、多少は言語化できたとしても、すべては説明できないんです。

人間の無意識の行動というのは、すべては語り尽くせない、すべては理由付けできないですよね。たとえば、道で倒れている人がいるときに、サッと駆け寄って助けられるということに、理由付けなんてできない。だけど、今までの人生で過ごしてきたいろいろな経験によって、それが紐づいて行動できるということだと思います。

将棋ですと、いままでの人生でどんな将棋を観てきたか、どんな人が師匠でどういう将棋を教わってきたかとか、そういう部分はわからないわけですよ。だから一概に才能といっても「ブラックボックスの結果」だったりすると思います。

「ひらめき」というのも才能の一部になりますか?

ひらめき」というのは「出力」だと思います。局面を人間の脳みその中の「才能」と言われるものの中に放り込んだら、ひらめきがアウトプットとして出てくるんですね。人間の思考の中で、文章化、言語化ができていて理論立てできる、検索できる範囲というのは、今はそこまで広くないと思うんですよね。

たとえば、暗算で世界一とかものすごく計算能力が高い人がいたとしましょう。初見で将棋を観たら40も50も手があって、その1つひとつを突き詰めていくことは、人間の能力では不可能なんです。すべての手を読んでいく能力では、棋士はその人に負けると思います。でもその40や50のうちで「この1手しかない」というのが、棋士にはパッとわかる。だから将棋の局面に対する計算能力においては、暗算世界一よりも深く読める。そういう意味では職人芸ですよね。

野球の長嶋茂雄さんも、選手に教えるとき感覚的に「スッときたのをバッといってガーンと打つんだ!」とかおっしゃったそうですけど、本人は別に隠してるわけではなく、本当にそう思っているんですよね。言語化しなくても本人は伝えているんですよね、ブラックボックスだけど。同じようなブラックボックスを共有できる人ならわかるんでしょう(笑)。

これは余談ですが、才能についての議論に関しては結局、才能という言葉の定義がちゃんとなされていないのが問題というか、できないんだと思うんですよね。よく「努力と才能」という言葉が対比語みたいに使われるので、「才能は先天的で、努力は後天的だ」みたいな考え方が強いんですよね。でも、実際はそうでもない。

計算力とかは先天的なものに基づくところも大きいけれど、やっぱり後天的な影響ももちろんあると。どれだけ練習してきたかで全然違うので。完全に先天的、完全に後天的なものってなかなかないですからね。それこそ、努力は家庭環境因子が影響するとか言われますよね。

『師弟』では、将棋の才能を感じる人の特徴として「将棋以外に何もできそうにない人。将棋に全部振っている。社会生活を営むことが危うい感じ。」(一部抜粋)だと語っていらっしゃいました。

定義はいろいろあると思いますが、私にとって将棋の才能という話だとそうなりますよね。将棋に振ってる時間の話というところも大きいんですけど、そうすると「努力」に近いですよね。山崎さんとか、努力しないタイプと思われがちなんですけど、実はめちゃくちゃやってるんです。研究会では最新形とかも指しこなしている。でも実戦になると「それでは面白くない」と言って放棄するんです(笑)。それってすごく才能を感じるんですよね。

長々と考えてきたことよりも、実戦でパッと思いつきで指して、その構想をプロレベルで戦う。逆に豊島名人が非常に深い研究を元に戦うと、すごく努力してきた跡が見えるんですよね。けど、単純に努力量の差という訳ではなくて、地の研究をそのまま使っているか否か、という話なんですよね。

改めまして、事前に伺ったアンケートでは「才能型」に山崎八段、斎藤慎太郎王座、都成竜馬五段の3名を挙げられました。

才能型には自分が持っていないものを持っていると思う人を挙げました。斎藤さんはですね、すごく将棋が綺麗なんですよね。ベタ読みというよりはスッと出てくるものに支えられているんだと思います。山崎さんは将棋が「綺麗」ではないかもしれないけど、間違いなく「拓いてる人」、つまり開拓者ですね。都成さんも同じです。

将棋が”綺麗”というのは、よく「棋譜が美しい」などとよく耳にする表現ですよね。

将棋に一本線が通っている、なども使われますよね。

豊島名人も、以前に「将棋に一本線が通った形を目指したい」という発言がありました。

豊島さんは、けっこうオーソドックスな将棋で、すぐに粘りに変えたり、勝つために力を尽くしているタイプなんですよね。そういった部分で「努力型」に分類されるかなと思います。努力型に挙げた人たちはストーリーを曲げてでも粘ったり、何がなんでも勝つ方向に持っていきたい人が多い。そういう意味では豊島名人と木村(一基)九段は同じ、近いタイプだと思います。出てくる戦法自体は違うんですけど、「努力型」という点では近いタイプだと思います。

そして山崎八段。もう糸谷先生はベタ褒めですね。「山崎さんの手は本当に才能がすごい溢れ出ている。どうして序盤でこんな構想にするのかって。空中分解しそうな将棋も多いんですけど、山崎さんの将棋が最初から最後までうまくいったときはすごく綺麗」だとニコニコ生放送の解説で話されていました。
「棋士の中だと、山崎さんのことをいちばん尊敬しているし、愛している」とまで(笑)。改めてそのすごさを教えてください。

山崎さんは形を自分で「創る」ことができるというのがいちばんのポイントですよね。一手損など特殊な戦法にかえる新手筋だけではなく、横歩取りの山崎流など、メインストリームにある戦法における新手でも何でも創る。棋士間でも、やっぱり「創る人」と「後追いする人」だと、圧倒的に誰かが創った形を深めるという後追いする人が多くて、「創る人」は少数派なんです。

でも「戦法の創造」はやっぱり限られた人にしかできない。山崎さんは、その戦法の創造ができる数少ないひとりなんです。そんな指し方あるの?というのをずっと創り続けている。そこが山崎将棋の面白いところですよね。何が出てくるかわからないビックリ箱みたいな。プロが観ても楽しめる将棋、そして誰が観てもおそらく「山崎将棋だ」というのが、一見でわかる将棋をたくさん創っている。

さらに山崎さんがスゴいのは、最新型を研究しているにも関わらず、実戦では「外す」。自分の研究すら外すという。見ていて「何のためにやっているのか」と思うんですよ。でも、そうじゃないと面白くないんでしょうね。どっちかというと遊んでるんじゃないかな。将棋をいちばん楽しんでいますよ。

しっかり研究してこれで行けると思っている局面でも「こっちのほうが面白そうだな、思いついたぞ」という感じでやってしまう。普通のいわゆる「才能がない人」がそんなことやったら全然勝てないですからね(笑)。そしてその新しい形でどうにか勝ち切ることができるのが山崎さん…でしたよね。

でした!? 過去形なんですか!?

最近だとソフトが創るし、ソフトが新しい形に対して答えを出してしまうので、だんだんとそういう行為のウエイトは下がってくるんですよね。自分が作れなくてもソフトが作ってくれるから大丈夫、というか。

一世を風靡した「藤井システム」を創った藤井猛九段も創造者側になりますよね。

藤井先生は「ハイパークリエイター」です(笑)。あとは羽生先生、(佐藤)康光(九段)先生ですね。羽生先生はどっち(創るほう、追いかけるほう)も持っておられるので。

ちなみに「羽生流」というのがないのはどうしてなんでしょうか?

たくさんありすぎる、というか羽生先生の後に定跡ができるというのが常識になってるからだと思います。

そういった意味では康光先生のほうが創造者的な感じがあります。完全なスペシャリストじゃなくて、いろんな局面でいろんな手を作ってくる、それが康光先生のスゴいところです。

でも康光先生はそれが途中からなんですよね。昔はもっと綺麗な将棋のイメージでした。逆に丸山(忠久九段)先生はひとつのもの、一手損とかを極めるタイプですよね。職人肌というか。

棋士・山崎隆之の魅力は充分伝わりましたが、人間・山崎隆之の面ではいかがでしょうか?

天真爛漫ですよね(笑)。「純粋さあふれるクリエイタータイプ」というのが想像しやすいかな。遊び心にあふれていて無邪気。何というか「才能にあふれる高校生感」がありますよね(笑)。得意分野では天才だけど、日常生活ではコイバナとか好きなのに女子とはうまくしゃべれない、みたいな。こんなこと言うと怒られますね(笑)。

そして才能型の最後に都成五段。居飛車・振り飛車どちらも自在に指しこなすオールラウンダータイプですね。糸谷先生は才能型に分類されましたが、コツコツ型というか努力型のイメージがあります。
なかなか四段に上がれなかった都成さんに糸谷先生は「お前、甘えるなよ」「がむしゃらに将棋に打ち込んでみろ」と叱咤激励したというエピソードにはグッときました。

自分も未熟なのにほかの棋士の話をするのもおこがましいですが(笑)。そのときの都成さんの問題はメンタルでした。将棋は強いんですよ、三段時代からずっと。強さはまったく問題なかったんです。だけど、勝ち切る自信がなくて負けていたように見えました。だから「やれ」と。

たまに自信に満ち溢れる“自信庫”みたいなのを持っていて、勉強もしないのにオレは強えんだ!みたいな人もいるんですけど、都成さんはそういう人ではないんです。だから、とにかくがむしゃらにやって「自分はこれだけやった、だから勝てないはずがない。これだけ勉強したオレが勝てないはずがない」という自信をつけてほしかったんですよね。

とはいえ、そんなことを言ったのは、おそらく「その人のためになれば」という思いのほかに、どこかでムカッときたのもあると思いますけど(笑)。正直、あの年(当時23、4歳)の大人が人に言われなければやらないようじゃどうしようもないだろと。10代だったら可愛いエピソードで許されると思いますけどね(笑)。

完全に「お父さん」的立場ですね(笑)。

奨励会員や棋士って、結果を出せずに病むと自分で負ける理由を作ってしまうことがあるんです。たとえば酒に逃げて「こんな駄目なことをしているから勝てないんだ」と言って、自分を納得させてしまうんです。これってすごく良くなくて。弱いから負けるのに、逃げてしまうんですよね。

「自分がこれだけダメ人間で勉強していないから勝てないのであって、自分が才能がなくて弱いわけではない」と逃げてしまう。弱くてもダメでも負けたら同じなんですけど、難しい屈折をするんです。「自分が弱い」以外の勝てない理由付けを作ってしまうんです。「じゃあ勉強しろよ」って話なんですけど。そのサイクルに入った人は抜け出すまでに時間がかかるんですよ。

時間があれば放っておくのがいちばんなんですけど、(年齢制限のある奨励会員など)時間がない人の場合は誰かが何かを言わないとダメなんですよね。

「努力型」には豊島名人、永瀬拓矢叡王、菅井七段、のお名前が挙がりました。

菅井さんは努力家の中でもスゴい。「才能型」でもあると思うので、もはやハイブリットです。振り飛車党であるということも影響してると思いますが、居飛車党よりずっと少ないので、独自の道を切り拓きやすい方ではあるんでしょうね。

永瀬さんは見てわかる通りだと思います(笑)。永瀬さんは「努力と根性」の人ですから。

この1年を振り返ってみると、努力型の方が結果を残されているように感じます。

今回挙げた努力型のほうがソフトを使った勉強に適正があると思います。ソフトの成長によって努力型の研究のウエイトが上がってきて、自分の指したい手を通すよりもソフトで研究してその手に合わせた手を指せるほうが、勝率が高くなりました。

才能型が新しい形を創ったとします。でも自分の形を切り拓いて勝てるのって1局なんですよ。初見だけ。次のときにはその形は研究され尽くしてしまうから、労力と全然見合わないんです。だったら最新形をソフトにガリガリかけて研究したほうがずっと楽なんです。自分の頭で考えて作るより。

そういった意味では、才能型には受難の時代だと思います。ただ、開拓する人間がいないと、「将棋の面白さ」というのが減るんですよ。だから、「最近はずっと角換わりばっかり」とファンから言われるんだと思います。

糸谷先生は、アンケートでご自身を「才能型」に分類されました。

そっち側なんですけど、私は創造者というより自分の得意な形をアレンジする「アレンジ型」ではあると思います。もともと変な戦法を得意として、その戦法の中でアレンジすることが多いです。

結局人間のタイプの違いという話で、「開拓する能力」と「継続し維持して発展させていく能力」って全然違うところにあるんです。そういう意味では才能と努力というのは、そこまでキッチリとは分けられないものなのかなと思います。

分類するなら「クリエイター」「アレンジャー」「フォロワー」みたいな感じでしょうか。創造する人、それをもっと使いやすくアレンジする人、それをより良い使い方をする人、みたいな。今はソフトが勝手にクリエイトしてくれるので、「人力で、自分で創るんだ」という棋士はどんどん減ってきますよね。そこで、創ることでの勝負じゃなくて、ソフトが出してきた成果物をどうやったら人間にとっていちばん使いやすくなるのか、というのを研究するアレンジャータイプが、強くなっていくんです。

もともとクリエイターは、骨折り損のくたびれ儲けじゃないですけど、あまり労力のわりに報われないタイプなんですよね。

でもファンが多いのはハイパークリエイター・藤井九段など、創造者タイプな気がします。

そうですね。クリエイタータイプにはファンが多いです。やっぱり、この戦法を強くした人より、戦法を創った人がいちばん偉いよねと崇められる傾向にありますよね。

昨年この取材をさせていただいたときのテーマは「戦国」。8つのタイトルを8人で分け合う状態でした。それが1年経たずに、現在は三冠、二冠と複数冠保持者が現れました。感覚的に、1年経って何が違うのでしょうか?

去年はバラバラだったんですけど、収れんされてきましたね。8人八冠というのは続かないので、あるべきところに集まってきたという感じです。集まっているところは完全に認められている実力者ですから。今の実力から見れば、渡辺(明)三冠、豊島名人が複数タイトルを保持していることが自然だと思います。そのふたりは誰が見ても最強の3人のうちのふたりでしょうね。

豊島名人が誕生した際に、お祝いコメントが多い中、糸谷先生の「三冠は獲りすぎだろう!もう一度、群雄割拠にしなければ」という強気の発言は注目を集めました。

大口を叩いただけだったなという認識にならないようにがんばります。

王将リーグへの参戦は初出場から連続して5期目です。昨年はプレーオフで挑戦者の座を逃してしまいました。改めて今期の意気込みをお願いします。

そろそろ上(挑戦者)に行くか、下に行く(リーグ陥落)かしろよ、と言われてしまいますね(笑)。去年があと一歩だったので、挑戦を目指して戦いたいと思います。

今回、参考にさせていただいたインタビューや書籍などのリストになります。どれも素晴らしい内容ばかりです。ぜひ合わせてご覧ください。

情報源:【インタビュー】【糸谷哲郎八段】山崎さんは「クリエイター」、私は「アレンジャー」 – ライブドアニュース




ほぉ・・・