ほぉ・・・
2019年7月20日09時30分
将棋の第90期棋聖戦五番勝負で豊島将之棋聖(29)を破り、6年ぶりに三冠に返り咲いた渡辺明三冠(35)は2年前、不調のどん底にいた。15歳でプロ棋士になり、順調にトップ棋士としての地位を確立した渡辺三冠は、何に苦しみ、何を考えていたのか。棋聖戦開幕前のインタビューで語った棋士人生についての思いなどを紹介します。
V字回復、なぜ
――2017年度は、2000年のデビュー以来、初めて負け越しました。この10年間を振り返っていただけますか。
20代後半の時に1回、三冠になって、そこが自分にとっては最初のピークでした。いちばん勝っていた実感があったのはそのころです。でも三冠は半年くらいしか維持できなかった。タイトルを少し減らし、手応えのない、よくもなく悪くもない時期が続きました。そこから「もうちょっと勝ちたいな」「伸びしろを作るためにはどうしたらいいか」と考えて、指す戦法を変えてみたり、普段の研究法を変えたのが30代に入ってから。戦法が定まっていなかった。それが2017年度あたりに悪い方に出ました。
特に後手番の勝率が結構ひどくて。明らかに損な指し方をしていました。相手の方が新しい指し方をしてきて、それを自分は否定的な目で見ていた。簡単には乗り換えられず、結局、古い指し方をやるけど負けるというのが2017年度でした。
――具体的にどういう指し方ですか。
今は金銀をバランスよく左右に配置するのが主流ですけど、昔は玉を金銀4枚でガチガチに固めて、多少ミスが出ても大丈夫というやり方でした。楽しようとしてたんです。でもその指し方がちょっと通用しなくなってきた。守りは薄くてもノーミスで乗り切るんだっていうのが今のトレンド。勝っている豊島将之名人や藤井聡太七段はそれを採り入れています。
――30代を意識したのはどうしてですか。
棋士は20代後半に一回ピークが来る人が多い。10代後半でプロになって20代前半ではまだ経験が足りない。20代後半になると経験が蓄積されてきて、知識と読みのスピードの融合が一番いい時期になります。結構知らない定跡が多くて、勉強すべきことがいっぱいある。今の若い人は違うでしょうけど、僕らは昔にさかのぼって棋譜並べをした。30歳くらいで一通り強い人の将棋を並べて、知らない定跡もなくなる。そこから同じようなことをやっていて強くなるのか、具体的なことを考えたのが30代になってからでした。
――2018年度にV字回復できたのはどうしてですか。
17年度はフォームが固まってない分、結果が出なかったんですが、負けながら考えていたことが18年度に入って成果が出始めた。成果が出始めるとフォームが固まるので迷いがなくなる。こういう戦法を指してこうやればある程度勝てるんだと。そこにいくまでが結構たいへんだった。
――人工知能(AI)の影響はあったのですか。
指し方が全然変わりました。研究にどこまで採り入れるかを含めて16年、17年あたりは試行錯誤していた。18年はそのあたりを含めてフォームが固まった。あとは細かい序盤の研究をすればいいとなった。
AIを使っての事前研究はきりがない。全部は無理なので、どこかで切り上げなきゃいけない。その切り上げ方が分かってきた感じです。序盤の研究はまったく同じ局面にならなければ無意味です。たとえば端歩が一つ違えば中央の折衝も全く違ってくるわけで、実戦で自分の研究が現れてくれないと無意味。その研究を10時間するんだったら、詰将棋を解いていた方がいいわけです。
――そんな状況を渡辺さんはどう見ていますか。
テスト勉強みたいですね。最低限、調べておくことが増えました。最新形を指そうと思ったら、AIで調べずにその場で考えるとすごく効率が悪い。最新形を指さないという選択肢はあると思いますよ。佐藤康光九段のように。強い人はそれで戦えるので、それぞれだと思います。
名人戦「縁がなかったかな」
――A級順位戦から陥落したとき、どう考えていましたか。
2年前にA級は名人挑戦の一番すら戦ったことないんです。あまり惜しくない2位や3位が多くて、そうこうしているうちに年下の佐藤天彦九段が挑戦者になった。そうなると、この棋戦には縁がなかったかなと思うようになった。名人戦に出られるなら、20代で出なきゃおかしいだろうと。30代で初挑戦できるという感じはない。それでA級から落ちてしまったので、もうだめだろうなという思いがありました。
――B級1組では全勝で復帰を決めました。
でもA級順位戦というのは自分にとって鬼門です。それでもこの先、挑戦できることがあれば、はっきり伸びしろがあったということです。20代で在籍していたころより強くなっているという確証が得られる。
――10年以上、羽生さんと森内さんが名人という時期が続きました。羽生世代のあおりということはないですか。
特に羽生さんのA級順位戦の成績がよすぎました。今でも高いですけど。悪くても7勝2敗って感じ。いいときは8勝1敗か全勝。だから自分が前半で1、2敗するともうダメみたいになって、途中から挑戦を目指すという感じじゃなくなる。結局、直接対決で負けているので、力が足りなかったということですけれども、かなりハードルは高かったとは思います。リーグ戦で8勝1敗をとるという、1年間を通しての安定感が自分にはなかった。
――ちょっと前まではタイトル保持者で最年少でしたが、いまは最年長です。
自分がタイトル戦に出るようになったころ、ずっと羽生さんを中心とする「羽生世代」がタイトルを持っていて、そこに入り込む余地はなかった。羽生さんが無冠になったことで枠が空き、いろんな棋士に出るチャンスが出てきた。昨年のタイトル保持者が8人というのがまさにその状況でした。
――藤井聡太七段が将棋界に与えた影響をどう考えていますか。
みんな尻に火が付いたんじゃないでしょうか。本来20代で活躍していると自分がいちばん年下です。自分が20代のときはだいたいそうでした。そうするとタイトル戦に出て、負けても「惜しかったね」という感じになる。でも下の10代にそんなにすごい子がいるとなったら、うかうかできない。その子が強くなるのはほぼ間違いないとなると、タイトルもA級順位戦も枠が決まっているから、自分はあと何年のうちにタイトルをとらなきゃいけないのかとなる。みんな危機感は出ますよね。
だから藤井君はあれだけ勝つんだけれど、それによってみんながやる気になって、藤井君もよりマークされる。タイトル挑戦へのハードルが高くなっているということはあると思います。
――藤井七段とのタイトル戦を戦う可能性は?
僕と羽生世代は14歳差ある。藤井君とはそれより大きい18歳差なので、ぎりぎり戦えるかどうか。10年、20年にわたって戦い続けるという年齢差じゃない。あと20年も自分はもたないし、タイトル戦で交わるところは少ないと思う。自分があと何年辛抱できるかというところですよね。
モチベーションはプライド
――渡辺さんのモチべーションは?
10代のころは、自分がタイトルを取ってお金を稼いだときに、30歳くらいから何をモチベーションに指すんだろうと思っていた。羽生さんはお金をいっぱい稼いでいるし、何がモチベーションになるのかなと。少なくともお金じゃないだろうなと。30歳になってみたらそれはプライドだった。10代のときは分からなかった。たとえば20代でタイトルを取ると、タイトル保持者という扱いを受けて、いわばちやほやされる。それが勝負の世界では、落ちると相手にされなくなる。扱いがガタっと変わる。クラスが下がったり、タイトルがなくなったりという、もともといたところから落ちていくというのが棋士にとってはつらい。そうなりたくないというのがあって、そういうプライドの部分かなというのはあります。
棋士はタイトルを何期取ったとか、棋戦優勝何回というところで評価される。やっぱり数字の部分でしか評価されないですから。引退したり、亡くなったりした後は特にそう。自分も実際、先輩の棋士をそうやって評価する。そこはこだわるところではありますね。
常にタイトルを持っているということが、最大のモチベーションです。それがゼロになったときに気持ちの部分でガタッとこないようにしたい。さすがに羽生さんの連続27年とは思わないですけど、連続保持記録が羽生さんの次くらい、2位に上がったときはうれしかったですね(注:現在は連続14年6カ月で、来年の防衛戦までに2位の大山康晴十五世名人の14年10カ月を抜くことが確定)。
――今後の目標は?
今、僕は勝てていますが、戦法が変わることで下がっていくことも当然ある。自分の棋風に流行の戦法が合うかどうかも大きい。不安は常にあります。どこかで負けが先行したときになるべく早く原因をみつけて対処できるようにしたい。
羽生さんのように30年弱もタイトル戦に出続ければいいのですが、それはちょっと難しい。僕もあと5年くらいで40代に入る。40代って大変な時期ですし、どこかで勝てなくなる時期というのは必ずくる。そこでどれくらい踏ん張れるか。そこでもう一回耐えて、45歳くらいまで頑張れれば、もう悔いはないと思います。
(取材日・2019年5月30日 構成・村上耕司)(村上耕司)
情報源:絶不調、どん底に落ちた渡辺三冠 苦渋に満ちたV字回復:朝日新聞デジタル
村)渡辺三冠のこの記事は、朝日新聞デジタルのみの記事です。主な内容はこちら↓
「初めて負け越した時のこと」
「A級順位戦から陥落したとき、考えていたこと」
「2018年度にV字回復できた理由とAIの影響」
「藤井聡太七段が将棋界に与えた影響」
「将棋を指す上でのモチべーション」— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) July 20, 2019
ふむ・・・