前にもどこかで見たような・・・
2019年3月22日11時58分
炊飯器でコメを炊く習慣がなかったインドに約30年前に参入し、一から市場をつくり上げてシェア5割と首位になったパナソニック。水も電気もない荒野で工場を立ち上げたが、売れない日々が続いた。いまは世界44カ国に輸出するハブ工場に成長。背景には、炊飯と同時に別の料理ができるトレーを開発するなど、地道な努力の積み重ねがあった。
「工業用水の井戸を2~3カ所で掘ったが、なかなか水脈に当たらなかった。飲み水は、ろかしてビール瓶に入れて飲んだが、それでもおなかを壊した」。インド在任期間が計24年となるパナソニックAPインドの麻生英範社長(59)は、南部チェンナイに赴任し、工場立ち上げに奔走した1990年当時を振り返る。
会社は同年に炊飯器の量産を開始。「カレーを食べるから炊飯器も売れるだろう、というノリだった」。日本はバブル経済が色濃い時期。ガスや薪でコメを炊くのが主流のインドで、日本の炊飯器を現地生産して売るという「前のめり」の挑戦だった。
製品には自信があったものの、まったく売れなかった。麻生さんは販売店や家庭を訪ね歩き、日本の炊飯器は「コメしか炊けない不便な道具」と思われていることがわかった。インドの家庭では、コメを炊くのと同じ鍋で肉や野菜も調理するためだ。
そこで、炊飯釜の上に野菜や肉を蒸したり煮込んだりできるトレーを開発。炊飯と別の料理を同時に作れるインド版炊飯器「エレクトリック・クッカー」を編み出した。
自動で手間がいらず、保温もできる。婦人会などに出向いて使い方を実演。試食してもらいながら、強みをアピールし続けた。インドは州ごとに言語や文化が異なるため、イスラム教徒が多い北部カシミール地域ではイスラム色の緑を配色したり、東部コルカタでは現地のギョーザ「モモ」が一緒に蒸せるトレーを開発したりするなど、地域のニーズをくみ取った。
努力と工夫を重ねていくと、次第に認知度が高まっていった。年間の生産台数は09年に50万台、11年には90万台を達成。現在は約3割をマレーシアやシンガポール、米国など44カ国に輸出する。昨年8月からは、小型炊飯器(約6900円)を日本に輸出し始めた。スイッチを押すだけの簡単なつくりで、お年寄りや一人暮らしの学生らに人気だという。
ただ、インドの炊飯器市場では最近、中国製の安い製品が流入し、価格では勝ち目がない。麻生さんは「粗悪品も多く、自社製の品質の良さをどうわかってもらうかが課題だ」という。
有望とされる13億人の巨大市場のインドには日系企業が増えているが、進出後に撤退した企業は少なくない。東京外語大インド・パキスタン語学科の学生時代に現地を旅して回った経験もあり、両国の違いを理解しているつもりだった麻生さん。それでも「日本人と正反対」と思えるようなインド人と働くことに悩んだ時期があったという。
従業員同士の不仲が問題になった時、調べてみるとインド人の上司が自分より下位カーストだったために指示に従わなかったことがあった。「日本式を押し通すのは、野球のルールでサッカーをするようなもの」という。「彼らの柔軟性や論理的な思考、語学能力には感嘆した。これを理解するとインド人を尊敬できるようになり、彼らも私を尊重してくれた」と話す。「交渉力があって逆境に強いインド人と、細やかでチームワークの良い日本人がタッグを組めば最強だ」
長女が生まれた直後に始まった単身赴任生活だが、麻生さんは今年、定年を迎える。「予測不能なことが次々と起こるインドでは、事業を続ける強い情熱があるかないかが成否を決める。拙速に成功するより、地道に続けていくことが大切だ」(チェンナイ=奈良部健)
情報源:カレーの国に炊飯器を インドで挑戦 普及へ30年:朝日新聞デジタル
NHKか。