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「仁徳天皇陵」として管理され、「大山古墳」とも呼ばれる国内最大の前方後円墳で、宮内庁が地元の大阪 堺市と共同調査を行った結果、墳丘を取り囲む堤の部分から、築造当時のものとみられる一列に並べられた埴輪や石が敷き詰められた跡が見つかりました。
この調査は、宮内庁が今後の保全整備に向けて、古墳がある大阪 堺市と先月下旬から行っているものです。
天皇などが葬られたとして宮内庁が管理している陵墓は「静安と尊厳の保持が重要」だとして、外部の立ち入りなどが厳しく制限されていますが、初めて共同調査として行われました。
調査は墳丘を3重に取り囲む濠と濠の間にある2つの堤のうち、内側にある堤の3か所を掘り下げて行われました。その結果、いずれの場所でも、堤の外側の部分で、筒の形をした円筒埴輪などが濠に沿うように一列に並べられていた様子が確認されました。
また、近くには人間の拳ほどの大きさの石が敷き詰められた石敷きが見つかりました。いずれも5世紀に古墳が造られた当時のものと考えられ、埴輪を一定の深さまで埋めたあと、その周りに石を敷き詰めた跡と考えられるということです。石敷きは周辺のほかの古墳では見つかっていないということです。
宮内庁の徳田誠志陵墓調査官は「出土した埴輪などからは、古墳が造られた時期など、これまでの見解を大きく変えるような特徴は見つかっていないが、ほかの古墳でも同じような石敷きの例がないかなど確認を進めていきたい」と話しています。
共同調査は来月上旬まで行われ、調査の結果は報告書としてまとめられるということです。
甲子園球場12個分の広さ
宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理している古墳は大阪 堺市にある国内最大の前方後円墳で、古墳がある場所の地名や古文書の表記から「大山古墳」や「大仙陵古墳」などとも呼ばれています。
5世紀に造られたと考えられ、鍵穴の形をした墳丘の長さは486メートル、周囲を3重に取り囲む濠を含めた面積はおよそ47万平方メートルで、甲子園球場12個分の広さです。
古墳を造るには1日に2000人が働いても15年以上かかったという試算もあります。
周辺には多くの古墳があり「百舌鳥・古市古墳群」として、国はユネスコの世界文化遺産への登録を目指しています。
確認されたものは
今回の共同調査は、鍵穴の形をした墳丘を3重に取り囲む濠と濠の間にある2つの堤のうち、「第1堤」と呼ばれる内側の堤で行われています。
堤の南東部の3か所に、幅2メートル、長さ28メートルから31メートルの調査用の穴が掘られました。
その結果、調査用の穴の3か所すべてで、堤の外側の濠に沿うように埴輪が一列に並べられた様子が確認されました。
埴輪は直径35センチほどの円筒埴輪などで、宮内庁は堤を一周する埴輪の列があったと見ています。聖なる世界と外の世界を分けることや神聖な部分を守る目的で、埴輪が並べられていたのではないかということです。
今回の調査では、このほかにも朝顔の形をした埴輪の破片などが見つかりましたが、宮内庁はいずれも古墳が造られた当時のものと見て、築造年代などについて従来の見解を大きく変えるような状況は確認されていないとしています。
立ち入り制限も保全目的で調査
天皇や皇后、皇族が埋葬されているとして、宮内庁が管理している陵墓は「静安と尊厳を保つ必要がある」として、外部の研究者などの立ち入りが厳しく制限されています。
これに対して、歴史学や考古学の研究者の団体は、陵墓が持つ文化財としての価値を訴えて公開を求め、平成20年からは年に1か所から2か所、研究者の立ち入りが行われるようになりましたが、土器などの採集や測量は認められていません。
今回の「仁徳天皇陵」での調査は、濠の水の影響で浸食が進む墳丘の保全が目的で、宮内庁は調査の質を高めるため、初めて地元・堺市との共同調査に踏み切りました。
付近の古墳などでの調査経験が豊富な堺市の学芸員1人が、連日現場に入りました。宮内庁の徳田誠志陵墓調査官は「出土した石が地元のものかどうかなど、具体的な意見をその場でもらっている。現場の調査だけでなく、今後の報告書の作成を含めて地元の協力を得られる意義は大きい」と話し、今後も堺市と共同で堤の調査を続けたい考えを示しています。
専門家「状態よく驚き」
古墳の共同調査が進められている現場には、考古学や歴史学に関する16の団体の40人余りの研究者も入り、およそ1時間半ほど見学しました。
見学のあと、日本考古学協会の杉井健理事は「堤の上の面が非常によい状態で残されていることに驚きました。列になって見つかった埴輪は、装飾や墳丘を守る意味があったのかもしれません。今後も共同調査を続けてもらい、市民向けの映像報告会など、調査結果の伝え方も工夫して行ってほしい」と話していました。
情報源:「仁徳天皇陵」共同調査 埴輪や石敷き見つかる | NHKニュース
へぇ・・・