73年か・・・
人類史上初めて原子爆弾が投下されて73年。広島は8月6日のきょう『原爆の日』を迎えました。広島市の平和記念式典の会場からお伝えします。
8月6日、原爆の日の朝を迎えた広島市の平和公園です。
この後、午前8時から行われる平和記念式典には安倍総理をはじめ、世界85カ国の代表などおよそ5万人が参加する予定です。
こちらの原爆慰霊碑には夜が明けきらぬうちから絶え間なく多くの人が訪れ、犠牲者に祈りを捧げています。
【慰霊碑参拝者】
「当然、(慰霊碑の)中には親父もお袋も入っていますから。あっという間に73年過ぎたんかな、という感じはあります。被爆した人間は日々の生活の中で苦しんでいますからね」式典では松井一実広島市長が平和宣言で被爆者の思いを盛り込んだ核兵器廃絶のメッセージを世界に発信します。
原爆が投下された午前8時15分には黙とうが捧げられ、広島は深い祈りに包まれます。
情報源:被爆73年の朝 広島・きょう原爆の日(テレビ新広島) – Yahoo!ニュース
情報源:被爆73年の朝 広島・きょう原爆の日 | 広島ニュースTSS | TSSテレビ新広島
広島に原爆が投下されてから6日で73年です。世界の核軍縮の進め方をめぐっては、核保有国を中心とした国々と非核保有国との対立が激しくなっていて、被爆地・広島は、原爆の犠牲者を追悼するとともに、核兵器のない世界に向けた訴えを改めて国内外に発信することにしています。
原爆が投下されてから73年となった広島市の平和公園には、夜明け前から被爆者や原爆で亡くなった人の遺族などが訪れ、追悼の祈りをささげています。
生後11か月のとき、爆心地から2.5キロの母親の実家で被爆したという広島市の73歳の男性は「きょうは、慰霊碑に眠る両親に手を合わせに来ました。また悲惨なことが起きた日が来たと暗い気持ちになります。体が動くうちは、何歳になってもこの場所で祈り続けたいと思っています」と話していました。
また、母親など親族3人が被爆した広島市の82歳の男性は、原爆ドームに向かって手を合わせたあと、「当時、私は疎開していて無事でしたが、友達の父親がこの原爆ドームの中で亡くなりました。原爆が落ちたあと、市内に戻った時には一面が焼け野原でひどい状況でした。よくあの焼け野原からここまで復興してきたと思う。世界中で戦争が起きているが、日本は絶対に巻き込まれてほしくない。戦争はいけない。これからも平和が続くことを願っています」と話していました。
6日の平和記念式典は、安倍総理大臣や85の国の代表らが参列し、午前8時から始まります。
式典では、この1年に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、5393人の名前が書き加えられた31万4118人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められます。そして、原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうをささげます。
世界の核軍縮をめぐっては、去年、国連で核兵器禁止条約が採択され、反対する核保有国や核の傘のもとにある国と、非核保有国との対立が激しくなっています。
さらに、アメリカのトランプ政権がことし2月、核戦力の近代化を進める新たな核戦略を打ち出すなど、核兵器廃絶への道筋は今も見いだすことができていません。
広島市の松井一実市長は平和宣言の中で「世界では自国第一主義が台頭し核兵器の近代化が進められている」としたうえで、日本政府に対し、「国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たすことを求める」と訴えることにしています。
原爆が投下されてから73年となる6日、被爆地・広島は、原爆の犠牲者を追悼するとともに、核兵器廃絶に向けた訴えを改めて国内外に発信することにしています。
情報源:広島 原爆投下から73年 核兵器廃絶に向けた訴えを発信へ | NHKニュース
広島に原爆が投下されてから、きょうで73年です。
世界の核軍縮の進め方を巡っては核保有国を中心とした国々と非核保有国との対立が激しくなっていて、被爆地・広島は、原爆の犠牲者を追悼するとともに核兵器のない世界に向けた訴えを改めて国内外に発信することにしています。
原爆投下から73年となった広島市の平和公園には夜明け前から被爆者や原爆で亡くなった人の遺族などが訪れ追悼の祈りをささげています。
生後11か月のとき、爆心地から2.5キロの母親の実家で被爆したという広島市の73歳の男性は、「きょうは、慰霊碑に眠る両親に手を合わせに来ました。また悲惨なことが起きた日が来たと暗い気持ちになります。体が動くうちは、何歳になってもこの場所で祈り続けたいと思っています」と話していました。また、母親など親族3人が被爆した広島市の82歳の男性は、原爆ドームに向かって手を合わせたあと、「当時、私は疎開していて無事でしたが、友だちの父親がこの原爆ドームの中で亡くなりました。原爆が落ちたあと、市内に戻った時には、一面が焼け野原でひどい状況でした。よくあの焼け野原からここまで復興してきたと思う。世界中で戦争が起きているが、日本は絶対に巻き込まれて欲しくない。戦争はいけない。これからも平和が続くことを願っています」と話していました。
平和記念式典は、安倍総理大臣や85の国の代表らが参列し、午前8時から始まります。
式典では、この1年に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、5393人の名前が書き加えられた31万4118人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められます。
そして、原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうを捧げます。
世界の核軍縮を巡っては、去年、国連で核兵器禁止条約が採択され、反対する核保有国や核の傘のもとにある国と、非核保有国との対立が激しくなっています。
さらに、アメリカのトランプ政権がことし2月、核戦力の近代化を進める新たな核戦略を打ち出すなど、核兵器廃絶への道筋はいまも見いだすことができていません。
広島市の松井一実市長は平和宣言の中で、「世界では自国第一主義が台頭し核兵器の近代化が進められている」とした上で、日本政府に対し、「国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たすことを求める」と訴えることにしています。
原爆投下から73年となるきょう被爆地・広島は原爆の犠牲者を追悼するとともに核兵器廃絶に向けた訴えを改めて国内外に発信することにしています。
情報源:広島 原爆の日 早朝から祈り|NHK 広島のニュース
広島に原爆が投下されてから6日で73年になります。広島市の松井一実市長は平和記念式典で政府に対し、「国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、役割を果たすことを求める」と訴えました。
広島市の平和公園で行われた式典には、85か国の代表を含むおよそ5万人が参列し、5393人が新たに加えられた31万4118人の原爆死没者名簿が慰霊碑に納められました。
そして、原爆が投下された午前8時15分に全員で黙とうをささげました。
核保有国を中心とした国々と非核保有国との対立が続き、アメリカとロシアが核戦力の強化を打ち出すなど、核兵器廃絶への道筋はいまも見いだすことができていません。
「平和宣言」で、広島市の松井一実市長は「世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められている」としたうえで、政府に対し、「国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、役割を果たすことを求める」と訴えました。
これに対し、安倍総理大臣は「核軍縮の進め方について各国の考え方の違いが顕在化している」としたうえで、「核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要で、わが国は非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意です」と述べました。
原爆投下から73年となる広島では、きょう1日、犠牲者の追悼と、核兵器のない世界の実現に向けた発進が続きます。
情報源:平和記念式典 広島市長「核兵器ない世界実現へ政府は役割を」 | NHKニュース
73年前、きょうと同じ月曜日の朝。
広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光(せんこう)。セ氏100万度を超える火の玉からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。「熱いよう! 痛いよう!」つぶれた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。「水を、水を下さい!」息絶え絶えのうめき声、うなり声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身をむしばみ続け、今なお苦悩の根源となっています。
世界にいまだ1万4000発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器がさく裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。
被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃虚と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。
昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。
同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う」。人類は歴史を忘れ、あるいは直視することをやめたとき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。核兵器の廃絶に向けた取り組みが、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって「継続」するようにしなければなりません。
核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核拡散防止条約)に義務付けられた核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取り組みを進めていただきたい。
私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の7600を超える都市で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。
日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者のみ霊に衷心より哀悼の誠をささげ、被爆地長崎、そして世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。
情報源:広島平和宣言(全文)=原爆忌(時事通信) – Yahoo!ニュース
安倍晋三首相は6日午前、広島市で開かれた平和記念式典でのあいさつで、「『核兵器のない世界』の実現に向け、粘り強く努力を重ねていく」と強調した。
核兵器保有国と非保有国の協力を求め、「わが国は双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意だ」と訴えた。
一方、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約には触れず、「近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化している」と述べるにとどめた。日本は核兵器保有国とともに同条約に参加せず、昨年のあいさつでも言及しなかった。
核拡散防止条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議に関しては「意義あるものとなるよう、積極的に貢献していく」と表明。非核三原則を堅持する考えを示した。
情報源:「核兵器ない世界」主導=禁止条約に触れず―安倍首相・広島原爆忌(時事通信) – Yahoo!ニュース
情報源:「核兵器ない世界」主導=禁止条約に触れず-安倍首相・広島原爆忌:時事ドットコム
広島市で開かれた平和記念式典での安倍晋三首相のあいさつ全文は次の通り。
1発の原子爆弾が、街を一瞬にして破壊し、十数万ともいわれる貴い命を奪いました。あれから73年、一命を取りとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。
原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々のみ霊に対し、謹んで、哀悼の誠をささげます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けて、粘り強く努力を重ねていくこと。それは、わが国の使命です。
近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。
真に「核兵器のない世界」を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。わが国は、非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意です。
その具体的な取り組みとして昨年、核軍縮に関する「賢人会議」を、ここ広島で開催しました。
「賢人会議」を通じて有識者の知見も得ながら、核拡散防止条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
また、その非人道性を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがわれわれにはあります。
若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。
政府として、そうした取り組みをしっかりと推し進めてまいります。
被爆者の方々への援護施策については、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆さま、ならびに参列者、広島市民の皆さまのご平安を祈念いたしまして、私のあいさつといたします。
情報源:安倍首相あいさつ全文=広島原爆忌(時事通信) – Yahoo!ニュース
原爆投下から73年を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園には未明から被爆者や遺族らが訪れ、原爆死没者慰霊碑前で犠牲者に祈りをささげた。
「核兵器は存在すべきではない。早く禁止を」。被爆者の高齢化が進む中、多くの人が記憶の継承と平和の実現を訴えた。
同市西区の鈴藤実さん(87)は、原爆で祖父母と両親、2人の姉を亡くした。爆心地から離れた工場にいたため、一人だけ生き残った。「あの悲惨さを知っていたら、核兵器が存在すべきでないことははっきり分かる。早く禁止してほしい」と語気を強めた。
姉を亡くした中区の山本賀代子さん(77)は「すごく苦しい思いをした方がたくさんおられたと思う。核兵器や戦争はあってはいけない、絶対に」と絞り出すように語った。
佐伯区の木元晃さん(78)は5歳の時、爆心地から1.5キロの自宅で被爆。「原爆は二度といけん。戦争はあったらいけん」と訴え、「生の声を伝えるため、今年から語り部として活動したい」と話した。
中区の吉沖紀代美さん(53)は、被爆した祖母や父から体験を聞いて育った。「年をとって亡くなる方も多く、被爆二世としての使命を感じる。二度と原爆の犠牲者が現れないように。亡くなられた方が安らかに眠れる世の中にしたい」と決意を込めた。
6日は大きな被害をもたらした西日本豪雨から1カ月になる。中学1年の娘と一緒に訪れた安佐北区の熊谷謙次郎さん(54)は「土砂災害もあり、一人ひとりの命の大切さを強く感じた。戦争の起こらない平和な世界になってほしい」と願った。父親を原爆で亡くした安芸区の吉川博司さん(76)は「広島は水害もあったが、元気でやっていると父に報告してきた。広島は頑張らないと」と自らに言い聞かせるように語った。
情報源:核兵器「早く禁止を」=被爆者ら、平和訴え―広島・原爆忌(時事通信) – Yahoo!ニュース
情報源:核兵器「早く禁止を」=被爆者ら、平和訴え-広島・原爆忌:時事ドットコム
ふむ・・・