藤井聡太も逃れられない、将棋界が「師弟関係」を守り続ける意義 | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン

ふむ・・・


師匠の杉本昌隆七段と対戦する藤井聡太七段 Photo by Hironobu Nozawa
師匠の杉本昌隆七段と対戦する藤井聡太七段 Photo by Hironobu Nozawa
昭和の時代にはさまざまな分野にあった「師弟関係」だが、時代が変わり、今やその姿はほとんど見られなくなった。ところがそんな「師弟関係」を、今も大切に守り続けている世界がある。プロ棋士の世界がその一つだ。(ライター 根本直樹)

“寿司職人が何年も修業するのはバカ”
ホリエモン炎上騒動に見る師弟関係の現状

あなたに「師」はいるだろうか。あるいは「弟子」のような存在がいるだろうか。

昭和の時代まで、世の中には「師弟関係」が今よりもずっとあふれていたように思う。芸道や武道といった特殊な世界だけでなく、学校や会社、地域社会の中にも、その精神性は広範に存在していた。

例えば組織の中で、上司と部下が目先の仕事や利益を超えたところで、師弟と呼べる関係を結ぶことは普通にあることだった。刑事ドラマでは、たたき上げのベテラン刑事を師と仰ぎ、その背中を見て成長していく若手刑事の姿がよく描かれるが、これなどまさに市井における師弟関係というものだ。

本来、師弟関係とは、経験によって培われた知識・技能などを伝授して受け継いでいく関係のことだが、あらゆる分野にマニュアル化、効率化、合理化、IT化の波が押し寄せた結果、今ではその概念は形骸化し、消滅しつつあるようだ。昨今は刑事の世界も、ベテラン刑事の勘よりも捜査マニュアルとデータ主義が幅を利かせるようになり、そこに師弟関係の入り込む余地は失われつつある。

伝統的な師弟関係そのものを、無用なものとして切り捨てるような言説も目立つ。3年前、堀江貴文氏がツイッター上でつぶやいた「寿司職人が何年も修業するのはバカだ」発言などその典型だろう。

師弟 棋士たち魂の伝承
師弟 棋士たち魂の伝承

うまい寿司を握れるかどうかはその人のセンスの問題であり、「飯炊き3年、握り8年」などと言われる寿司職人たちの常識はナンセンスだ。今どき寿司専門の調理学校もあるのだから、そこでもっとスピーディーに技能を学び、できるだけ早く独立するに越したことはない。古臭い師弟関係のもと、師匠の背中を見て修業するなど貴重な時間の浪費である。だいたいこのような趣旨だったが、ネット上では賛否両論が渦巻いた。しかし、若い世代の間では、堀江氏の発言に賛同する者も多かった。

寿司の握り方に限らず、さまざまなモノ作りの過程をネット動画で学ぶことができる時代である。センスとある程度の器用さがあれば、独学でもそれなりのレベルに達することは可能だろう。こうした時代状況を考えると、わざわざ師匠のもとに弟子入りし、つらい修業生活を送る必要などないと考える人が多数を占めるようになったとしても不思議ではない。今の時代、師弟関係は、「非合理」や「理不尽」「アナクロニズム」の象徴でもあるのだ。

ところがそんな「師弟関係」を、今も大切に守り続けている世界がある。プロ棋士の世界がその一つだ。

ギリギリの局面では
人間としての総合力が物を言う

今年6月に出版された『師弟 棋士たち 魂の伝承』(光文社)が版を重ねている。ここで描かれているのは、若き天才・藤井聡太七段と師匠の杉本昌隆七段を始めとする、将棋界で活躍する6組の「師弟」の物語だ。

将棋界に師匠を持たない棋士は存在しない。プロ棋士の養成機関である「奨励会」を受験するには、将棋連盟に所属するプロ棋士の門下に入ることが条件となっているからだ。しかし、弟子を取るかどうかは各棋士に委ねられており、特にトップ棋士の中には自らの勝負を優先して弟子を取らない者も多いという。15歳でプロ棋士となった羽生善治永世七冠もその1人。本書の巻末特別インタビューで、羽生は弟子を取らない理由を次のように語っている。

『将棋の世界は、こう教えたから育つというものではない気がします。基本的に自分の力で強くなっていくものです。また、私が培ってきたものを伝えることが、本当にその人にとってプラスになるのか』

羽生善治永世七冠と対戦する藤井聡太七段 Photo by H.N
羽生善治永世七冠と対戦する藤井聡太七段 Photo by H.N

棋士によって、師弟関係に対する考えも、思いもさまざまなようだ。谷川浩司十七世名人も長年弟子を取らない方針を貫いていたが、あるとき、ふと「私も人を育てる時期が来たのかな」と1人だけ弟子を取ることにした。都成竜馬五段である。弟子を取ることに慎重だった理由を谷川は次のように述べている。

『私自身、小学校5年生で奨励会に入りました。自分が勝ち上がっていく中で、辞めていった人の方が圧倒的に多かった。7~8割の方が棋士になれないのです。やはり最初の弟子を取るということは、覚悟が必要でした。1人の少年の一生に関わるわけですから』

将棋の世界で弟子を取るということは、1人の子どもの人生を預かることに他ならない。弟子入りを認め、無事奨励会に入会できたとしても、そこから年齢制限の26歳までにプロの棋士になれるのは全体の2割程度に過ぎないという。果たして、この子はプロになれるのか。一度、師匠となれば、そんな重荷を背負い込むことになる。

本書の行間から浮かび上がる師匠と弟子の間の「温度差」も興味深い。最後は根性と執念が勝負を決するのだと鼓舞する師匠に対して、「うざい」と距離を置こうとする弟子。コンピューターとの対局を通して技術を磨くのが主流の今の若い世代にとって、昭和の棋士風の「精神論」は響かなくなっているようだ。

それでも、将棋界は今も「師弟関係」を根幹に据え、手放そうとしない。そこには何があるのか。

将来的に、コンピューターとの対局で勝てる人間の棋士はいなくなると見られている。しかし、将棋とは人間同士の勝負であり、ぎりぎりの局面では、精神力や体力、駆け引き、勝利への執念といった極めて人間的な力が勝負の分かれ目となるのである。その力をいかに養うか。そこにこそ「師弟関係」の意義が見いだせるのではないか。

これは将棋の世界だけでなく、会社やビジネスの世界にも当てはまる話だ。本気で人と向き合うとはどういうことか。人間関係の原点がそこにあるからだ。

情報源:藤井聡太も逃れられない、将棋界が「師弟関係」を守り続ける意義(ダイヤモンド・オンライン) – Yahoo!ニュース

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