ほぉ・・・
江戸最大の遊郭があった吉原(東京都台東区)の全景を収めた1枚の写真がみつかった。明治時代半ばごろに撮影されたとみられ、専門家は、1911(明治44)年に全焼する前の吉原の街の全貌(ぜんぼう)をとらえた貴重な写真として注目する。
縦10・2センチ、横14・6センチ。絵はがきの前身としてつくられた鶏卵紙を使った写真だ。今年6月、インターネットのオークションに出品されていたのを、都内在住の収集家、浅田正春さんが入手した。
台紙の裏面には、「東都吉原」「浅草公園地早取写真師」「江崎礼二製」などと記されていた。1883年に乾板写真の撮影に成功し「早撮りの江崎」と言われた著名な写真師の江崎礼二が、浅草寺の近くに1890(明治23)年に開業した12階建ての凌雲閣(りょううんかく)の展望台から撮影したとみられる。
写真の手前には、明治維新まで羽後本荘藩主だった六郷家の下屋敷や蓮田、田畑がみられ、その奥に吉原の街区が広がっている。木造3階建ての大きな妓楼(ぎろう)になると時計台や塔を備えるものもあり、客寄せに設けられたバルコニーなども見える。梅毒の検査をした検黴(けんばい)病院なども写っている。
作家樋口一葉の「たけくらべ」には吉原の3階建ての妓楼について、「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に灯火(ともしび)うつる三階の騒ぎも手に取る如(ごと)く」と描写されている。
「江戸吉原の経営学」の著者で、吉原の歴史を研究する団体「燈虹(とうこう)塾」の代表も務める日比谷孟俊(ひびやたけとし)・慶応義塾大学元教授によると、明治期には「大文字楼」「角海老楼」など3階建ての大きな妓楼が並んでいたという。「人目を引くため、田畑の中に当時最新の近代的な建物が並んでいた。これまでも大火で焼失する前の街の一角を吉原の通りから撮った写真はあるが、高い位置から全景をとらえた写真は見たことがなく、大変貴重だ」と話す。(久保智祥)
情報源:遊郭あった吉原、街全景の写真発見 全焼前の明治に撮影:朝日新聞デジタル
カラーで見たいな・・・