藤井フィーバーのウラで「俺はなんて情けないんだ」。うつ病になった棋士の苦悩 | 文春オンライン

ふむ・・・


羽生世代と言われる棋士のなかでも、最も早い11歳で奨励会に入会した先崎学九段。17歳でプロデビューし、1990年度のNHK杯戦では同い年の羽生善治を準決勝で破り、棋戦初優勝。2014年には九段に昇段している。

そんな将棋界の重鎮、先崎九段が昨年9月に突然将棋界から姿を消した。休場した理由は「一身上の都合」とのみ発表され、様々な憶測を呼んだが、じつはうつ病のために入院していたのだ。そして1年の闘病を経て、今年6月に対局への復帰を果たす。

エッセイの書き手としても知られる先崎九段はうつ病の発症から回復までの日々を新刊うつ病九段に綴っている。書籍の発売を記念し、本書の一部を特別に公開する。

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昨年7月、順位戦を指した。ここで私は自分が本格的におかしくなっているのを自覚した。若手を相手に負かされて、それはいいのだが、対局中にまったく集中できないのだ。思考が全然まとまらず、読みもせずふらっと指してしまう。それでもまだ私はしばらく休めばなんとかなると考えていた。長年棋士をやっていれば気分に変調をきたして不様な対局をすることだってあるものさ、案ずることもあるまい……。だが、朝の気分はへこんでいく一方だった。

ここからの10日間ほどは、まるではずみがついた滑車のように私は転げ落ちていった。日に日に朝が辛くなり、眠れなくなり、不安が強くなっていった。不安といっても具体的に何か対象があるわけではない。もちろん将棋に対する不安はあったが、もっと得体の知れない不安がわたしを襲った。そして決断力がどんどん鈍くなっていった。ひとりで家にいると、猛烈な不安が襲ってくる。慌てて家を出ようとするが、今度は家を出る決断ができないのだった。昼食を食べに行くのすら大変なありさまで、出ようかどうか迷った末に結局ソファで寝込んでしまい、妻の帰りを待つという毎日だった。

「おそらくうつ病だと思います」

7月中に指した対局はどれも無残な惨敗だった。座っているのが精一杯。こんなことははじめてだった。私は後で知るのだが、妻と兄はこのころかなり頻繁にLINEで連絡を取っていたらしい。

先崎学九段 ©文藝春秋
先崎学九段 ©文藝春秋

私の兄は優秀な精神科医である。以前の不調の時は「ま、しばらくよく寝るんだな」などといってほとんど相手にしてくれなかったが、今回はすっとんで来た。見た瞬間これは駄目だと見立てたのだろう。かかりつけの慶応病院にとりあえず行けといわれた。後で妻に聞くと、どうやらこの時点で最悪の状況に備えて入院の手続きがすぐできるよう取りはからってくれたらしい。すぐに病院へいくと、長い時間私の話を聞いてくれ、「おそらくうつ病だと思います」といわれた。今後のことは1、2週間様子を見て決めようということになった。

毎日毎日もらった睡眠薬を飲んで、寝る前に明日このすべての症状が晴れて元の自分に戻っていますようにと神に祈った。もちろんそんなことがあるわけもないが、祈るよりなかった。

LINEを送る決断すらできない

そのころ、私は7月の末にふたつ、8月のはじめにひとつ、将棋の研究会をやることになっていた。棋士にとって4人で集まって将棋を指す研究会は大事な勉強の場である。くわえて私には、好きな仲間に会う場という一面もあった。7月の終わりには、中村太地六段(いずれも当時)、村中秀史六段、千葉幸生六段との研究会があって、彼らは私のことをもっともよく慕ってくれる後輩たちで、私も皆が大好きであった。人間辛い時、苦しい時ほど親しい人間に会いたくなるものである。だからどうしてもこの研究会はやりたかった。だが、その10日ぐらい前の体調からして、やはりキャンセルするよりないことは明らかだった。

ところが、LINE1本でキャンセルをするだけなのに、その決断がつかない。10分や20分、ひどい時には1時間以上もただそれだけのことで悩みつづける。そのくせ予定があるということだけで、ひどく心の負担になるのだった。

うつ病とは死にたがる病気である

夜もどんどん眠れなくなっていった。10時にベッドに入るのだが、1時くらいに目が覚めてしまう。そこからまた医者にもらった睡眠薬を追加で飲んで寝るのだが、4時には起きてしまい、辛い朝を迎えることとなる。うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。あなたが考えている最高にどんよりした気分の10倍と思っていいだろう。まず、ベッドから起きあがるのに最短でも10分はかかる。ひどい時には30分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。寝返りをうつとなぜか数十秒くらい気が楽になる。そこで頻繁に寝返りをうつのだが、当たり前だがその場しのぎに過ぎない。

そこからありったけの気力を振り絞ってリビングへと行くのだが、のどが渇いているのに、キッチンへ行って水を飲むのもしんどいのである。仕方がないのでソファに横になるが、もう眠ることはできない。ただじっと横になっているだけである。頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、死のイメージが駆け巡る。私の場合、高い所から飛び降りるとか、電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。まさにその通りであった。

社会現象を巻き起こした藤井四段(当時)のデビュー以来29連勝 ©文藝春秋
社会現象を巻き起こした藤井四段(当時)のデビュー以来29連勝 ©文藝春秋

そのころ将棋界では、藤井聡太四段(当時)の連勝による、いわゆる藤井フィーバーがはじまったころだった。

はじめは将棋界が注目を浴びて喜んでいたが、そのうち、なんで自分はこのようなよい時にこんなになっているんだと忸怩たる思いがこみ上げてきた。そしてすぐに自分を責めだした。俺はなんて情けない人間なんだと。

病気になったんだから仕方ないや、というのは健康な人間の発想である。私はただただ情けなく、将棋界の中にもう自分の居場所がないような気分になった。もう自分の場所には戻れないような気がした。そのうちに、テレビに将棋界のことが出ると消すようになった。

やがて、胸が苦しくなるという症状が出るようになった。横になっていると、無性に胸がせりあげてくるような感覚が襲ってくる。すると必然的に呼吸が早くなってしまう。息が詰まるとまではいわないが、どうしても浅い呼吸しかできない。そのうちに、胸が苦しくなるとともに頭が重くなっていくのがはっきりと分かった。常に頭の上に1キロくらいの重しが乗っているようである。頭痛とはまた違う。これは生まれて初めての体験だった。そして困ったことに、この頭の上の重しは横になっても取れないのである。

情報源:藤井フィーバーのウラで「俺はなんて情けないんだ」。うつ病になった棋士の苦悩(文春オンライン) – Yahoo!ニュース

情報源:藤井フィーバーのウラで「俺はなんて情けないんだ」。うつ病になった棋士の苦悩 | 文春オンライン



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