チビチリガマ荒らした少年らが謝罪文 慰霊祭で読み上げ

ふむ・・・


チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時28分、沖縄県読谷村波平、代表撮影
チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時28分、沖縄県読谷村波平、代表撮影

73年前の沖縄戦で住民83人が「集団自決」に追い込まれた沖縄県読谷(よみたん)村の洞窟「チビチリガマ」で7日、慰霊祭があった。昨年9月に少年4人がガマを荒らした事件後初めてで、終了後には少年たちの謝罪文が読み上げられた。

「どういう場所か知らず、遊び半分で行き、破損してしまいました。どうか許してください」「謝って済む問題でないのはわかっています」「二度と人を傷つけたりしません」

チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時40分、沖縄県読谷村波平、代表撮影
チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時40分、沖縄県読谷村波平、代表撮影

ガマ内で遺族らが祈りを捧げた慰霊祭の後、遺族会長の与那覇徳雄(のりお)さん(63)が、少年4人のうち当時16~18歳の3人が書いた謝罪文を読み上げた。

少年たちと連絡を取り続けているという与那覇さんは「温かく見守ってほしい」と呼びかけた。

昨年9月、ガマ内部の千羽鶴や瓶、看板などが壊された。器物損壊容疑で逮捕されたのは当時16~19歳の少年4人で、全員保護観察処分を受けた。与那覇さんによると、謝罪文は逮捕直後に書かれ、弁護士から渡されたという。

ガマの中に設けられた祭壇に線香をあげ、犠牲者の冥福を祈る遺族ら=7日午後、沖縄県読谷村波平のチビチリガマ、代表撮影
ガマの中に設けられた祭壇に線香をあげ、犠牲者の冥福を祈る遺族ら=7日午後、沖縄県読谷村波平のチビチリガマ、代表撮影

4人は1月、村内の彫刻家金城実さん(79)と高さ60センチほどの野仏12体を作り、ガマ周辺に置いた。チビチリガマについてのリポートも書く予定という。金城さんは「罪を背負い続ける彼らと、とことん付き合うつもり」と話した。

慰霊祭にはチビチリガマで生き残った4人も参加した。上原豊子さん(81)は当時8歳で、集団自決が始まった直後、母と一緒に外に出た。ガマに残った祖父は亡くなり、父も戦死した。事件を知って「ショックで肉体的に苦しくなった」が、少年たちから直接謝罪を受けた。「いい人生を歩むチャンスになってほしい。少年たちが立ち直ってくれるという願いも込めて祈りました」と話した。

ガマの中に設けられた祭壇に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈る遺族ら=7日午後、沖縄県読谷村波平のチビチリガマ、代表撮影
ガマの中に設けられた祭壇に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈る遺族ら=7日午後、沖縄県読谷村波平のチビチリガマ、代表撮影

慰霊祭は1987年から開催。事件を受け今年3月、村は近くに防犯カメラを設置した。(伊藤和行)

情報源:チビチリガマ荒らした少年らが謝罪文 慰霊祭で読み上げ(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

情報源:チビチリガマ荒らした少年らが謝罪文 慰霊祭で読み上げ:朝日新聞デジタル


チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時28分、読谷村波平(代表撮影)
チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時28分、読谷村波平(代表撮影)

【読谷】太平洋戦争末期の沖縄戦で住民83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村のチビチリガマで7日、遺族会による慰霊祭が開かれた。遺族や関係者約30人が参列。「二度と悲劇を繰り返してはならない」とガマの中で手を合わせて悲惨な沖縄戦の実相を伝え、平和な世の中をつくることを誓った。昨年9月に本島中部に住む16~19歳の少年4人が千羽鶴などを損壊し逮捕されて以来、初の慰霊祭となった。

遺族会の与那覇徳雄会長は「本当に申し訳ございません。きっちり反省します」「戦争について少しずつ学んでいます」などと記された少年らの謝罪文を読み上げた。与那覇会長は「少年たちが歴史を伝える担い手になると思う。彼らを温かく見守ってほしい」と語った。

チビチリガマは読谷村波平にある自然壕で、沖縄戦時は周辺の住民約140人が避難していた。米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日の翌日、皇民化教育などの影響から住民は米軍の投降に応じず、互いが殺し合う「集団自決」に追い込まれた。

情報源:「集団自決」伝える、学ぶ 損壊後初の慰霊祭 読谷・チビチリガマ(琉球新報) – Yahoo!ニュース

情報源:「集団自決」伝える、学ぶ 損壊後初の慰霊祭 読谷・チビチリガマ – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース


チビチリガマの中で手を合わせる與那覇徳市さん(右から2人目)=7日午後、読谷村波平のチビチリガマ(代表撮影)
チビチリガマの中で手を合わせる與那覇徳市さん(右から2人目)=7日午後、読谷村波平のチビチリガマ(代表撮影)

73年前に「集団自決(強制集団死)」が起きた沖縄県読谷村波平のチビチリガマで7日、遺族会主催の慰霊祭があり、生存者を含む遺族ら約30人が犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。少年たちにガマ内が荒らされた昨年9月の事件後初。母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長(63)は、犠牲者の遺骨が眠るガマの前で少年たちから届いた反省文を朗読し「立派な大人になるよう、彼らを温かく見守り続けてほしい」と語った。

底冷えする寒さの中、ガマの中で執り行われた慰霊祭では、與那覇会長が餅や天ぷらなどが供えられた祭壇に線香を手向けた後、参列者で黙とう。遺族はおのおの線香を手向け、深々と頭を下げた。事件を受けて県内外から多数の報道陣が集まった。

事件を起こした少年たちが、遺族や彫刻家の金城実さん(79)らと共同制作し、ガマを囲むように置かれた12体の野仏にも、菊の花が手向けられた。

ガマ入り口には16~18歳の少年3人が寄せた反省文が掲示された。何度も繰り返される少年たちからの謝罪の言葉に、遺族らは静かにうなずいていた。

ガマの生存者で、慰霊祭に足を運んだのは4人。当時8歳で「集団自決」を目撃した上原豊子さん(81)=村波平=は、犠牲になった祖父の次郎さんと同じ年になった。「戦争は人の殺し合いで、恐ろしいことだと伝えたい。平和が続くよう望んでいます」と声を絞った。

1945年4月1日に読谷、嘉手納、北谷の本島西海岸に上陸した米軍は2日、チビチリガマ周辺に侵攻。ガマに避難した住民約140人のうち21世帯83人が「集団自決(強制集団死)」で、米兵による射殺で2人が亡くなった。「集団自決」の犠牲者は約6割が18歳以下だった。

情報源:チビチリガマで平和の誓い 昨年事件後、初の慰霊祭 少年らの成長願う(沖縄タイムス) – Yahoo!ニュース

情報源:チビチリガマで平和の誓い 昨年事件後、初の慰霊祭 少年らの成長願う | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス


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