ほぉ・・・
2023.5/21 10:00
弟子を持つ棋士は順位戦において、上のクラスから年と共に落ちてきて、弟子と同じクラスで交差することがある。
ほとんどはC級での交差だが、師匠の側が容易に落ちない棋士だと、B級2組以上ですれ違うことがある。
師弟は順位戦では当たらない制度(総当たりのA級とB1は例外)だが、勝敗がお互いの昇降級に絡むことがある。
佐瀬勇次名誉九段は、第21期から23期(1966年~68年度)の3年間、弟子の米長邦雄永世棋聖とB級2組に在籍した。
その1期目と2期目、佐瀬は1位で上がった棋士を負かして、弟子の援護をしたが、米長は昇級できなかった。
もっとも3期目は、援護を必要としないほどのブッチギリで、米長は昇級したのだった。
私も師匠の廣津久雄九段とは、C級1組の2期目(78年度)で交差した。この年は初戦に二歩で反則負けをしたものの、後を全部勝ち、9局目に師匠が競争相手の田丸昇五段(当時)に勝ったことで、私の昇級が決まった。
もっとも田丸も2名の昇級枠に入ったが、この年彼に勝利したのが、私と師匠、そして兄弟子の菊地常夫五段(当時)だけだったため、一門の縁を感じたものだった。
師弟の競争と言えば、第77期(2018年度)のC級1組。藤井聡太七段(当時)と師匠の杉本昌隆八段が同じクラスで昇級を争い、直接対局はないものの、藤井は1敗しただけで昇級できず、師匠のみ昇級するという、珍しいことが起きた。杉本が注目されるのは、藤井の師匠というだけでなく、こういう実績も大きいはずだ。
もっとも昔は、大山康晴十五世名人が弟子の有吉道夫九段と、名人戦やA級順位戦で当たり、弟子を押さえ続けたという例はあるが、これは師匠が強すぎた例外。大山は69歳までA級だったからだ。
現在、タイトル戦を戦う渡辺明名人は、02年度に師匠の所司和晴七段とC級2組で交差した。
渡辺はその期、3期目となるC級2組をトップの9勝1敗で抜け、交差はただ1期だけとなった。
また菅井竜也八段は井上慶太九段門下だが、15年度から2期、B級2組で交差した。2期目には井上が菅井のライバルを破り、援護射撃をしている
弟子の出世を素直に喜べる師弟ほど、弟子は良く育つと言えるかもしれない。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:【勝負師たちの系譜】師弟の交差点、弟子がよく育つ師匠の条件 藤井聡太六冠の師匠・杉本昌隆八段が注目されるワケ(1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
|
|
★