王位戦は防衛成功、叡王戦は最終第5局が9月13日
2021.8.29
棋士の戦いというのは、お互いに限界を分からせ合う勝負を繰り返している、と思う時がある。
1対1の勝負では「もうあなたは私には勝てないよ」と。また棋士の格では「あなたの格はここ止まり、私より上にはいかないよ」のように。
プロは当然だが、誰が一番で次は誰と、大体の順位が付いてしまう。そして限界もわかってしまうのである。
あの羽生善治九段が七冠を制した時でさえ、七冠を維持できたのはわずか5カ月半ほどで、それが限界だった。
また羽生のいないタイトル戦に違和感さえあったタイトル獲得数も、現在99で止まっていて、100に到達できるかどうかが限界ラインと言える。
これはトップ棋士の限界だが、これから伸びる若手棋士以外は、誰もが限界を知った上で現役を続けている。
問題は限界を知った後で、どういう棋士生活を送れるかだ。私の場合は30歳でA級、36歳でタイトル戦出場が最高値の時だったか。40歳を前に静岡に引っ越し、後は普及や連盟の運営に勤しんでいたところ、また47歳でA級復帰したから、自分の最高値がいつだったかよくわからない。
最高値から急降下する棋士もいるし、高止まりの棋士もいる。一番の高止まりは本欄に何回も出た、大山康晴15世名人だったと思う。
名人位を49歳で失った後も、タイトルは59歳まで(王将位)、69歳で亡くなるまで順位戦のA級在籍というのは、これぞ不滅の記録であろう。
「大山さんには勝てない」と他の棋士に思わせた威圧感は、その次の中原誠16世名人、羽生九段にもあった。しかし藤井聡太二冠も、すでに備わっているのは驚きだ。
そして今回の豊島将之叡王-藤井二冠の12番勝負は、普通なら相手を精神的に追い込める番勝負のはずである。
王位戦で初戦負けから3連勝し、叡王戦でも2勝1敗と藤井が追い込んだ時は、完全に2人の関係が変わったなと思わせた。特に王位戦第5局で豊島が、タイトル戦では見たことがない大ウッカリで負けるに至り、藤井に対して平常心で指せる棋士がいなくなったとさえ思わせた。
2人のように、まだ限界を見ていない棋士がどこまで伸びるか、いつそれを知るのかは、大いに興味のあるところである。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:【勝負師たちの系譜】棋士の限界と最高値 藤井二冠、すでに備わる「勝てない」と思わせる威圧感 (1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
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— zakzak (@zakdesk) August 29, 2021
ほぉ・・・
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