へぇ・・・
2021.7.17
藤井聡太二冠は、四段(プロ棋士)になってからわずか5年弱の間に、次々と今までの記録を更新してきた。
最初は神谷広志八段の持つ28連勝を超える、29連勝の新記録。その後、最年少でのタイトル獲得や、竜王戦での5期連続ランキング戦優勝。今月果たした、ヒューリック杯棋聖戦(産経新聞社主催)の最年少タイトル防衛などである。
しかし私が、今後誰も破れないのではと思う記録は、棋聖防衛によりタイトル3回の規定で、18歳のうちに九段に昇段したことだ。
元来、棋士にとって昇段は、何より大切なことであるし、他人の昇段にも敏感だった。
1935年には、大阪の神田辰之助七段が、東京の八段陣に8戦全勝したことで八段を名乗ったことから、東京の将棋連盟が反発し、将棋界の分裂に繋がったという事件があった。当時の八段は最高段位だったから、勝手に名乗ったことを許せなかったのだった。
将棋界の八段から先は、勝率の良い若手でも、容易には上がれない仕組みになっている。七段までは順位戦昇級と勝ち星、竜王戦の連続組優勝などを組み合わせて、一気に辿り着く人はいる。しかし八段はタイトルが取れない限り、A級昇級か、七段から190勝を積み上げるよりないからだ。
私の場合だと、昇段は順位戦の昇級しかなかったから、A級昇級(30歳)で八段。そこから250勝を積み上げ、42歳で九段に到達した。
棋士になって21年かかった訳だが、これでも勝ち星で九段になった棋士の中では、早い方だ。
タイトルに手が届いても、3回までに至らず、八段のままという棋士も何人かいる。18歳で九段となると、勝ち星では無理だから、タイトル3回以外にはないが、今後同じ成績を残せる棋士が出るとは思えない。
今回の棋聖防衛の後のインタビューで、藤井は「とにかく強くなりたい」と言っていた。これは奨励会員なら当然の気持ちだが、棋士になると「勝ちたい」になり「明日の相手に勝ちたい」から「勝って収入を得たい」に移る頃から徐々に将棋が弱くなる。
いつまで「強くなりたい」という気持ちが持続できるかが、棋士にとって一番大事なのだが、頂点まで来てこの気持ちが持てるのも、若さの特権かと思うのである。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:【勝負師たちの系譜】藤井二冠の不滅の記録 若さの特権、頂点でも「強くなりたい」気持ち (1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
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— zakzak (@zakdesk) July 17, 2021
ほぉ・・・
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