へぇ・・・
2021.6.6
名人という称号は、他のタイトル名が棋戦創設の際につけられたのと違って、400年以上前、初代大橋宗桂が家元として名人を名乗った時からの称号である。これを棋戦名とし、現在は毎日と朝日の両新聞社が共催しているものだ。
従って竜王戦が創設されるまでは、名人戦の一強時代が長く続いた。
名人戦の予選が、A級~C級2組までの5クラスに分かれた順位戦で、これにより名人だけはA級に登り、そこで優勝して初めて挑戦権を得るため、棋士になって最短でも5年かかる制度になっている。
棋士の昇段も私の時代は、順位戦のクラスを上がる以外の道はなかったから、ともかく最優先で昇級したいと思う棋士がほとんどだった。今は勝ち星や竜王戦での昇段など、全棋戦が昇段の対象となっている。
そんな訳で、当時プロ棋士を目指す少年たちは皆「名人になりたい」と言って奨励会に入ってきたものである。
今回の挑戦者、斎藤慎太郎八段は、2012年度から順位戦(C2)に参加し、8年でA級まで昇った。そしてA級1年目にして、8勝1敗のぶっちぎりで名人挑戦を決めたのだった。
しかし渡辺明名人との七番勝負は斎藤にとって、思うような将棋が指せなかったのではないかと私には思えた。
第1局こそ勝利を得たものの、終盤では必敗の将棋を粘り倒しての勝利だった。第2、3局は余り良いところなく敗れ、第4局はどちらが勝つかわからない、二転三転の将棋を競り負けて、流れは完全に名人に傾いた。
むしろ斎藤らしさが一番出たのは、第5局ではなかったか。低い陣形の右四間飛車から相手が居玉のうちに攻めかかり、ペースを掴んだかに見えた。
しかし名人の反撃に対し、封じ手で安全な手を選んだつもりが安全でなく、徐々に盛り返されて、斎藤は敗れた。
終わってみれば、名人が4勝1敗で防衛した訳だが、この七番勝負だけは斎藤の良い部分があまり出なかったのも、前述のように名人位の重さと戦っていたからに見えたのである。
名人戦は「名人」と呼ばれて、普通に「ハイ」と答えられる者が勝つと私は思うのだが、それは渡辺にしても今回でやっと2期ということは、多くの実績を重ねた末の財産かも知れない。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:【勝負師たちの系譜】称号の重みと戦う挑戦者 「名人」と呼ばれ「ハイ」と答える者が勝つ (1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
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— zakzak (@zakdesk) June 6, 2021
▲斎藤慎太郎八段 vs △渡辺明名人(棋譜DB)
94手 5八銀打まで
△渡辺明名人 の勝ち
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- 名人戦・順位戦 |棋戦|日本将棋連盟
- 第79期名人戦・順位戦 七番勝負/A級
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- 第78期将棋名人戦七番勝負 ライブ中継:朝日新聞デジタル
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