(天才の育て方)棋士・羽生善治のお母さん ハツさん

2008年の記事


2008年8月5日

善治は6月、通算5期目の名人位を獲得。永世名人の有資格者となった
善治は6月、通算5期目の名人位を獲得。永世名人の有資格者となった

小柄なハツ(75)は、話せば話すほど大きく見えてくる女性だった。

東京西部、JR八王子駅近くにある八王子将棋クラブ。善治(37)も小学生時代に通ったビルの3階には、平日の昼間でも、愛好家が将棋を指す「パチ、パチ」という音が響く。

その音が、ひとつの質問をしたときに消えたような気がした。将棋はいい加減にして、もっと勉強をしなさいとは言わなかったのですか?

「そんなことは言いませんでした」

ハツはきっぱりと答えた。少し間を置き、「それほど、不思議なことでしょうか。善治が楽しそうに将棋をしている姿を見るのが、私はとても好きでした」。

彼女の姿はまた一段と大きくなった。

*

将棋界で善治ほど急激に、頂点に上り詰めた人間はいない。友達に誘われて将棋を始めたのが小学1年生。6年で「小学生名人」に。すぐさまプロ棋士を養成する奨励会入り。中学3年生でプロになる。奨励会入りからちょうど3年でのプロ誕生は、谷川浩司九段の3年3カ月の記録を更新した。

ハツは話を続ける。

「小学校の高学年のころでしょうか、善治の友達のお母さんに言われたことがあるんです。そんなに頭がいいんだったら、勉強をさせて東大に行かせなさいよって。でもね、善治が好きだったのは、勉強ではなく、将棋だったんですよ」

ハツも夫・政治(74)も、将棋はルールさえ知らなかった。ましてや、プロの世界があり、将棋を指して生活していけるとは思ってもいなかった。

「将棋の人で知っていたのは、阪田三吉さんぐらい。お酒を飲んで、奥さんが質屋通いをする。まあ、善治には、あんな風になってくれなければいい、と思ったくらいです」

*

「ただただ、子どもを見守っている」ということも、覚悟のいる「教育」だったに違いない。

ただ、次の質問をしたとき、テンポよく話していたハツの表情が曇った気がした。

情報源:asahi.com(朝日新聞社):棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:1 好きなのは勉強ではなく将棋だった – 天才の育て方 – 教育


2008年8月12日

もう一度、ハツ(75)が善治(37)を育て直すとしたら……。

「高校にはやらないでしょうね。私らが行けといったから、あの子は、高校に入学することにしたんです」

中学3年でプロになった善治は、卒業と同時に都立富士森高校に入学した。将棋界にはむかしから「学歴無用論」があったが、家族らの「せめて高校ぐらい」という意見に従った結果だった。

*

高校生とプロ棋士生活の両立は困難を極めた。勝てば勝つほど対局が増え、学校に行けなくなる。善治にとっては理不尽なことだったろう。

たとえば、大阪で対局があった翌朝、善治は授業のため新幹線の始発で東京に戻ってくる。ハツはJR西八王子駅のホームで待っている。善治は出張用のかばんをハツに預け、代わりに学生かばんを受け取って、そのまま学校に向かう。

「冬なんて、ホームで触れる善治の手が冷たいんです。さぞかし、あの人もつらかったことでしょう」

そして、高校3年の3月、善治は「留年の危機」に追い込まれた。

一般教科の試験は持ち前の暗記力と集中力で乗り切っていたが、出席日数はいかんともしがたい。その後、善治は都立上野高校の通信制に転入し、なんとか無事に卒業することになる。

ハツは振り返る。

「善治には、好きなことを好きなだけやらしてあげるべきだったかもしれません。本人はずっと早い段階から、将棋一本、と決めていたわけですから」

夫・政治(74)が、ハツの横から口をはさんだ。

「でも、私は善治が心底うらやましかったですよ。あれほど好きなことに、小学生の段階で巡り合えたのですから。大人になっても、好きなことが見つけられない人間も多いんですから」

*

自分の「好き」にこだわる子どもと、息子の「好き」を最優先にしなかったことを悔やむ親。

そこで、こんな質問をしてみた。

「いままで、人生に迷い、両親になにか相談したことはないのでしょうか」

政治とハツが顔を見合わせた。(敬称略・石川雅彦)

情報源:asahi.com(朝日新聞社):棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:2 高校入学、勧めたことを後悔 – 天才の育て方 – 教育


2008年8月19日

今年の名人戦は、挑戦者・善治(37)と長年のライバル・森内俊之名人(37)が戦った。善治が勝てば、史上6人目の永世名人有資格者になるという注目の一番だった。

「天下の一戦」を前に3月末、夫・政治(74)に善治からかかってきた一本の電話が、人生最初の相談だった。

「ちょっと、田舎に墓参りに行こうかどうか迷っているんだけど、どうかな」

37年で初めての相談が、墓参りのことである。

*

羽生家の墓は、政治の出身地・種子島にある。ハツ(75)を含め、親子3人は鹿児島空港で落ち合い、昼前に種子島に到着。墓に参って親類に会い、午後6時には帰りの飛行機に乗ったという。善治は普段通りで、「時間があるから、宇宙センターに行こう」などと、くつろいだ様子だった。

善治は、小学6年生で奨励会に入るときも、中学3年でプロになるときも、すべて自分自身で決めてきた。「決めた」というより、迷う必要がないほど圧倒的に強かった。

ハツにこんな質問をしてみた。

「善治さんは、人生で迷ったことがないのでしょうか」

「あの人は、ほんとうに頑固。絶対に迷わない。決めたことはやる。短所があるとすると、親に相談しないこと」

だからこそ、墓参りの相談に両親は驚いた。相談しても、「行ってくれば」と言われるに決まっているのに。

*

ただ、政治はこんなことを言った。

「善治は一生、誰にも相談できない宿命を背負っているんですよね」

善治にとって「迷う」とは、縦36センチ、横33センチ、81マスの盤上で、20個の駒をどう動かすか、ということにほかならない。そして、その世界では誰にも相談できない。「人生」なんかで迷ったり相談したりしている場合ではないのである。

ただ、そんな木の板の世界のすぐ横には、息子を理解し信頼し、判断をいつも尊重してきたハツと政治がいる。

名人戦という決戦を前に、ちょっとした息抜きとしての現世での「迷い」。そんな墓参り相談だったのかもしれない。(敬称略・石川雅彦)

情報源:asahi.com(朝日新聞社):棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:3 盤上ではだれにも相談できない – 天才の育て方 – 教育


2008年8月26日

6月に名人位を奪回。熱戦から一夜明け、善治も笑顔に
6月に名人位を奪回。熱戦から一夜明け、善治も笑顔に

ハツ(75)は、けっこう照れ屋である。「子育てとはなんですか」と聞いたときの答えがそうだった。

「まず、自分が楽しむことですよ」

善治(37)の小学校時代、週末に将棋大会に連れて行ったのは、実は会場となる都心のデパートでショッピングしたかったからだと言った。本心はともかく。

*

「よくあれだけ考えられますね、あの人。よく飽きないものですよ」

善治はいま、究極の「考える競技」でトップに立つ。プロ棋士がよく言うことだが、1時間も考えれば、1千手さきとか2千手さきまで読むことができる。

善治はこの6月、名人戦直後のインタビューで、こう振り返った。

「将棋の鉱脈の深さには本当に驚きましたし、将棋は簡単じゃないと感じることが多くなっています」

夫・政治(74)は話す。

「小学校時代から、善治が将棋を指して考えているときは、ちょっと話しかけられないほど深く入り込んでいるんです。まったく別の人物に見えました」

善治はかつて、こんなことを両親に言ったことがあるという。

「これ以上に集中すると、もう元に戻れなくなるのではないか、という瞬間があるんだよ」

2人は「なにも特別なことはしていません」と繰り返した。ただ、意識的にしろ無意識にしろ、善治を「考える環境」に置いてきた。将棋だけでなく、人生の岐路で、すべてを善治に任せた。

*

政治とハツの話を聞いていて、はたと思う。この両人はすごいリスクを取ってきたのではないかと。小学生での奨励会入り。中学生でのプロ棋士。高校と棋士生活との両立。善治が大成しなければ、批判を受けたかも知れない。そこを、じっと、見守った。

善治がよく繰り返す言葉がある。

「将棋でいちばんの才能は、決断力です。勇気を持ってリスクを取る力です」

ハツと政治の教えは受け継がれ、勝負師のかけがえのない資質として、名人を支える。(敬称略・石川雅彦)

 

情報源:asahi.com(朝日新聞社):棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:4 じっと見守り、自分で考えさせる – 天才の育て方 – 教育



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