2010年の記事
2010年3月9日
香奈(18)はずっと言ってきました。「高校卒業までに、女流名人になりたい」と。そんな夢が、最後のチャンスとなった高校3年生の2月にかない、私(48)もあの子もまずはひと安心です。
香奈のあこがれの清水市代・女流名人(41)に、まさか、3連勝で勝つとは思いませんでした。直後のインタビューで、「立ち居振る舞いに気をつけて、棋力向上に努力したい」と話していましたが、これからが、真価が問われる本当の勝負。やっとスタートラインに立ったというところでしょうか。
幼稚園のころから、兄の卓哉(21)と遊んでいました。どうしたわけか、スカートが大嫌いな子で、いつも男物のズボンをはいていました。人形とかを買い与えても、放り出して兄といっしょに外で走り回り、いつまでも帰ってこない。兄とは3学年違うのですが、なんでも競い合い、負けず嫌いでしたね。
将棋好きの父親の彰(48)が、相手が欲しいものですから、兄に将棋を教えたのが、香奈が5歳のころでしょうか。もちろん、あの子もやりたがります。父と兄の姿を横から見ていて、ルールは自然に覚えてしまったようです。
小学校にあがる直前ですから6歳になったばかりのころです。出雲大社(島根県)の近くにあった島根棋道会の将棋教室に通い出します。もちろん、兄が行き始めたので、「わたしも行きたい」とついて行くようになったわけです。
その将棋教室は、しつけが厳しかったんです。きちっと正座をして指させ、あいさつはしっかり、駒を扱うまえには手を洗うなど、こまやかな礼儀作法を教えてくださいました。親とすれば、それがとてもありがたかったですね。
本人は喜んで通い、「行きたくない」と言ったことは一度もありません。あとで知ったことですが、将棋教室に行きだした直後に、先生が主人に「この子は将来、プロになれる子ですよ」と言われたそうです。もちろん、当時は香奈が棋士になることなど想像もしませんでした。
あの子が小学校に入ると、「里見家名人戦」が始まります。兄も香奈も、それに父親も、負けず嫌いですから、さあ大変です。(聞き手・石川雅彦)
情報源:asahi.com(朝日新聞社):女流棋士・里見香奈のお母さん 治美さん:1 兄と競り合い、負けず嫌いだった – 天才の育て方 – 教育
2010年3月16日
「里見家名人戦」の参加者は父親の彰(48)、兄の卓哉(21)、香奈(18)です。妹の咲紀(13)とルールを知っている程度の私(48)は、メンバーが多い方が盛り上がるということで、ときどき無理やり参加させられました。
賞品があったんですよ。食べ物が多かったですね。デザートを5個ほど用意するんです。たとえば、デコレーションのいっぱいついたプリンから、ヨーグルト、アイスクリームなんかを。それを、勝った者から順番に取っていきます。
あと、私と幼い咲紀を除く3人で、皿洗いという罰ゲームもありました。負けた人が夕食の後かたづけで皿を洗うんです。私は大助かりです。最初は卓哉や香奈が洗っていましたが、香奈が小学4、5年生になると、父親が洗うようになりました。そのうち、主人は負けることが多くなり、馬鹿らしくなって、皿洗いの罰ゲームはなくなりました。
香奈は小学3年の時、羽生善治さんや谷川浩司さんに会っているんです。島根県出雲市で「将棋の日」というイベントが開かれ、多くの棋士が来られました。この子は本当に将棋が好きなんだなぁと実感させられた出来事がありました。
前夜祭では、いつもは会えないようなプロの棋士の方に直接話しかけることができたんです。すると、香奈はひとりで会場をちょこちょこと回り、先生方の全員に「どうしたら、将棋が強くなれますか」と聞きました。兄は、恥ずかしがって隠れていましたけど。
そのなかのひとり、女流棋士の高橋和(やまと)さんが、こんなことを香奈に言ってくださったようです。
「毎日、少しずつでもいいから、詰将棋を解くようにするといいですよ。でも、毎日ですよ」
そして、香奈は高橋さんと指切りげんまんをしたんです。
それからですね、香奈が毎日毎日、詰将棋を解くようになったのは。1日10題、終わるまでは寝ないと決めていました。小学校の修学旅行でも、解いていたそうです。さすがに人前でやるのは恥ずかしかったようで、小さな詰将棋の本を持って行って、隠れてやったそうですが。(聞き手・石川雅彦)
情報源:asahi.com(朝日新聞社):女流棋士・里見香奈のお母さん 治美さん:2 賞品・罰ゲーム付きの「里見家名人戦」 – 天才の育て方 – 教育
2010年3月23日
小学5年生のとき、香奈(18)はアマ女王戦に出場して優勝しました。そして、女流棋戦のレディースオープントーナメントにアマ代表として出場したとき、日本将棋連盟の女流育成会の幹事の方から声がかかり、小学6年生の秋から通わせていただくことになります。
そこで、島根・出雲発の深夜バス「スサノオ号」で、東京まで通います。
土曜日、学校が終わって夕食を取り、夜7時10分に出雲市駅前を出発。約11時間かかって午前6時ごろ渋谷に到着、渋谷・千駄ケ谷の将棋会館に向かいます。日曜日に対局をして、そのまま午後8時ごろ渋谷をたち、月曜日の朝7時に出雲へ。それからお風呂に入って登校です。
バスのなかでは詰将棋なんかを解いたりもしていましたが、あの子はすぐ寝ちゃいます。どこでもしっかり寝られるんです。この特技も、香奈の「武器」ですね。いつも私(48)か父親の彰(48)かが付き添って行ったのですが、どっちも何度か目が覚めてなかなか熟睡できませんでした。
もっとも、香奈は香奈なりに努力していたんです。「東京に行くために、体力をつけないと」と言い出し、中学に入ると卓球部に入部しました。運動神経はいいほうだから、県大会まで進んだこともあります。
松江で大会があったときなんか、夜行バスを途中で降り、先生に迎えに来てもらって試合に駆けつけたこともありました。あの子、性格的に負けず嫌いで、部活でも将棋でも勝ちたかったようです。
「この子、プロとしてやっていけるんじゃないかな」と思ったのは、女流育成会に通っているころです。将棋、卓球、勉強と時間に追われている毎日を、自分なりにとても楽しんで生活しているように思えたからです。
そんな日々を、香奈は計画的に自分の生活リズムを作り、つねにマイペースで過ごしていました。私たちは、彼女の体調管理に気をつけるぐらいでした。
女流育成会を無事1年で終え、中学1年生の10月にプロ、女流棋士になることができました。当時、史上4番目の年少記録と言われ、私のほうがびっくりしたくらいです。(聞き手・石川雅彦)
情報源:asahi.com(朝日新聞社):女流棋士・里見香奈のお母さん 治美さん:3 小6秋から毎週末、深夜バスで東京へ – 天才の育て方 – 教育
2010年3月30日
中学1年生でプロになった香奈(18)は、それなりに騒がれたのですが、実力が評価され始めたのは、2006年、中学3年でレディースオープントーナメントの決勝に進出したときでしょうか。
「中学生の25年ぶり公式戦優勝か」などの話題が先行し、本人も緊張したと思います。三番勝負で、当時の矢内理絵子・女流名人に1勝2敗で敗れましたが、大きな自信になったと思います。
プロになってから、それこそ将棋については私(48)はなにもできません。勝っても負けても鍛えられるわけですから、親に出来るのは万全の体調で対局を迎えさせてやることぐらいです。
香奈は、ほんとうに地元・出雲に育てられていると思います。腕を磨くという意味では、研究会などで男性棋士に直接対局していただける東京か大阪が有利でしょうけど、高校に入るときも迷わず島根県立大社高校を選びました。
香奈は香奈なりに、地方というハンディキャップを克服するため、いろんな工夫をしています。ネット対局をしたり、棋譜データベースを活用したりして、最新情報を追いかけています。高校卒業後も大学には進まず、出雲にいます。
攻めの棋風から、「出雲の稲妻」と呼ばれているようですが、本人は終盤の読み合いにも自信を持っているようです。追いつめられても、時間が迫っても、顔色を変えずに逆転を狙うところは、いかにも勝ち気なあの子らしいです。
そんな彼女だからこそ、のんびりした田んぼがあり、山があり、知人が多い出雲が好きなんでしょう。このあいだも、学校から帰る途中に、応援してくださる近所のおばさんに声をかけられ、お茶をごちそうしてもらったそうです。出雲の雰囲気が、香奈を精神的にリラックスさせていることは間違いありません。
思い返せば、12歳でプロに、16歳で「倉敷藤花」を取り、17歳で女流名人。本人は将来の夢を、「女王、名人、王位、王将、倉敷藤花の5冠を取ること」と言っていますが、私にすれば夢のような話です。これからも緊張する対局がつづくことでしょうから、私の夢は、出雲ののんびりした雰囲気を、家庭内にも漂わせたい。それだけでしょうか。(聞き手・石川雅彦)
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次回からは、最年少三つ星シェフの岸田周三さんです。
情報源:asahi.com(朝日新聞社):女流棋士・里見香奈のお母さん 治美さん:4 のんびりした出雲に育てられている – 天才の育て方 – 教育
ほぉ・・・
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