ふむ・・・
2021.1.7 11:32
2020年の将棋界は藤井聡太二冠(18)の話題に沸いたが、すでに新たな才能も注目され始めている。関西奨励会所属の山下数毅君(12)は、小学6年生にして初段に昇格した、「ポスト藤井」と目される存在。小6で初段になったのは藤井二冠、豊島竜王ら過去に数人しかおらず、傑出した才能の持主だと言える。
村山聖九段や糸谷哲郎八段(32)らトップ棋士を多数育てた森信雄七段(68)の門下生として学んでいるが、師匠の森七段は山下君に期待を寄せつつも「甘い世界ではない」と語る。その理由は、将棋界のあまりに過酷なピラミッドにある。AERA 2021年1月11日号の記事を紹介する。
■過酷すぎるピラミッド
山下君が戦う奨励会は、正式名を「新進棋士奨励会」という。6級から始まるピラミッドを駆け上らなければ、プロの道は拓けない。
二段までは関東と関西に分かれて戦い、三段に昇格すると東西合わせた半年間のリーグ戦でしのぎを削る。四段以上が、正式に「棋士」と呼ばれるプロ。だが四段に昇格できるのは三段リーグの上位2人、つまり毎年4人に過ぎず、26歳という年齢制限もある。
そもそも、奨励会に入ること自体が極めて狭き門だ。小中学生の全国大会優勝者クラスは1次試験を免除されるが、基本的に師匠(棋士)が実力を認めて推薦したり、下部組織の研修会(関東、関西、東海、九州、北海道)で好成績を収めたりしないと受験すら叶わない。
入会試験は例年、8月に3日間かけて行い、2日間かけて受験者同士が対局で潰し合う1次試験を突破すると、面接などの2次試験に進めるが、ここで現役の奨励会員と対局して勝てないと合格できない。
この難関をくぐり抜けた精鋭同士が戦い、篩(ふるい)から落とされずに昇級を繰り返す難しさについて、将棋ライターの松本博文さんはこう語る。
「奨励会入会の難易度は東京大学合格と同程度のイメージです。毎年東西合わせて20人前後が入会、そのうち三段リーグを抜けるのが毎年4人。東大生が必死に競い合って5人に1人しか卒業できないような、厳しい世界だと思ってもらって間違いないでしょう」
■「鬼の棲み家」紆余曲折
プロでタイトルに手が届くような活躍ができるのは、その中でも一握り。最年少記録を更新するような才能は、さらにもう一段上の頂にある。
あまりに過酷なプロ棋士への道だが、昭和の半ばまではさらに苛烈だった。
当時、四段に昇段できたのは東西に分かれて行われていた三段リーグの優勝者同士による東西決戦の勝者だけ。東西決戦の敗者復活戦の勝者が四段昇段できた年も何年かあったが、基本的にこのスタイルが1974年まで続いた。この時代に棋士になった代表格が、中原誠十六世名人(73)と故・米長邦雄永世棋聖だ。
「財政的に苦しかった日本将棋連盟が棋士の数を絞るために採用していた制度ですが、あまりに厳しすぎること、また経営状況が好転したことから、リーグ戦を廃止し、基準の好成績を収めれば何人でも四段に昇段できると規定も緩めたのです」(松本さん)
羽生九段や佐藤康光将棋連盟会長(51)、永世名人資格を持つ森内俊之九段(50)ら羽生世代の強豪の多くもこの時代に次々とプロ入りを決めた。しかし80年度には8人も棋士が誕生するなど逆に数が増えすぎたとの批判もあったといい、87年に突然三段リーグが復活、現行規定に落ち着いた。
くしくもこの制度復活で最も割を食ったのが、昇段を狙える好成績を収めていた杉本昌隆八段(52)と言われている。弟子の藤井二冠が1期で駆け抜けた三段リーグを抜けるのに、杉本八段は7期を要した。
その後も「鬼の棲み家」と喩えられる三段リーグでは悲喜こもごもの名勝負が繰り広げられ、数々の「天才少年・少女」たちがのみ込まれていった。
森七段は、過去の弟子たちと山下君を比較してこう話す。
「村山君は将棋が人生そのものだった。糸谷君は際どい終盤の一瞬で逆転するスリルを好む。山下君は自分の路線を開拓して、今までいなかったようなタイプの棋士になってほしいですね」
(編集部・大平誠)
※AERA 2021年1月11日号より抜粋
情報源:天才たちをのみ込む「鬼の棲み家」…将棋界のあまりに過酷なピラミッド 「ポスト藤井」を待つ厳しい世界〈AERA〉(AERA dot.) – Yahoo!ニュース(コメント)
情報源:天才たちをのみ込む「鬼の棲み家」…将棋界のあまりに過酷なピラミッド 「ポスト藤井」を待つ厳しい世界 〈AERA〉
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