堂林翔太内野手

【堂林翔太ロングインタビュー】<下> | 広島東洋カープ | 中国新聞デジタル

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2020/4/5

堂林翔太内野手
堂林翔太内野手

■ファンの声援、すごくありがたいこと

―キャンプではファンからの声援が人一倍大きく、あらためて人気の高さを感じました。

それはすごくありがたいこと。僕の中では(昨年9月12日にマツダスタジアムであった中日戦で)サヨナラ打を打った時、(スタンドで)泣かれている方を見た。すごく自分にくるものがあった。今年こそは、と思う。喜んでもらえる数を増やせればいいかな。

―今季から朝山東洋打撃コーチが初めて1軍を担当しています。
僕も1軍、2軍を行ったり来たりしていたので、東洋さんが分かっている部分が多いと思う。声を掛けてもらうと落ち着く部分がありますね。

―どういった点を指導されていますか。

技術的なことですよね。単純にこうなっているから、こうだねと。細かいところではなくて、シンプルでさっと言ってくれる。ズドンと言ってきてくれて、ぐっと来るものがある。意識しやすいですね。僕に関しては1年目から見てもらっている。悪い時の自分も分かっている。

―今季はどういう目標を掲げて臨みますか。

1年間、1軍にいることがまずは最低条件。その中で優勝に貢献したい。(2016
~18年のリーグ)3連覇はなかなか輪には入れていなかった部分があった。胴上げの瞬間はベンチにいた時もある。(16年の)東京ドームは1軍にいた。(18年の)マツダスタジアムは1日前に(出場選手登録の)抹消になった。でも呼んではもらった。複雑な気持ちだった。3年間はどう活躍したというのはないですから。優勝に貢献して、最後はグラウンドに立っていたいですね。

■苦しみ、あがいた11年。落ち着いた表情が印象的

【編集後記】1軍デビューを果たし、全試合出場した2012年から8年。今もファンから受ける声援の大きさはチーム1、2である。「プリンス」という愛称がついた当時
を尋ねると、胸の内を明かしてくれた。「あの時は自分もガキだった。周りも見えていなかった」
近年のカープブームの前だった。Bクラスが続き、マツダスタジアムでは空席が目立つ試合も少なくなかった。そんな中で現れた3年目の21歳に、スター候補として報道陣が殺到した。

チーム最多の14本塁打をマークした打撃は華がある。一方で150三振と29失策はリーグワースト。厳しい質問をしたこともあった。「いろんな人が入れ代わり立ち代わりで。ここまで聞くかって当時は思っていた。人間不信になりかけた」。笑顔で振り返るのは、苦楽を味わった経験をしっかりと受け止めているからだろう。

シーズン中は「(先発から)外してくれと思っていました」と打ち明ける。しかし、そんな弱音は決して吐かなかった。心の支えとなったのは野村謙二郎監督の言葉という。打てまいがエラーしようが弱いところを見せるな―。「きつかったですけど、唯一の救いだった」

あれから苦しみ、悩み、あがいて、11年目の春を迎える。3児の父にもなった。「決して悪い時間ではなかった。何もかも自分にはプラスだと思う」。決意を語る堂林の落ち着いた表情と穏やかな口調が印象的だった 。(川手寿志)

どうばやし・しょうた 1991年8月17日生まれ。183センチ、88キロ。右投げ右打ち。愛知県豊田市出身。愛知・中京大中京高3年時に「エース兼4番」として夏の甲子園で優勝。ドラフト2位で2010年に入団した。3年目の12年に1軍に抜てきされ、全144試合に出場し、打率2割4分2厘、チーム最多の14本塁打をマーク。日本代表にも選ばれた。13年、背番号「13」から、野村謙二郎監督が現役時代に着けていた「7」に変更。同年以降は打撃の確実性を欠いて伸び悩み、出場機会を減らした。

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情報源:【堂林翔太ロングインタビュー】<下> | 広島東洋カープ | 中国新聞デジタル



世間はこんな状況だけど、こんな時だからこそ頑張ってほしい。