なぜ藤井聡太七段は「AI超えの棋士」と呼ばれるのか?

なぜ藤井聡太七段は「AI超えの棋士」と呼ばれるのか? | PHPオンライン 衆知

ふむ・・・


2020年01月30日

史上最年少記録を破りプロ棋士としてデビューし、その後も破竹の勢いで数々の最年少記録を打ち立て続ける棋士の藤井聡太氏。

そんな藤井聡太氏を幼い頃から見守り続けてきたのが、師匠として知られるプロ棋士の杉本昌隆氏。「幼いころ、将棋で負けると盤を抱えて泣きじゃくっていた」と改装回想する同氏の新著『悔しがる力』より、知られざるその素顔にを明かした一節を紹介する。

※本稿は杉本昌隆氏『悔しがる力』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。

藤井聡太からみえる「人間の可能性」

藤井の功績でむしろ私が注目したいのは、日本将棋連盟がその年度に功績を残した棋士に与える第46回将棋大賞(2019年4月発表)の将棋の内容です。藤井は記録部門で「勝率1位賞」とともに、選考部門で「升田幸三賞」を受賞しました。

ちなみにMVPにあたる最優秀棋士賞は、2018年度に2つのタイトルを獲得し、名人への挑戦権も獲得した豊島将之二冠でした。

升田幸三賞は、一生をかけて数々の独創的な戦法を編み出した昭和の名棋士、升田幸三実力制第四代名人にちなんで創設された賞です。アマチュアにも優勝の可能性があるところが特徴です。

対象となったのは、竜王戦ランキング戦5組決勝で藤井が石田直裕五段を相手に指した「7七同飛成」という一手でした。戦法ではなく、一つの手が対象となるのは異例です。

藤井が不利と思われていた局面で、強力な飛車を相手の歩と交換して相手玉に迫るという、まさに「肉を切らせて骨を断つ」一手でした。

相手を窮地に追い込む勇猛果敢な踏み込みと、その後に続く針の穴を通すかのような精密な寄せ。見ていた棋士も驚愕の大技でした。間違いなく将棋界の歴史に残る一手であり、誰もが納得の受賞です。

なお、AIにこの数手前を検索させてもなかなか7七同飛成までたどり着きません。これは「全幅検索」ですべての手を読むAIと、「大局観」によって最善手を絞り込める人間との差です。

日常ではAIの膨大な演算能力に人間の感性はかなわないことがほとんどです。しかし藤井聡太は違う。一点で絞り込んで唯一の勝ち筋を見つけ出しました。藤井が「AI超えの棋士」と言われる所以です。

彼を見ていると、人間の可能性を感じます。

まわり道する才能

最近、藤井が奨励会に入る前の8、9歳の時の棋譜を見る機会がありました。藤井本人が手書きで書いた研修会の棋譜です。

平手で中学生を相手に指した将棋、私と駒落ちで指した将棋もありました。数局を見ましたが、どれもとても刺激的でした。

レベルが非常に高く、相手は全く付いていけないまま圧勝しています。さまざまな勝ちパターンを持っていますが、いずれも勝ち方が鮮やかで華麗です。

まっすぐ狙うのではなく、跳ね返りを計算して勝つ指し手が目立ちます。銃を撃って跳弾を利用して当てるような戦い方は、見ているだけでスリリング。子どもなので計算はしていません。おそらく単にそんな将棋が好きなのでしょう。

駒を捨てる手が多いのは、明らかに詰将棋の影響です。普通に守っていれば勝つところを、わざわざ危なっかしい勝ち方をする。だから安定感はありません。相手がプロなら咎められてしまう(相手の緩手などを見逃がさず、攻める)ところです。

しかし、その手が浮かぶのは間違いなく才能です。棋士10人に見せて1人も予想しないような勝ち方でした。

私見ですが、藤井のタイトル挑戦だけに絞って考えた場合、若さを武器にこのころのアクロバティックな将棋に終始したほうが、早く実現できていたかも、と思うことがあります。

極端に言えば、将棋は「終盤で相手に一回間違えさせたら自分の勝ち」。指し手の良し悪しを別にして、相手の意表を突くことで動揺やミスを誘発しやすいからです。

ただ、それでは安定感がなく、勝つための精度も低いでしょう。挑戦まではできても、その先は届かないかも知れません。

藤井もわかっているのでしょう。インタビューでよく「自分の力ではまだ足らない」と答えています。これは目先にこだわっていない、かなり先を見据えた発言と見ます。

最近、藤井の将棋が変化しています、一言で言えば「かなり渋く」なりました。守りも得意になり、じりじりとしたもみ合い、我慢比べをしているのをよく見ます。言わばマイナーチェンジ。勝ちパターン、芸域を増やそうとしているともいえます。

藤井がタイトルに挑戦する時は、過去の若い挑戦者とはまた違う、万全の実力を身に着けた状態で来るはずです。

遠くを見れば目の前に気を取られない

有名人は、普通ではありえないストレスにさらされています。そうした状況に抗して平常心を保つのは簡単なことではありません。

藤井は棋士生活との両立が可能な高校に通っています。高校二年生で、進学についても考えなければいけない時期です。

気疲れという点では他人の比ではないはずです。棋士ですから、年齢に関わらず、公の場でも将棋連盟の職員からも「藤井先生」と呼ばれます。

一方で街を歩いていると「藤井くん!」と声を掛けられたり写真や握手やサインを頼まれたりします。対局で移動中の時もあるでしょう。プライベートの時もあるでしょう。できれば手加減してほしいな、と思います。

若いということもあるでしょうが、どうも声を掛けやすい雰囲気が出ているようです。でもこれが藤井の人気の理由でもあるのでしょうけど。

私は以前、「変装したらどう?」と藤井に提案したことがありましたが、「バレたらもっと恥ずかしいので」とあまり乗り気ではなさそうでした。それもそうですよね……。

脳のスタミナは目に見えない武器。将棋盤の前では決して疲れないのも藤井の特徴です。「今日は疲れたので」「将棋の調子が悪いからこの辺りでやめておきます」、ときに多くの少年たちが口にする弱気な言葉。昔から藤井には全く無縁でした。

お正月のお昼に一門で集まった研究会。新年なので室田伊緒女流二段や他の弟子たちに手伝ってもらい、晩御飯は鍋にしました。

食事が終わり普通はそこで解散ですが、兄弟子と藤井の間で再び研究会が始まります。最後はリクエストに答え、学校の先生のように藤井の講釈が始まり、それを皆で聞き入る場面もありました。

ふと気がつくと終電間近。夢中になりすぎて家への連絡を忘れたようで(これは私にも責任がありますが)お母さんが心配して、私の携帯に電話をかけてこられたほどでした。

前にも書いたように、使命感に駆られての取り組み方には見えません。「次回の対局のシミュレーションに」という目先の結果を求める様子もありません。

その思考法は「将棋の真理を追究する」が一番近いのでしょうが、集中しながらもどこかリラックスしているよう。

結果を追い求めない方が結果を出せる、藤井を見ているとそんな言葉が浮かんできます。

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