●木村一基(きむら・かずき)/1973年生まれ、千葉県出身。23歳でプロ入りし、初のタイトル戦は2005年の竜王戦。そこから計7回のタイトル戦に挑み、19年の王位戦でタイトルを獲得。46歳3か月で初タイトル獲得最年長記録を更新した。師匠は故・佐瀬勇次名誉九段(撮影/写真部・張溢文)

中年の星・木村一基王位が語った46歳で初タイトル「私は将棋しかできない」 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

ふむ・・・


2019.10.31 11:30

●木村一基(きむら・かずき)/1973年生まれ、千葉県出身。23歳でプロ入りし、初のタイトル戦は2005年の竜王戦。そこから計7回のタイトル戦に挑み、19年の王位戦でタイトルを獲得。46歳3か月で初タイトル獲得最年長記録を更新した。師匠は故・佐瀬勇次名誉九段(撮影/写真部・張溢文)
●木村一基(きむら・かずき)/1973年生まれ、千葉県出身。23歳でプロ入りし、初のタイトル戦は2005年の竜王戦。そこから計7回のタイトル戦に挑み、19年の王位戦でタイトルを獲得。46歳3か月で初タイトル獲得最年長記録を更新した。師匠は故・佐瀬勇次名誉九段(撮影/写真部・張溢文)

王位戦の後、記者から、支えてくれた家族への思いを問われると、こみ上げる思いを抑えられず涙した。

46歳3か月。木村一基“新”王位が初のタイトル獲得に要した時間だ。それまでの37歳6カ月だった初タイトル最年長記録を46年ぶりに塗り替える偉業だった。

「ストレート負けをしないようにということを考えました」

タイトル戦に臨んだ心境について、こう答えた。謙遜ではなく本音だろう。言葉の裏には過去の苦い経験がある。

*  *  *
王位戦から数週間後、木村王位に改めてタイトル獲得後の涙について思いを聞いた。

「知っている記者の方だったんですけど、ファンの方への思いを質問されると思っていたら家族のことを聞かれまして。つい先日、娘から『3年前にタイトル戦で負けたときは、お母さん泣いていたんだよ』ということを聞いていました。王位獲得直後には知りませんでしたが、家族にもいろいろと苦労をかけていることは感じていたので、思わず泣いてしまいました」

しんみりとした空気が、部屋に漂う。すかさず、木村王位がこう話した。

「でも私が対局しているときに、私だけ置いて家族旅行をしていたことを思い出していたら泣かなかったと思います。あの場でそれを思い出せなかったのが、私の一生の不覚です(笑)」

照れ隠しにそう言って笑いを誘った。将棋を始めたのは幼稚園のころだ。近所に住む同い年の友だちに誘われて初めて駒に触れた。最初は動かし方もわからなかったが、すぐに夢中になった。

「母が本をみながら、ルールもうろ覚えの状態で相手をしてくれました。100局以上はやったと思います。でもすぐに母が付き合いきれなくなって。近くにある将棋教室に連れて行ってくれました」

大人たちに混ざって将棋を続けたが、対局しても0勝10敗は日常茶飯事だった。対局相手も、実力が拮抗していないと面白くない。次第に相手をしてくれる大人は減っていったが、それでも面倒見のいい人を見つけては、対局を繰り返した。

転機となったのは、小学校低学年のときだ。いつも相手をしてくれる大人に連れていかれた将棋教室で、のちに師匠となる故・佐瀬勇次名誉九段と偶然対局することになった。

「当時の私は初段あるかどうか。特別強いわけでもありませんでしたが、その時点で師匠から『うちへ来い』と言われました」

小学校低学年にして佐瀬名誉九段に弟子入りした木村王位。小学校6年の時にプロ棋士の養成機関「奨励会」に入会すると、中学2年にして二段になるなど、順調にプロへの階段を駆け上がった。17歳で三段に昇段し、プロ入りの条件となる四段に王手をかけた。

ところが、そこからが長かった。“最難関”といわれる三段リーグから勝ち抜けるのに6年半かかった。将棋協会には年齢制限があり、26歳でプロになれなければ退会となる。

「歳を重ねるごとに、この世界で生きていく寿命が削られていくわけですから、誕生日がくるのが嫌でした。歳下の後輩たちがプロ入りしていくのは屈辱的でもありました」

四段昇格を果たしたのは23歳のときだった。

「プロになる人のなかでは遅い方だと思います。この世界は年齢が若いことが評価される。私もその評価は正しいと思っていましたので、この先活躍することは厳しいだろうと覚悟していました」

その思いとは対照的に、プロ入り後は順調に順位戦のクラスを上げていった。奨励会は一局の持ち時間が1時間半しかなかったが、プロの棋戦はほとんどが短くても3時間はある。戦略をじっくり考えられることも、研究家の木村王位にとってはプラス材料だった。高い勝率を維持し、32歳となった2005年に、初のタイトル挑戦となる竜王戦に挑んだ。

タイトル戦は、タイトル保持者と挑戦者が5番あるいは7番勝負で争う。この挑戦権を得るまでがいばらの道だ。例えば05年の竜王戦では、木村王位はランキング戦で決勝トーナメントへの出場権を獲得し、さらに11人で争われるトーナメントで優勝して、はじめて竜王への挑戦権を得た。つまり、タイトル戦に挑めるだけですごいことなのだ。

だが、ここで大敗を喫した。当時の渡辺明竜王に4連敗を喫し、3戦を残して敗れた。当時の悔しさをこう語る。

「2連敗したあたりから『もしかすると4連敗するのではないか』という恐怖があったのですが、本当にその通りになってしまった。乱暴な言い方ですが、4連敗なら誰でもできます。不甲斐ないというか情けないというか…」

あまりの悔しさから、タイトル戦が終わった直後の飲み会で記憶をなくすほど酒を飲んだ。ふと我に返ったのは翌朝、ホテルのベッドから転げ落ちたときだった。

ただ、その後も順調にタイトル戦への挑戦権を得ていく。08年の王座戦、09年の王位戦、棋聖戦、14年の王位戦、16年の王位戦。挑戦すること14年間で6回。いつしか、木村王位には「中年の星」として多くのファンがついていた。その実力を誰もが認めていたが、それでも、タイトルにあと一つ手が届かない。

「なぜ勝てないんだ」という思いが募った。

「成長を諦めかけたことは何度もあります。『頑張っても、もう限界かな』って。トーナメント以外で仕事をしていこうと考えたこともあります」

30代半ばを過ぎた10年ほど前からは、衰えも感じ始めていた。

「これが最後のチャンスになるだろう」

そう考えて臨んだ16年の王位戦では3勝するも、あと一歩のところで6度目の挑戦は実らなかった。翌年には藤井聡太四段(当時)が15歳にしてデビュー以来破竹の29連勝の新記録を樹立。新たな若手も台頭してきていた。

そして19年、3年越しに巡ってきたタイトルのチャンス。相手は17歳下の29歳、豊島将之名人。3勝3敗で迎えた第七局。その重みを感じているのだろうか、記録係が行う先手・後手を決める振り駒はいつもより長いようだった。将棋はわずかながら先手が有利だとされている。ファン・報道陣らが固唾をのんで見守ったなか、木村王位は目を閉じていた。

「なるようになる。最後は運命だ」

木村王位は開き直っていた。振り駒の結果は後手。動揺はなかった。対局は、いつも通り序盤は時間を使わず終盤にたっぷり持ち時間を残す豊島名人に対し、木村王位は最初から時間を使ってゆく。対局途中では、両者の持ち時間には最大3時間もの差がついたが、木村王位は自分のスタイルを曲げなかった。

2日間、14時間以上におよぶ対局を制した木村“新”王位。史上最年長に加え、7回のタイトル挑戦をへての初タイトルも史上初だ。涙の悲願達成は、木村王位の座右の銘「百折不撓」(ひゃくせつふとう)のまさにそれだった。

「思いを持ち続けることができたのはよかった。諦めかけたことは何度もありましたが、やはり私は将棋しかできない」

情報源:中年の星・木村一基王位が語った46歳で初タイトル「私は将棋しかできない」〈dot.〉(AERA dot.) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:中年の星・木村一基王位が語った46歳で初タイトル「私は将棋しかできない」 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)


へぇ・・・