<広島>大勢の報道陣の前で引退会見する赤松。後方には菊池涼と松山の姿も(撮影・奥 調)

広島・赤松 引退会見に菊池涼らの姿「闘病中にうっとうしいくらい連絡してくれて…」

赤松選手の引退会見、試合は台風接近により中止


2019年9月22日 15:02

<広島>大勢の報道陣の前で引退会見する赤松。後方には菊池涼と松山の姿も(撮影・奥 調)
<広島>大勢の報道陣の前で引退会見する赤松。後方には菊池涼と松山の姿も(撮影・奥 調)

広島・赤松真人外野手(37)は22日、マツダスタジアム内で引退会見を行った。背番号38のユニホーム姿で会見場に現れて、「あまりこれといった成績も残していないけど、ここまで野球をやれたことは、みなさんの声援のおかげです。ありがとうございました」と感謝した。
17年1月に胃がん手術。会見場には、同僚の菊池涼や松山も姿を見せた。「闘病中は、結構キツイんですよね。外に出たくなかったり…。そのときに菊池がうっとうしいくらいに連絡をしてくれたんですよね。空元気で対応したんですけど、それが一番励みになった」。

きょう22日中日戦での引退セレモニーは、台風17号接近のため代替日の27日に順延された。「僕らしいですよね。(2軍)由宇の最後の試合も雨で中止。今日は今シーズンのマツダで初めての雨での中止。でも、延びてみんなと野球できるのでうれしいです」。

通算867試合、403安打、21本塁打、144打点。

情報源:広島・赤松 引退会見に菊池涼らの姿「闘病中にうっとうしいくらい連絡してくれて…」(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:広島・赤松 引退会見に菊池涼らの姿「闘病中にうっとうしいくらい連絡してくれて…」― スポニチ Sponichi Annex 野球


引退会見に臨む広島・赤松真人=マツダスタジアム(撮影・飯室逸平)
引退会見に臨む広島・赤松真人=マツダスタジアム(撮影・飯室逸平)

広島・赤松真人外野手(37)が22日、マツダスタジアムで引退会見を行った。ユニホーム姿で会見に臨んだ赤松は15年間の現役生活を振り返り「15年間すごい長い間であまりこれといった成績は残していないけど、ここまでやれたのは皆さんの声援のおかげなので、本当に感謝してます。」とスッキリとした表情で振り返った。

赤松は2004年度ドラフト6巡目で立命大から阪神に入団。08年に新井の人的補償で広島へ移籍した。25年ぶりにリーグ優勝した2016年の12月に胃がんが見つかり、翌17年1月に手術を受けた。復帰を果たしたものの、1軍昇格は果たせなかった。

引退の決め手については「病気になってからです。引退は覚悟はしてました。引退しようと思ったのは今年に入ってからどうしても出番、起用方法が若手を使わなくてはいけないので、そこで間隔があいた時にパフォーマンスを出せるかと言ったらそうではなかった」と明かした。

一方、病気を経てのプレーに「楽しかったです。ぜいたくな時間でした。本当は病気をして、その後プロの世界というのはなかなかできないことだと思う。2年半やらせてもらったので、ぜいたくな楽しい時間でした」と感謝。そして「野球への思いもそうですし、生きてるだけでいいんだと。本当にそこがメインでした。死んでしまったら元も子もない。普通に生きてきたことに気付かされました」と、しみじみと話した。

10年8月4日の横浜戦では村田のバックスクリーン左への大飛球をフェンスに登りスーパーキャッチ。「あれは運だと思います。今の若い選手はみんなできるぐらいの運動能力がある。ああいう打球が飛んでくる運があるか。あとは練習中に結構遊びでフェンスに登る練習をやっていたので、それが役に立ったのかなと思います」。主に守備や走塁でファンを魅了し続けた。

この日は台風接近のため試合が中止となり、引退セレモニーも27日に延期となった。「僕らしいですよね。由宇(2軍での自身)の最終戦も雨で中止だった。今季マツダで初めて雨で中止と聞いて、みんなと野球する日にちが増えてうれしいです」と笑った。

情報源:広島・赤松真人が引退会見、胃がんで思い「生きてるだけでいいんだ」 好守でファン魅了(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:赤松真人が引退会見、胃がんで思い「生きてるだけでいいんだ」 好守でファン魅了/広島カープ/デイリースポーツ online


2019年9月22日 13時13分

2010年の広島・赤松真人外野手のスーパーキャッチ
2010年の広島・赤松真人外野手のスーパーキャッチ

広島・赤松真人外野手(37)が22日、マツダスタジアムで引退会見に臨んだ。ユニホーム姿で登場すると「15年間、すごく長い間でした。これと言った成績は残していないが、ここまでやれたのはみなさんの声援のおかげです」と感謝を口にした。

赤松は2016年12月に初期段階の胃がんを公表。翌17年1月に胃の約半分を切除する手術を受けた。抗がん剤治療を半年間受け、同7月に3軍合流。昨年3月に2軍の公式戦で実戦に復帰したが、術後の1軍出場はかなわず。今年8月下旬に現役引退を球団に申し入れた。

赤松は07年オフに阪神にFA移籍した新井の人的補償として広島に移籍。10年8月4日の横浜(現DeNA)戦(マツダ)で本塁打性の打球をフェンスをよじ登って好捕し、海外メディアでも「スパーダーマン」と話題になった。同年にはゴールデングラブ賞も受賞し、16年の優勝には守備、代走のスペシャリストとして貢献した。

この日の中日戦(マツダ)が台風17号の接近による中止となり、引退セレモニーは27日にずれ込む見込みだ。「今シーズン、マツダで初めて中止と聞いて、僕らしい。またみんなと野球をする日にちが増えてうれしいです」。ファンに勇気を与えるためにグラウンドに立ち続けてきたスピードスターの最後の雄姿となる。

◇広島・赤松のがん発覚後の経過

▼16年12月15日 健康診断で胃がんが発覚

▼同28日 球団事務所で会見し、病気を公表

▼17年1月5日 広島市内の病院で腹腔(ふくくう)鏡により胃の半分を切除する手術

▼同16日 退院

▼9月18日 チームが甲子園で2連覇を達成し、胴上げに参加

▼11月8日 減額制限(25%)に迫る2700万円で契約更改

▼18年3月18日 ウエスタン・リーグの中日戦(岩国)で公式戦復帰

▼11月12日 2年連続、減額制限に迫る2025万円で契約更改

▼19年9月7日 現役引退を発表

◆赤松 真人(あかまつ・まさと)1982年9月6日、京都府生まれ。37歳。平安高(現龍谷大平安高)2年のセンバツでベスト8。立命大を経て2004年ドラフト6位で阪神入団。FA移籍した新井の人的補償として08年に広島移籍。10年にゴールデン・グラブ賞。通算867試合で打率2割4分9厘、21本塁打、144打点、136盗塁。182センチ、70キロ。右投右打。既婚。

情報源:【広島】胃がんを克服した赤松が引退会見「みなさんの声援のおかげで、ここまでやれた」(スポーツ報知) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:【広島】胃がんを克服した赤松が引退会見「みなさんの声援のおかげで、ここまでやれた」 : スポーツ報知


2019年9月22日 13時25分

赤松真人氏の引退会見を後方から見守った菊池涼介(中央)と松山竜平(左)(カメラ・岩下 翔太)
赤松真人氏の引退会見を後方から見守った菊池涼介(中央)と松山竜平(左)(カメラ・岩下 翔太)

胃がん手術から復活を目指していた広島・赤松真人外野手(37)が22日、マツダスタジアムで引退会見に臨んだ。会見場の入り口付近には、同僚の菊池涼、松山が乱入。闘病しながらグラウンドに立ち続けた先輩の一言一句を胸に刻んだ。

会見途中に赤松は「闘病中はけっこうきつい。外に出たくないんですけど、菊池がうっとうしいぐらいに連絡してくる。それに対して、空元気で対応するんですけど、それが一番励みになりましたね」と後輩の思いやりを懐かしげに振り返った。

カープナインは合言葉のように「家族」と繰り返すように、チームの一体感が赤松を支えた。「いたわってくれるんですけど、接し方がすごく自然。すごくありがたかった」と菊池涼、松山に対してほほえみながら、感謝を口にした。

情報源:【広島】赤松の引退会見に菊池涼、松山が乱入「菊池がうっとうしいぐらいに連絡してくるのが励みになった」(スポーツ報知) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:【広島】赤松の引退会見に菊池涼、松山が乱入「菊池がうっとうしいぐらいに連絡してくるのが励みになった」 : スポーツ報知


2019年9月22日13時31分

笑顔で引退会見を行う広島赤松真人(撮影・前岡正明)
笑顔で引退会見を行う広島赤松真人(撮影・前岡正明)

9月7日、広島は胃がんからの1軍復帰を目指していた赤松真人(37)が今季限りで現役引退することを発表。16年12月に胃がんを患っていることを公表し、17年1月に手術。1軍復帰に向けて戦い続けていた。

◇   ◇   ◇

「がんの人のために続けるより、僕は大盛のためにやめたい」

いつだったか、赤松が吹っ切れたように話した言葉が忘れられない。大盛は、昨秋ドラフト入団選手でただ1人の育成選手。今季の支配下登録は見送られたが、2軍の成長株だ。球団の支配下登録は、7月29日にサンタナが加わり上限の70人に達した。自分が身を引かなければ、若手のチャンスを奪ってしまう。そんな思いが膨らんでいた。

広島赤松真人の引退会見を笑顔で見守る松山竜平(左)と菊池涼介(撮影・前岡正明)
広島赤松真人の引退会見を笑顔で見守る松山竜平(左)と菊池涼介(撮影・前岡正明)

胃がん切除手術を受けた赤松が現役を続けてこられた理由の1つは、同じ病気と闘う人を勇気づけたいと思ったからだ。2人に1人ががんになるといわれる時代。そうと分かった人がどれほどショックを受け、死の恐怖と闘い、家族も苦しむか。それがわかるから、闘う「同志」のためわが身にむち打ってきた。

プロ野球選手は1日5000キロ~6000キロカロリーが必要といわれるが、今でも「小4の息子より食べられない」と笑う。梅干し1個を食べただけで、嘔吐(おうと)することもあった。小学生並みのカロリー摂取で、ヘビー級アスリートのパフォーマンスを求められる。ありえないハンディキャップを背負ってきた。

広島の赤松真人(2017年9月7日撮影)
広島の赤松真人(2017年9月7日撮影)

1軍には届かなかったが、すべてやり切った。手術から2年半。がん患者より後輩の将来を思う赤松に、決断の重さと、プロ野球選手のプライドを見た。【広島担当=村野森】

◆赤松真人(あかまつ・まさと)1982年(昭57)9月6日生まれ、京都府出身。平安(現龍谷大平安)から立命大を経て04年ドラフト6巡目で阪神入団。07年オフにFA移籍した新井貴浩の人的補償で広島へ移籍。外野守備の名手として存在感を示し、10年にゴールデングラブ賞を受賞。17年1月に胃がん摘出手術を受け、復帰を目指してきた。182センチ、70キロ。右投げ右打ち。

17年9月18日、阪神対広島 2年連続リーグ優勝を決め手を振る赤松(左)と菊池
17年9月18日、阪神対広島 2年連続リーグ優勝を決め手を振る赤松(左)と菊池

情報源:がんの人のために続けるより、大盛のためにやめたい(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:がんの人のために続けるより、大盛のためにやめたい – プロ野球 : 日刊スポーツ


胃がんから復活のカープ赤松選手が現役引退会見
胃がんから復活のカープ赤松選手が現役引退会見

2019/09/22(日) 18:19

今シーズンで現役を引退するカープの赤松真人選手が、きょう記者会見に臨みました。

【赤松選手】「15年間すごい長い間ですが、あまりこれといった成績は残せていないが、ここまで野球がやれたのは皆さんの声援のおかげなので、本当に感謝しています」

また、赤松選手は胃がんの手術から見事に復活した経験を踏まえ、若手選手にエールを送っていました。
【赤松選手】「みんなプロ野球選手は悩んでいるが、その悩みは病気に比べるとちっぽけなものだというのは僕からしたらあるので、今悩んでいることをもう少し払拭して、チームの勝利に貢献してシンプルにやってほしい」

赤松選手の引退セレモニーは、雨のため今月27日に延期されています。

情報源:胃がんから復活のカープ赤松選手が現役引退会見(テレビ新広島) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:胃がんから復活のカープ赤松選手が現役引退会見 | 広島ニュースTSS | TSSテレビ新広島


カープの赤松選手が引退会見に臨み、家族やチームメイトへの感謝を述べました。

赤松真人選手「家族、チームメイト、ファンの皆さんも、すべてですね、そういった方々がおられなければやっぱり、野球は続けてこられなかったと思います。」

赤松選手は、プロ4年目の2008年にカープの一員となりました。
3年前、25年ぶりの優勝に貢献しましたが、そのオフに胃がんが発覚。
闘病生活を経て、一軍復帰を目指していました。
しかし、この夏、体の衰えなどを理由に現役引退を決断しました。

会見後は、一軍練習へ元気に参加。
盟友・菊池選手と、1球1球かみしめるようにキャッチボールしていました。
赤松選手の引退セレモニーは22日の試合が中止となったため、27日に開かれる予定です。[2019.9.22 18:06]

情報源:カープ赤松真人選手が引退会見(RCC中国放送) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:カープ赤松真人選手が引退会見|RCCニュース


2019/9/22

晴れやかな顔で引退会見する赤松(22日午後1時11分、マツダスタジアム、撮影・山崎亮)
晴れやかな顔で引退会見する赤松(22日午後1時11分、マツダスタジアム、撮影・山崎亮)

今季限りでの現役引退を表明した赤松が22日、広島市南区のマツダスタジアムで会見に臨んだ。引退セレモニーが予定されていた中日戦は台風接近のため中止。セレモニーは27日の代替試合で開かれる。会見の一問一答は次の通り。

―ファンへの報告と今の気持ちを教えてください。

15年間、すごく長い間だった。これといった成績は残していないが、ここまで野球をやれたのは皆さんの声援のおかげ。本当に感謝している。

―現役生活は長く感じましたか。

病気になるまでは早かったが、病気になってからはすごく長く感じた。

―引退はいつから頭にあって、何が決め手になりましたか。

病気になってから引退を覚悟していた。決心したのは今年に入ってから。(首脳陣は)若手を使わないといけないので、そこで間隔が空くときに自分のパフォーマンスを出せなかった。そこですね。

―復帰して、これができなかったというのはありますか。

反応。よーいどんで走る練習や自分のペースでできる遠投は、そこまで落ちたとは思わないが、とっさのプレー。野球は相手に合わせるプレーで、それがゼロコンマでも遅れると致命傷になる。そこが一番、力が衰えた。

―もどかしさは感じていましたか。

これは仕方がないことだと思う。病気になったからではなく、年齢がそうさせた。何も言い訳することもない。

―家族にはどのタイミングで伝えましたか。

自分で結構前から意識していたが、その時は家族には言わなかった。正式に球団から(来季の去就について)言われた時、自分から決断したと言った。タイミングとしては結構遅かった。発表より前だけど、それぐらいだった。

―言いにくかったですか。

言えなかった。一番近くで支えてくれたので言うタイミングが難しかった。

―家族や支えてくれた人への思いは。

本当にありがたい。(妻と)結婚し、病気になってからは特に食生活などに気を付けてもらった。本当に感謝している。

―雨で引退セレモニーが延びました。

僕らしい。(ウエスタン・リーグの)由宇の最終戦も雨で中止になった。今季マツダスタジアムで初めての中止と聞いて、すごいなと。みんなと野球をする日が増えてうれしい。

―阪神の3年間を振り返ってどうですか。

すごい先輩がいた。精いっぱいだった。練習についていくのが。1軍の試合にも出たが、本当に無我夢中というか周りが見えていなかった。もう少しリラックスすれば良かった。

―広島に来て一番良かったことは何ですか。

自由にさせてくれた。長所の思い切りの良さを重視して伸ばしてもらった。阪神でも伸ばしてもらったけど、思うように動かなかった部分があった。(広島では)思うように動けたのが一番。

―広島に移籍して規定打席に到達した年もありました。そこで何か変化がありましたか。

レギュラーで毎年打率3割以上を残している選手のすごさが、改めて分かった。1軍で長いシーズンで打って、2年、3年とレギュラーを張る人と比べて、まだまだ僕なんてと思った。僕はある程度(の成績)しか、いけなかった。

―2010年にはフェンスによじ登って本塁打性の当たりをキャッチするプレーがありました。

ああいう打球が来てくれる運だと思う。遊びながら練習中にフェンスに登っていたことも、役に立ったのかな。今の若い選手だったら、できるだけの運動能力があると思う。

―キャリアの後半はチームプレーの意識が高くなりました。

それまでは個人だった。レギュラーの時は打率や盗塁、守備をメインで考えた。代走・守備固めになると、よく野球とチームが見えてきた。もう少し早く、レギュラーを取ろうとしている時にこういう心理があれば、パフォーマンスは高まったのかなと思う。代走・守備固めになって自分を犠牲にしてチームのためにできると感じた。

心から勝ち負けに喜び、悔しがることもできた。それまでは自分が打って試合に負けても悔しさが薄かった。(重きを置いたのは)個人の成績だったので。それが盗塁や好守をしても、チームが負けると悔しくなった。

―相手の癖を調べたメモを仲間に見せていました。

それを教えてチームのプラスになればいいと思ってやっていた。

―16年にリーグ制覇した時の気持ちを教えてください。

最高でしたね。一番うれしかった。最後は東京ドームで左翼を守って、(打球が)飛んできたら一生残るわけじゃないですか。名を残したい、映像を残したいと思ったけど、うまくいかなかった。

17年は申し訳なかった。病気だったので。実際に戦っている土俵が違った。みんなは野球で戦っていたが、僕は病気と闘っていたので。本当に申し訳ないな、ここにいていいのかなと思った。

―闘病生活を経て、野球への思いは変わりましたか。

野球への思いもそうだし、生きているだけでいいんだと。野球は二の次ではないが、死んでしまったら元も子もない。まずは普通に生きてきたこと(のありがたさ)に気付かされた。家族、チームメート、ファンも全て。そういった方がいなければ、野球を続けられなかった。

―一番うれしかった励ましは何でしたか。

闘病中は結構きつい。外に出たくない。(会見場の)後ろにいる菊池がうっとうしいぐらい電話してきて、それをから元気で対応する。それが一番励みになった。(菊池は)すごいですよ。何て言ったらいいかな。すごく自然に接してくれたのでありがたかった。みんなが普通に扱ってくれる。(復帰後もチームに)スムーズに入れた。

―今後のチームへの思いは。

僕もシーズン中は結果で心理的に左右された。ただ今の若い選手に対して、「俺と同じ病気になればどうや」と結構言う。そしたらみんな病気の方が大変だというのは分かる。僕も病気になって初めて気付いた。普通に悩んでいることは、ぜいたくな悩みでもある。

高いレベルでプロ野球選手は悩んでいると思うけど、病気に比べたらちっぽけなもの。悩みを払拭(ふっしょく)して、チームの勝利に貢献するためにシンプルにやってほしい。

―病気になった後の野球人生は楽しかったですか。

楽しかった。ぜいたくな時間だった。プロの世界で2年半もやらせてもらった。

―ファンへ一言。

長い間応援ありがとうございます。今後は何をするか全然決まっていないが、恩を少しでも返せるようにやっていきたい。

―家族に引退を伝えた時の反応は。

僕が決めたことで納得してもらえた。子どもに伝えるのには時間がかかって、家庭に変な空気が流れた。妻にはお疲れさまと言ってもらえた。子どもは「辞めるん」と。それだけ。「ずっと一緒にいられるんでしょ」と言っていた。

―プロ野球人生を振り返って後悔はありますか。

後悔というより、病気になったことで気付かされたことが多いので。早いうちに病気になって良かったと考えている。がんは年齢を重ねてからなると思っていたが、それが34歳で見つかった。しかもプロ野球選手でありながらだった。これからというところで見つかったので、すごくショックだった。でもそこで食事など生活改善ができたことは良かった。

―自分のプレーでがん患者を勇気づけたいと言っていましたが、引退後はどう携わりたいですか。

もちろん携わりたいが、どうすればいいか分からないので、皆さんの力を借りたい。

情報源:赤松外野手の記者会見の一問一答 「病気になって気付かされたこと多い」 | 広島東洋カープ | 中国新聞デジタル


2019/9/22

「ここまで野球をやれたのは皆さんの声援のおかげ」とファンへの感謝を述べる赤松
「ここまで野球をやれたのは皆さんの声援のおかげ」とファンへの感謝を述べる赤松

今季限りでの現役引退を表明した広島の赤松真人外野手(37)が22日、広島市南区のマツダスタジアムで記者会見した。

2016年オフに胃がんと分かり、17年1月に切除手術。以降は1軍復帰を目指していたが、かなわなかった。引退セレモニーが予定されていた同日の中日24回戦は、台風17号接近のため中止。代替試合がある27日に改めて行われる。

赤松は08年に阪神から加入し、10年にゴールデングラブ賞を受賞。通算成績は867試合出場で403安打、21本塁打、136盗塁、打率2割4分9厘だった。

▽「生きているだけでいい」

病に勝ち、再び1軍の戦力になる―。そんな困難に挑戦した赤松が、ユニホームを脱ぐ決心をした。「反応やとっさのプレー。その力が一番衰えた。病気になったからではなく、年齢がそうさせた」。手術やリハビリを経て懸命に復活を目指したが、俊足・好守の選手として最も大切にした能力が戻らなかった。

復帰当初はすぐに疲れ、食欲もなく、全盛期のような動きはできなかった。実戦復帰後の2018、19年のウエスタン・リーグでわずか計7盗塁。ただ若手と汗を流した2シーズンは充実していた。「楽しく、ぜいたくな時間だった」。日焼けした頬を緩ませた。

大病を経験し、多くのことに気付いた。「生きているだけでいい。死んでしまったら元も子もない。野球選手は高いレベルで悩んでいると思うけど、病気に比べたらちっぽけなもの」。そう言って何度か、悩める若手の肩をたたいた。

闘病中に励みになったことを問われると、会場の後ろに目をやった。そこには記者に交じって会見を見つめる菊池の姿が。「うっとうしいぐらい菊池が電話をしてきて、から元気で対応した。それが一番励みになった」。会見後は自らを慕った後輩との別れを惜しむように、グラウンドでキャッチボールした。(上木崇達)

情報源:引退の赤松選手が記者会見 | 広島東洋カープ | 中国新聞デジタル




寂しくなるな・・・