「炎のストッパー」広島の元投手 津田恒実さん記念館オープン

津田恒実さん記念館オープン

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「炎のストッパー」広島の元投手 津田恒実さん記念館オープン
「炎のストッパー」広島の元投手 津田恒実さん記念館オープン

2019年5月30日 17時13分

「炎のストッパー」と呼ばれ、32歳の若さで亡くなったプロ野球、広島の元投手、津田恒実さんのゆかりの品を紹介する記念館が、広島市のマツダスタジアム近くにオープンしました。

津田恒実さんは、広島で抑えの投手として活躍し、持ち前の速球で真っ向勝負を挑むピッチングスタイルから「炎のストッパー」と呼ばれてファンに親しまれましたが、脳腫瘍のため、平成5年に32歳の若さで亡くなりました。

記念館は、息子の大毅さんがインターネットの「クラウドファンディング」で寄付を集めるなどして、JR広島駅からマツダスタジアムに通じる通称「カープロード」沿いにオープンさせました。

初日の30日はファンなどおよそ150人が集まり、大毅さんが「父は短い生涯で展示は多くはないが生きた証しが詰まっている。カープファン、津田ファンの憩いの場となってほしい」とあいさつしました。

記念館には、津田さんのユニフォームやトロフィーのほか、座右の銘「弱気は最大の敵」と書かれた直筆のボールなど、およそ100点が展示され、訪れた人たちはじっくりと見て回っていました。

広島市の40代の男性は「真っ向勝負にいつも励まされていました。記念館が完成してうれしいです」と話していました。

津田恒実さんとは

津田恒実さんは山口県出身で、昭和57年にドラフト1位で広島に入団し、1年目から11勝を挙げて、新人王を獲得しました。

その後は故障に苦しみましたが、5年目の昭和61年に抑えへ転向すると、22セーブを挙げてチームのリーグ優勝に貢献し、持ち前の速球で真っ向勝負を挑むピッチングスタイルから「炎のストッパー」と呼ばれるようになりました。

平成元年には、12勝28セーブの成績で最優秀救援投手に輝くなど活躍を続け、平成3年に引退するまでの10シーズンで、通算49勝90セーブの成績を残し、多くのファンに親しまれました。

脳腫瘍のため、平成5年に32歳の若さで亡くなりましたが、平成24年には、野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる野球殿堂入りを果たしています。

北別府さん「自分を鬼にして臨む」

30日、津田恒実さんの記念館には広島のエースとして通算213勝を挙げ、津田さんとともに平成24年に野球殿堂入りした、北別府学さんも訪れました。

北別府さんは、津田さんとの思い出について「ふだんは明るく、優しいところがあったが、試合になると人を寄せつけず、自分を鬼にして臨むところがあった」と振り返りました。

そのうえで「ぜひ多くの人に来てもらい、津田の思い出を見てほしい。特に津田を知らない若い世代、広島県外の人に見てもらいたい」と話していました。

情報源:「炎のストッパー」広島の元投手 津田恒実さん記念館オープン | NHKニュース


津田恒実さん記念館オープン
津田恒実さん記念館オープン

2019年05月30日 18時55分

「炎のストッパー」と呼ばれ、32歳の若さで亡くなったカープのピッチャー、津田恒実さんの功績を紹介する記念館が30日、広島市南区のマツダスタジアム近くにオープンしました。

津田恒実さんはカープで抑えのピッチャーとして活躍し、「炎のストッパー」と呼ばれてファンに親しまれましたが、脳腫瘍のため平成5年に32歳の若さで亡くなりました。

記念館は息子の大毅さんがインターネットの「クラウドファンディング」で寄付を集めるなどして、JR広島駅からマツダスタジアムに通じる通称「カープロード」沿いに30日にオープンさせました。
開館セレモニーには津田さんのファンなどおよそ150人が集まり、大毅さんは「短い生涯で展示は多くはないが、父の生きた証しが詰まっている。カープファン、津田ファンの憩いの場となってほしい」と挨拶しました。

記念館には津田さんのユニフォームやトロフィーのほか、津田さんの座右の銘「弱気は最大の敵」と書かれた直筆のボールなど、およそ100点のゆかりの品が展示されました。

訪れた人たちは津田さんの功績をじっくりと見て回っていました。
広島市の40代の男性は「津田さんの真っ向勝負にいつも励まされていました。記念館が完成しファンとしてうれしいです」と話していました。

記念館には、カープのエースとして通算213勝を挙げ、津田さんとともに平成24年に野球殿堂入りした北別府学さんも訪れました。

北別府さんは津田さんとの思い出について「彼の最後の登板となった巨人戦は僕も投げていたので、一番思い出に残っている。普段は明るく、優しいところがあったが、試合になると人を寄せつけず、自分を鬼にして臨むところがあった」と振り返りました。

そのうえで「ぜひ多くの人に来てもらい、津田の思い出を見てほしい。特に津田を知らない若い世代、広島県外の人に見てもらいたい」と話していました。

情報源:津田恒実さん記念館オープン|NHK 広島のニュース


「炎のストッパー」津田恒美投手記念館 カープロードにオープン
「炎のストッパー」津田恒美投手記念館 カープロードにオープン

2019/05/30(木) 20:05

カープロードに新たな名所の誕生です。32歳という若さでこの世を去った「炎のストッパー」津田恒美さんの記念館がオープンしました。

【加藤アナ】
「マツダスタジアムにつながるカープロードにきょうオープンする津田恒美記念館には、オープン前からファンの皆さんが集まっています」
【津田投手のファンは】
「やっとこの日が来たなと思いますね」
オープニングのセレモニーで挨拶をしたのは、津田投手の長男・大毅さんです。
【津田投手の息子・津田大毅さん】
「父が亡くなって数十年経ちますがいまだに父の事を思ってくださるファンの人がいらっしゃる」
2年前、大毅さんは、自転車で日本一周しながら、記念館設立のため寄付を募りました。
こうして、完成したのが…
【加藤アナ】
「ここがオープンした津田恒美記念館です」
展示されているのは、津田投手の経歴や人柄を表すおよそ100点です。
「こちらに入ってきますとカープではなく高校時代の貴重な資料など残っているんですが、こちらには津田さんが高校時代に実際に書かれた作文も残っているんです。
中身を見ますとやはり高校に入学して野球に打ち込んだ思い出が記されています」
「このようにファンの方々から頂いた手作りの品々や隣には、当時津田さんが使用していたユニホーム、グローブ、さらには肌身離さず持っていたという『弱気は最大の敵」と自身の手で書いたボールが展示されています」

ついに完成した記念館。待っていたのはファンだけじゃありません。
【カープOB・木下富雄さん】
「津田を知らない人たちもカープ女子の中にはいっぱいいると思うんでここの球場に行く時にこういう素晴らしいストッパーがいたんだ。こういう燃えてる男がいたんだという所を感じてほしい」
津田恒美記念館は、年中無休でオープンしています。
【津田大毅さん】
「(Qお父さんが見たら?)少し恥ずかしがってるのかなと思いますけどね。応援してくれるのかなとは思います」

情報源:「炎のストッパー」津田恒美投手記念館 カープロードにオープン(テレビ新広島) – Yahoo!ニュースコメント

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