佐賀)「うれしい将棋ブーム」「戦うからにはタイトル」:朝日新聞デジタル

ほぉ・・・


武富礼衣女流初段=2018年12月15日午後1時58分、大阪市福島区の関西将棋会館
武富礼衣女流初段=2018年12月15日午後1時58分、大阪市福島区の関西将棋会館

――昨年2月、女流棋士2級へ昇級し、佐賀県初のプロ棋士に。2018年は躍進の年でしたね

2級になって以降は、対局を楽しんでいる感じがあります。

――16年5月にプロの仮資格である3級に。2年以内に正式なプロの2級に上がらないとアマチュアに戻ってしまう中の昇級です

今、思い返したら3級の時はきつかった。一局一局、落ちるかも知れないっていう思いで指していた。特に3級の後半は、あした対局と思ったら、正直嫌だなって思うくらいプレッシャーがあって。あの時の気持ちがあるからこそ、今はのびのび指せています。

――女流名人戦で予選トーナメントを勝ち抜き、挑戦者を決める10人のリーグ戦に入りました

トップレベルの9人と戦い、自分の立ち位置がつかめたと思います。

――初戦から4連敗しましたが、その後盛り返しました

完全に実力が足りない4局でした。なので、逆に引きずることもなかったです。

渡部愛女流王位に勝った対局は思い出深いです。研究とかから外れて力将棋になり、読みの戦いになった。タイトル保持者は自分からまだ遠いところだったので、自信になりました。

――次につながると

そうですね。ただ、最後の対局で勝っていたら(次期女流名人戦の)リーグ残留だった。序盤に飛ばしてしまい、負けた。レベルアップして、またリーグに入ってリベンジしたい。

――インターネットでの王座戦中継で、聞き手デビューも果たしました

メディアでの聞き手は初めてでした。タイトル戦だから50万人とか見ていると考えたら恐ろしくなって。(イベントの)聞き手で緊張したことはなかったんですが、生放送で最初の1、2時間くらいはがちがちでしたね。でも楽しかったですよ。ごりごりの佐賀弁は出なかったですけど、なまりは出ましたね。

――仕事で全国へ行く機会も増えたのでは

静岡、京都、兵庫……。最近だと岡山・倉敷がよかったですね。子どものころに「(全国小学生)倉敷王将戦」という大会に出たんですが、「あなたの小学生のとき見てたよ」って言って下さる方が何人もいて。「こんなになって帰ってきたからびっくりした」「倉敷で見たときから応援している」という方も。10年くらい経っているのに覚えていて下さった。

あとは熊本の「火の国こども王将戦」にもゲストで行った。こちらも小学生の時に出て指導対局を受けていたのに、今度は指導する側に。感慨深いです。昔のことを思い出したり、普段出ない感情も出てきたりするので、地方の仕事は好きですね。

――将棋を始めたきっかけは

5歳のころ、三つ上の兄と父が楽しく指しているのを見て、自分も入りたいから必死に駒の動かし方を覚えました。負けたら泣いて、勝つまで続ける(笑)。半年くらいで父は抜けるようになって。

――その後は

小学校低学年の頃は佐賀のアマ強豪の方に教えていただきました。小3の時に今の師匠の中田功先生が佐賀に来て、「僕の福岡の道場に来ないですか」と声をかけていただいた。

中学時代は一番迷った時期でした。学校が終わったら合唱部、部活が終わったら塾で午後11時くらいになって。大会には出ていたんですけど、努力していないので、あと一歩のところで及ばない。それでどの道に進むのか考え直して、高1からは将棋一本です。

――どうして将棋だったんでしょうか

何が一番好きか真剣に考えました。性格的に普通の会社も向いていないだろうし、負けず嫌いなので。一生していけるんじゃないかと思ったのが将棋でした。

――1996(平成8)年、羽生善治七冠が誕生しブームに。最近は藤井聡太七段の活躍、ひふみんこと加藤一二三九段の人気などで将棋ブーム再来です

こうなるとは思っていませんでした。佐賀での(イベントなどの)仕事もしているんですが、自分が小学生の時は私と兄以外、子どもがいなかったんですよ。今は募集したら小学生が60人くらい来る。注目度が高いと棋士に求められることも多くなるんですが、将棋界全体が盛り上がるということなので、ありがたいですね。

――2度のブームが起きた平成も終わります

元号は5月から変わるんですか。私が今度5月の誕生日を迎える時には平成じゃないんですね……。

――平成に思い入れが?

平成生まれなので。自分の生まれた時代が終わるんですよ。そう考えたら寂しいですね。

――活躍を願うファンもたくさんいると思います。今後の目標を

佐賀、九州の方々には感謝してもしきれない恩があります。それを返すという意味でも、将棋で勝つことを一番に頑張りたいです。戦うからにはタイトルを狙います。(聞き手・黒田健朗)

たけどみ れい 1999(平成11)年生まれ。佐賀市出身。2016年5月、日本将棋連盟の女流棋士3級に。18年2月7日、女流名人戦予選準決勝で勝ち女流2級に昇級。3月9日には同予選の決勝で勝って、規定で女流初段に飛び級昇段した。中田功七段門下で、兄弟子に佐藤天彦名人。18年春に龍谷高校を卒業し、立命館大学総合心理学部(大阪府茨木市)に在学中。

情報源:佐賀)「うれしい将棋ブーム」「戦うからにはタイトル」:朝日新聞デジタル




ふむ・・・