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四国八十八カ所八十五番札所の八栗寺(高松市牟礼町牟礼)で、木像の摩利支天(まりしてん)像1体が見つかった。来年のえとにちなんだイノシシに乗っており、江戸時代の作とみられる。摩利支天は厄よけや勝ち運につながるとして武将が信仰したとされ、寺は来年の正月三が日に特別開帳。朱印も準備して参拝を呼びかける。【植松晃一】
住職の新見竜玄さん(62)や香川県によると、木像は高さ約15センチ。四国八十八カ所の世界遺産登録へ向けて県が10月に実施した文化財調査の際、本堂一角の棚から厨子(ずし)に納められた状態で発見した。三つの顔と6本の手があり、矢を弓につがえ、刀などを手にしている。像の底面には、江戸時代に京都で活動した仏師「赤尾右京」の名が墨書されており、作者を示すと考えられるという。本堂の奥で保管されていたためか、赤い顔料もよく残り、状態は良好だという。
八栗寺では摩利支天像の存在を知る人はいなかったが、戦国時代に戦火で本堂などが焼失した後、高松藩が再建するなど松平家とゆかりが深い。高松藩専属の祈とう所となった元禄時代(1688~1704年)以降は、一般住民が願い事のために仏像を寄進することは考えにくく、松平一族が祈とうの際に納めた可能性もある。
新見住職は「亥(い)年を前に見つかったのは、偶然とはいえ、ありがたいこと。厄よけや勝利の仏であり、参拝して手を合わせ、やりたいことがうまくいく一年にしてほしい」と話している。
境内に摩利支天像を祭った摩利支天堂がある建仁寺(京都市東山区)のサイトによると、摩利支天はかげろうを意味するサンスクリット語「マリーチ」が語源とされ、かげろうを神格化した古代インドの女神を示すという。かげろうを傷つけることはできないことから武将があがめ、楠木正成や前田利家らは摩利支天像を持って戦場に赴いたという伝承もある。
情報源:イノシシに乗った摩利支天像発見 高松の八栗寺 – 毎日新聞
へぇ・・・