【新井の伝言】<5>誰かのために 黒田の最多勝へ一振り | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ

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三塁へ全力疾走する新井(2005年10月7日)
三塁へ全力疾走する新井(2005年10月7日)

リーグ最多43本塁打で初タイトルを手にした2005年、この年の新井貴浩が「一番うれしかった」と振り返るのは、柵越えの一発ではない。「消化試合なのに、ベンチへ向かってガッツポーズしたもんね」。その勝ち越し三塁打は、エース黒田博樹の最多勝を手繰り寄せた。

この年、カープは12年ぶりの最下位が確定。監督の山本浩二は辞任が決まっていた。孤軍奮闘してきた黒田は、最多勝争いの渦中にいた。10月7日、神宮球場のヤクルト最終戦は「黒田さんのために勝つ」。三塁ベンチは緊張感に包まれ、ナインは気迫に満ちていた。

シーズン残り2試合。黒田が前回先発から中2日でブルペン待機していた。「(大竹)寛が先発でね。頑張っていたよ」。2―2の五回、2番手で黒田が救援登板。勝ち越しては追い付かれ、迎えた八回だった。「右のサイドハンド。中継ぎの吉川(昌宏)だった」。試合展開も状況も、克明に覚えている。

右翼へ放った勝ち越し2点三塁打。一塁を回り、二塁を蹴り、三塁へ勢いよく滑り込んだ瞬間、ガッツポーズが飛び出した。「はたから見れば、消化試合なのに何やってんのって感じだろう。勝ちたい。何とか勝たせたい。僕だけじゃない。みんなの気持ちが打たせてくれた」。黒田のため、黒田のタイトル獲得を願う仲間とファンのため。その思いが結実した一打だった。

この白星で15勝目を挙げ、黒田は最多勝に輝いた。新井は最多本塁打。エースと4番のタイトル獲得は、低迷を嘆くファンにささやかな喜びと誇りを与えた。「投打を引っ張っていこう。チームが同じ方向を向いて戦おう」。そんな2人の奮闘もむなしく、翌年以降もBクラスが続く。

07年のオフ、黒田は米大リーグへの挑戦を表明。国内フリーエージェント(FA)権を取得した新井は「自分でもまさか」と振り返るFA宣言に踏み切る。=敬称略(山本修)

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