ほぉ・・・
「ダメ元でいいから、受けてみない?」
2014年秋。中学進学が迫った当時小学6年の藤井聡太(そうた)七段(16)に、母の裕子(ゆうこ)(48)が受験の話を持ちかけた。受験先は名古屋大学教育学部付属中学校(名古屋市)。聡太の友達の兄が通う中高一貫校で、その母親に勧められたのが契機だった。
6月に聡太はプロ棋士養成機関「奨励会」で初段に昇段していた。プロ(四段)を目指す上での一つの区切りで、出世は羽生善治(はぶよしはる)竜王(47)らを上回る勢いだった。「高校受験をしない方が、将棋に打ち込みやすいのでは」と裕子は考えた。
名大のキャンパス内にある同校は、「自主自立」をモットーに掲げる。年間の研究テーマを決めて論文にまとめる課題を生徒に出すなど、独自のカリキュラムで教育を行う。入学の「検査(試験)」にも特徴がある。東海地方に展開する「佐鳴(さなる)予備校」の中学受験の担当者は、「受験特有の知識よりも、思考力を問う問題が多い」と分析する。受験勉強をしていない聡太でも、これから約2カ月間、準備をすれば何とかなるかも――。裕子の考えに同意し、聡太は受験を決めた。
だが、将棋に費やす時間は削りたくない。過去問を解き、作文の練習をしたが、塾には通わなかった。他校は受験せず、不合格なら、地元の公立中学に進むつもりだった。自信はないまま翌年1月の本番を迎えたが、見事に合格。母から吉報を知らされた聡太は目を丸くした。
4月、愛知県瀬戸市の自宅から、約1時間かけて通学する日々が始まった。環境が変わっても、授業が終わると自宅に直行して、将棋の研究に励んだ。聡太は「部活に入る選択肢は1ミリもなかったです」と振り返る。
奨励会では、既に二段に上がっていた。プロ入りを争う、難関の「三段リーグ戦」への参加まであと一歩に迫っていた。=敬称略
(村瀬信也)
◆来週は休みます。次回は8月19日です。
情報源:(大志 藤井聡太のいる時代)修業編:5 小6秋に受験決め、中高一貫校へ:朝日新聞デジタル
へぇ・・・