82歳か・・・
映画や舞台、テレビ番組の司会など幅広い分野で活躍し、日本舞踊の家元も務めてきた俳優の朝丘雪路さんが亡くなりました。82歳でした。
朝丘さんは、日本画家の伊東深水の娘として昭和10年に東京で生まれ、昭和26年に宝塚音楽学校に入学して歌や踊りを学びました。
昭和27年に初舞台、昭和30年に映画デビューを果たし、シリアスな作品からコメディーまで幅広い役柄を演じ、NHKの連続テレビ小説「ええにょぼ」や「風のハルカ」などにも出演しました。
また、東京や大阪の舞台で数多くの座長公演を務め、平成15年には舞台「人生ふたりづれ」で質の高い歌と踊りが評価され、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれました。朝丘さんは、3歳から習い始めたという日本舞踊でもその道を究め、現代的な感覚を取り入れた「深水流」を昭和60年に創設して家元を務めてきました。
このほか、ジャズ歌手としての活動や、歌謡曲やバラエティー番組でも司会を務めるなど、幅広く活躍して人気を集め、平成23年には旭日小綬章を受章しています。夫は俳優の津川雅彦さんです。
朝丘さんは、アルツハイマー型認知症のため自宅で療養していましたが、先月27日、亡くなったということです。
女優で日本舞踊家の朝丘雪路(あさおか・ゆきじ、本名・加藤雪会=かとう・ゆきえ)さんがアルツハイマー型認知症のため4月27日に死去していたことが19日、分かった。82歳。東京都出身。葬儀は故人の希望で家族葬で営まれた。
2014年4月、娘で女優の真由子(44)がプロデュースした時代劇ミュージカル「花や…蝶や…」に夫で俳優の津川雅彦(78)とともに出演したのを最後に芸能活動を休止して、自宅で療養していた。
朝丘さんは1952年に宝塚歌劇団・月組に入団し娘役で活躍。55年に退団して以降、女優や歌手などマルチに活躍した。57年に「星は流れる」でNHK紅白歌合戦に初出場。60年代には「11PM」でアシスタントを務め、お茶の間の人気を集めた。司会の大橋巨泉さんが胸の大きな朝丘さんを「ボイン」と呼び、これが当時の流行語に。11年に旭日小綬章受章。
私生活では67年に内科医師と結婚したが、72年に離婚。73年に再婚した津川とは、おしどり夫婦として有名だった。
情報源:朝丘雪路さん死去、82歳 アルツハイマー型認知症で先月27日 “おしどり夫婦”夫の津川雅彦残して(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
情報源:朝丘雪路さん死去、82歳 アルツハイマー型認知症で先月27日 “おしどり夫婦”夫の津川雅彦残して― スポニチ Sponichi Annex 芸能
年齢的には不思議じゃないけど。
ご冥福をお祈りいたします。