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「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクが記した日記のうち、紙が貼られて内容がわからなかったページの内容が最新のデジタル技術で明らかになりました。才気かん発なアンネ・フランクも性的なことへの関心を示していて、思春期らしい一面を見せています。
アンネ・フランクは、第2次世界大戦中にナチスドイツから迫害され、オランダのアムステルダムの隠れがで日記を書き続け、死後に出版された「アンネの日記」は世界的なベストセラーとなっています。
オランダの研究者が、日記のうち、茶色い紙が貼られて内容がわからなかった2ページについて、最新のデジタル技術を使い、裏面から映り込む文字を消すなどして解読しました。
その結果、このページはアンネが身を隠してから2か月後の1942年9月に書かれたものとわかりました。
性的な話題にも触れていて、自分と同じ年頃の女の子について、「男性と関係を持つくらいには成長しているけど、結婚前にはもちろんそんなことはしないの」などと書かれています。
解読に携わった研究者は、「こうした冗談は成長期の子どもたちの間では昔からよくあることで、才能豊かなアンネも普通の女の子だったことがわかった」と話しています。
情報源:アンネの日記 内容不明だったページ解読したら…性への関心も | NHKニュース
【5月16日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で死亡したユダヤ人少女、アンネ・フランク(Anne Frank)の日記のうち、茶色い紙で隠されていた2ページ分の内容が研究者らによって初めて明らかにされた。性にまつわる「下品なジョーク」が書かれており、当時10代前半のアンネが持っていた性への関心が示されていた。
オランダ・アムステルダムにある博物館「アンネ・フランクの家(Anne Frank House)」のロナルド・レオポルド(Ronald Leopold)館長は「アンネ・フランクは性的な関心について無邪気に書いていた。他の思春期の若者と同じく彼女もこの問題に関心を持っていた」と述べている。
アンネの最初の日記帳の中では2ページが茶色い紙で隠されていたが、デジタル画像処理技術でその内容が明らかになった。
同博物館によるとアンネは1942年9月28日の日記に「だめになったこのページに『下品なジョーク』を書きます」として、性的なジョーク4つと、性教育と売春について33行の文を書いていた。ユダヤ人で当時13歳だったアンネは家族と共にアムステルダムで2か月にわたってナチスから身を隠していた。
アンネがこの2ページを茶色い紙で隠した理由は分かっていないが、日記の中でアンネは日記が他人から読まれるのではないかという心配を何度か書いていた。
レオポルド館長は、今回の新発見によってアンネの実像にさらに迫ることができるとしている。
研究者らは、アンネが日記に性的なことを書いたのはこれが初めてではなかったとも強調。アムステルダムのアンネ・フランク財団(Anne Frank Foundation)は、アンネが書いたものから「彼女が両親、特に父親や、友人のジャクリーヌ、本から性的な知識を少しずつ得ていたことは明らかだ」とし、「彼女は適切で十分な性教育が重要だと強調し、大人たちはなぜ性について秘密にしたがるのか分からないと書いていた」と述べている。
同財団は、「過去数十年の間にアンネはホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)の世界的なシンボルとなり、一人の少女としてのアンネは背景に押しやられてしまった」と指摘。今回見つかった文章は好奇心が強く多くの点で早熟な10代の少女だったアンネの実像を示すものだとして、公開の決定を擁護した。(c)AFP/Jo Biddle
情報源:アンネの日記に「下品なジョーク」 紙で隠した2ページ初公開(AFP=時事) – Yahoo!ニュース
情報源:アンネの日記に「下品なジョーク」 紙で隠した2ページ初公開 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
(CNN) ナチス・ドイツから身を隠すため隠れ家に潜んでいたアンネ・フランク。1942年に記した「アンネの日記」には、茶色い紙を上から張って覆い隠したページが2ページあり、その内容はこれまで謎に包まれていた。
現代の画像処理技術を使ってその謎を解き明かしたところ、現れたのは4つの「下品な冗談」だった。
隠れ家で暮らすようになってから2カ月後の1942年9月28日、アンネは日記に「駄目にしてしまったこのページを使って、『下品な』冗談を書きます」と記した。
13歳の時に家族とともに身を隠したアンネは、隠れ家で日記を書き続け、娘の死後、父のオットーが1947年に日記を出版した。
日記は2016年、アムステルダムにある博物館「アンネ・フランクの家」によって写真が撮り直され、隠されていた内容が明らかになった。
「今回発見された一節を読めば、誰もが思わず笑みをこぼすだろう。成長期の子どもにとって、『下品な』冗談は古典のようなもの」オランダの専門家はそう語る。「才能に恵まれたアンネが、普通の女の子でもあったことがこれではっきりした」
隠されていた2ページには、線を引いて消した5つのフレーズと、4つの下品な冗談、性教育や売春についてつづった33行の文章が含まれていた。
アンネがこのページを隠した理由は不明。ただ、日記の中では何度も、自分の日記を誰かに読まれることを心配している箇所がある。後に読み返して書き加えた部分もあった。
「アンネ・フランクは性について気軽な様子で書き記している。どんな青少年もそうであるように、アンネもこの話題に好奇心を持っていた。覆い隠していないページでもこのことを記している」。アンネ・フランクの家の館長はそう指摘している。
情報源:アンネが隠した日記のページ、内容は「下品な冗談」だった(CNN.co.jp) – Yahoo!ニュース
情報源:CNN.co.jp : アンネが隠した日記のページ、内容は「下品な冗談」だった
[アムステルダム 15日 ロイター] – ナチスドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)で犠牲となったアンネ・フランクの日記の中で、茶色い紙で封印されている2ページの内容をオランダの戦争・ホロコースト研究機関が高解像度カメラと近代ソフトウエアを使って解読した。その結果、このページが書かれたのは13歳のときで、古典的なジョークと、性教育に関する考えが記されていたことが分かった。
封印されたページの日付は1942年9月28日。アンネは潜伏に入る直前となった6月、誕生日のプレゼントにこの日記帳をもらっている。
ジョークの一つは妻の浮気を疑う夫の話で、家捜ししたところ押入れで全裸の男を見つけ、何をしているのか問うと「信じられないかもしれないが、路面電車を待っている」と答えたと書かれている。このほか、月経の概要や性交渉の仕組み、売春について聞き知ったことなどを記述している。
アムステルダムの博物館アンネ・フランクの家のロナルド・レオポルド館長は、アンネは日記の他の箇所でも性的成熟に触れており、これらのページは衝撃的でも驚きでもないと指摘。ページを封印した理由については、「おそらく、父母や家族など、共に潜伏していた人たちが日記を見つけて読むことを恐れたのだろう」と推察した。
情報源:「アンネの日記」の封印ページを解読、内容はジョークと性教育論(ロイター) – Yahoo!ニュース
情報源:「アンネの日記」の封印ページを解読、内容はジョークと性教育論 | ロイター
ナチス・ドイツから逃れようと隠れ家で生活していたユダヤ人少女による「アンネの日記」で、これまで公表されていなかった2ページ分の内容が15日、明らかにされた。当時13歳のアンネ・フランクさんは、セックスについて思ったことや、性的なジョークを書き綴っていた。
アンネさんはオランダ・アムステルダムの隠れ家で潜伏生活を始めて間もない1942年9月28日、性的ないわゆる「下ネタ」ジョークを4つ、書き記していた。
色々な内容を書いては線を引いて消していたページで、「駄目になったこのページを使って、『下ネタ・ジョーク』を書くことにする」とアンネさんは書いた。ジョークのほかに、性教育について数十行にわたり書き、自分が誰かにセックスについて説明する羽目になったら何と言うかを想像してみている。売春婦についても言及している。日記の別の箇所には、売春婦というものについて父親から教わったと書かれている。
アンネさんはこうした内容を書いたこのページに、茶色い紙を上からのりで貼り付けていた。内容を家族の目に触れないようにするためだったとみられる。
画像解析技術の発達によって、研究者はついに隠された文字が読めるようになり、今回の発表につながった。
アンネさんが家族と隠れていたアムステルダムの家は現在、「アンネ・フランクの家」として博物館になっている。同博物館はツイッターで、「アンネ・フランク・ハウスはホイヘンス研究所とオランダ戦争資料研究所と共同で、赤いチェック柄表紙の最初のアンネの日記から、のりで紙が貼られていた2ページに隠されていた内容を、本日明らかにしました。新技術のおかげで、伏せられていたページの文章が解読できるようになりました」と書いた。
The @annefrankhouse , with @HuygensING and @NIODAmsterdam, today presented the hidden text on two pages covered up with gummed paper in the first #diary of #AnneFrank, with its red checked cover. Thanks to new technology the text on the hidden pages has now been made legible. pic.twitter.com/cw9z0JnNFI
— Anne Frank House (@annefrankhouse) May 15, 2018
博物館のロナルド・レオポルドさんは、「アンネ・フランクは性的なことについて、屈託なく書いている。思春期の子供らしく、性に関心があるのが分かる」と話す。
博物館と協力し、2016年に新しく撮影した写真から隠された内容を解析した先端社会研究所NIOD(オランダ戦争資料研究所)は、日記の写真と共に、「アンネ・フランクの日記から、新しい2ページが見つかった!」とツイートした。
Two new pages have been discovered in the diary of Anne Frank! Read all about it on our website! https://t.co/8mXqX6zDwr #Annefrank pic.twitter.com/nuY77iUeMR
— NIOD (@NIODamsterdam) May 15, 2018
NIODのフランク・ファン・フレー所長は、「見つかった文章を読む人は誰しも、にっこりしてしまうはずだ」と話した。「アンネが書きとめた『下ネタ』ジョークは、思春期の子供たちの間の定番だ。アンネは才能豊かな少女だったが、何より普通の女の子だったことが分かる」。
アンネさんが日記に書いたジョークのひとつは、「ドイツ軍の女の子たちが何のためにオランダにいるか分かる? 兵士のマットレスとして」というものだった。
博物館によると、アンネさんはほかでもセックスについて書いている。隠れ家で暮らす他の人たちが口にしたジョークに言及したり、自分自身の生理や性行動について書いたりしているという。
アンネさん本人が明らかに秘密にしておきたかった内容を公表することについて、博物館はアンネさんの日記に対する学術的な関心の高さを判断理由に挙げた。「アンネの日記」は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」に登録されている。
博物館はさらに、内容を公表しても「アンネのイメージは変わらない」と指摘。「アンネはホロコーストの象徴として、長年をかけて世界的に知られるようになった。その分、アンネという女の子の姿は、見えにくくなっていた。隠されていた文章の封印を(文字通り)解いたことで、好奇心旺盛で、色々な意味で早熟だった10代の少女が、あらためて前面に戻ってきた」と博物館は説明している。
アンネさんは1942年7月5日、父親の会社社屋の「後ろの家」で生活し始めた。13歳の誕生日に日記帳をもらった約1カ月後のことだった。
家族や、親しいファン・ペルス一家との共同生活は、1944年8月にナチスに発見されるまで続いた。2年も続いた潜伏生活が発覚してしまった正確な理由は、いまだに分かっていない。
アンネさんは1945年、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。家族で唯一生き残った父オットーさんが1947年、娘の日記を出版した。
(英語記事 Anne Frank’s ‘dirty jokes’ found in hidden diary pages)
情報源:「アンネの日記」、封印された「下ネタ」ジョーク明らかに(BBC News) – Yahoo!ニュース
情報源:「アンネの日記」、封印された「下ネタ」ジョーク明らかに – BBCニュース
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