25歳羽生まさかの発熱 96年、初の七冠目前の舞台裏:朝日新聞デジタル

ほぉ・・・


王将戦の第4局で谷川浩司王将(左)を破って七冠を達成、対局をふり返る羽生善治名人(当時)=1996年2月14日午後5時35分、山口県豊浦町(現・下関市)、朝日新聞西部写真部・丹羽敏通撮影
王将戦の第4局で谷川浩司王将(左)を破って七冠を達成、対局をふり返る羽生善治名人(当時)=1996年2月14日午後5時35分、山口県豊浦町(現・下関市)、朝日新聞西部写真部・丹羽敏通撮影

1996年2月13日、山口県豊浦町(現・下関市)のホテル「マリンピア・くろい」で始まった将棋の第45期王将戦七番勝負の第4局。対局室には多くの報道陣が詰めかけ、異様な熱気に包まれた。将棋界の7タイトルのうち、名人、竜王、王位、王座、棋王、棋聖を保持する当時25歳の羽生善治六冠(47)が、史上初の「七冠」を達成できるかに注目が集まっていた。

永世七冠・国民栄誉賞受賞記念祝賀会で記念撮影をする羽生善治竜王(中央)、山中伸弥氏(左)、囲碁の井山裕太七冠(右)=2018年5月10日、東京都千代田区、山本裕之撮影
永世七冠・国民栄誉賞受賞記念祝賀会で記念撮影をする羽生善治竜王(中央)、山中伸弥氏(左)、囲碁の井山裕太七冠(右)=2018年5月10日、東京都千代田区、山本裕之撮影

対するのは当時33歳の谷川浩司王将(56)。名人5期をはじめ数々のタイトルを獲得している、羽生よりも一世代上の第一人者だ。実は前年の95年も同じ状況だった。

竜王を獲得して六冠になった羽生は、残る王将位をかけて谷川王将に挑戦。七番勝負は3勝3敗と最終局までもつれたが、最後に敗れた。再挑戦するには1年間、他のタイトルをすべて防衛し、さらに王将戦の挑戦者にならなければならない。限りなく難しいと目されたが、羽生は成し遂げ、大舞台に戻ってきた。

将棋の王将戦の第4局を制し、七冠を達成した羽生善治名人(当時)
将棋の王将戦の第4局を制し、七冠を達成した羽生善治名人(当時)

あと1勝の朝、あぜん

七番勝負は羽生が開幕から3連勝し、七冠まであと1勝と迫っていた。ところが羽生は第4局の2日前から体調を崩し、開始の朝に熱を測ると39度。「あぜんとしました。こんなにひどい風邪は自分でも記憶にないくらい。対局開始の時はボーッとして、2日間体力が持つか心配でした」とのちに述懐している。薬を飲んで対局に臨んだという。

将棋界の主な出来事
将棋界の主な出来事

王将戦は持ち時間がそれぞれ8時間の2日制。将棋の内容は空中戦と呼ばれる華々しい展開になったが、この日は本格的な戦いにならず、午後6時過ぎにいったん中断する「封じ手」となった。

翌14日、午前9時に再開。中盤以降は羽生がリードを広げ、午後5時6分に谷川が投了。「七冠」を成し遂げた。

終わると200人を超す報道陣が対局室に殺到、一斉に羽生に向けてフラッシュをたいた。羽生は「棋士として大きな目標を達成できて非常にうれしい」と語り、谷川は力を出せなかった対局を振り返り、「注目された将棋だったのに、ファンの皆様にも羽生さんにも申しわけない」と言葉少なだった。

異次元人気、棋士像変えた

当時、日本将棋連盟発行の月刊誌「将棋世界」の編集長だった作家の大崎善生さん(60)は「将棋棋士のイメージを大きく変えましたね」と話す。大棋士と言えば、名人位を通算18期獲得し、60年代初め、タイトルが五つの時代に初めて五冠独占を果たした故大山康晴十五世名人が挙げられる。タイトル三つの時代に初の三冠になった故升田幸三・実力制第四代名人や、その後、活躍した加藤一二三九段(78)、中原誠十六世名人(70)、故米長邦雄永世棋聖など、将棋界を超えて話題になった棋士も数多くいた。

しかし、羽生人気は別次元だったと大崎さんは言う。「それまでは棋士というと、どこか泥臭い感じがあったんですが、羽生さんはそういうのがなく、洗練された印象でした」

知的でさわやかな風貌の羽生の登場は、将棋界の難解なイメージを一変、女性にも人気は広がり、ブームを呼んだ。将棋世界は、毎月部数を伸ばし、羽生関連の書籍は売れた。「難しい本なのに羽生さんを表紙にするだけで売れた。女の子の追っかけも初めて見ました」。パソコンで棋譜を管理する点もスマートで、元俳優の畠田理恵さんとの結婚も話題となった。

あれから22年。羽生は同年代のライバルたちとしのぎを削り、昨年12月、名人など七つのタイトルで永世称号を獲得する「永世七冠」を達成。この2月には棋士として初めて国民栄誉賞を受賞した。

その地位をいずれ脅かすであろうと言われているのが藤井聡太六段(15)だ。将棋ソフトを研究に採り入れ、猛スピードで成長を続ける藤井六段の活躍は、デビュー当時の羽生をすでに超えている。

大崎さんは「いま一番見たいのは羽生さんと藤井さんのタイトル戦です。羽生さんにしかできない藤井対策、そこに立ち向かっていく藤井さんも見てみたいですね」。(村上耕司)

日本将棋連盟常務理事 将棋棋士九段 森下卓さん(51)

羽生さんが六冠になった時、いずれ七冠を取るんだろうなと思いました。ただ実際に七冠制覇の時、テレビで解説していたのですが、思わず「同じ棋士にとっては屈辱です」と話しました。現地で昔の血がたぎったのでしょうか、「ああ、くそう」と思って出た言葉です。29歳でしたが、盤上一本に打ち込んでいた22歳ごろだったら、悔しくて眠れなかったでしょうね。

当時は、魔術か催眠術にでもかけられたように、気づくと羽生さんがタイトルを持っていっているという感じでした。信じられないような逆転勝ちは「羽生マジック」という言葉を生みました。プロが見て「この将棋は負けようがない」というような将棋がたびたび逆転するんです。それは今でも非常に不可思議。私もいやというほど経験しました。長い時間、対局していると、精神的にも肉体的にも疲れてくる。その疲労が盤上に表れて間違えるということはあったと思います。そこまで羽生さんが相手を追い込んでいたということでしょうね。

羽生さんの力の根本は意志の強さだと思っています。「とにかく最後は自分が勝つんだ」という強い気持ちは、私が知る限りダントツです。逆にそれがなければ、いかに才能があって、天運に恵まれていても、七冠はできなかったと思います。

情報源:25歳羽生まさかの発熱 96年、初の七冠目前の舞台裏:朝日新聞デジタル


ふむ・・・