ふむ・・・
【勝負師たちの系譜】
今期名人戦の挑戦者を決める、A級順位戦最終一斉対局は、静岡市の「浮月楼」で行われた。
徳川家康公が、初代名人大橋宗桂に将棋所を認め、50石の扶持を与えたところから、静岡市は名人発祥の地として、静岡市が誘致したものだ。浮月楼は15代将軍、徳川慶喜の住居である。
最終戦の時点でトップを走るのは、6勝3敗の久保利明王将と豊島将之八段。空き番の羽生善治竜王・棋聖が6勝で待ち、5勝の稲葉陽八段、広瀬章人八段、佐藤康光九段にも可能性がある状態だった。
それにしても6勝が2人負け、5勝陣がすべて勝って、6人のプレーオフになるなどは、作っても簡単にできないこと。無論、史上初である。
これが確定した瞬間、私は1985年度のA級順位戦を思い出した。今回と同じく11人のリーグで、全員が6勝から4勝という、今期以上の大混戦。私はその前期、2勝6敗で残留(降級1名)したものの、その年は4勝6敗で降級(3名)したのだった。
今期は降級者も注目されたが、リーグの順位3位の渡辺明棋王が4勝で降級となったのは、驚きであった。
85年度のプレーオフは3人で戦われ、前年度に病気休場した大山康晴15世名人が、挑戦者となったのだった。
今回のプレーオフは、順位が一番下の豊島-久保戦からパラマス方式で行われたが、奇しくもこの2人は王将戦七番勝負の最中の対局。
豊島はプレーオフを3局勝ち抜いたが、何せ3月2日から18日までで、2日制の王将戦2局(松本市と島根県大田市)を含む7局の対局では、さすがに若い豊島も疲れたのだろう。プレーオフ第4戦は羽生に敗れ、王将位も奪取できなかった。
結局挑戦者は、最後に待っていた稲葉を破った羽生に決まった。
羽生はこの強運を持って、勝てばタイトル100期目という大勝負に挑む。しかし昔から、名人戦は断トツで挑戦者にならないと難しいというジンクスもあり、どちらに転ぶか注目の七番勝負は、4月11日、東京「椿山荘」から始まる。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:“強運”羽生善治が制し名人戦へ A級初6者プレーオフ (夕刊フジ) – Yahoo!ニュース
情報源:【勝負師たちの系譜】“強運”羽生善治が制し名人戦へ A級初6者プレーオフ (1/2ページ) – zakzak
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