【高嶋ひでたけのラジオ“秘”交友録】羽生善治棋聖、少年時代の“赤い帽子”に心温まるエピソード (1/2ページ) – zakzak

このエピソードは結構有名じゃないかな?


若いころから鬼才だった羽生さん
若いころから鬼才だった羽生さん

【高嶋ひでたけのラジオ“秘”交友録】

半世紀にわたってラジオ・パーソナリティーとして活躍してきたフリーアナウンサー、高嶋秀武(75)。これまでに出会ってきた数え切れないほどの著名人の素顔を紹介する。

「高嶋さん、この子がこれからの将棋界を背負っていきます」と佐瀬勇次八段(当時)。

今から三十数年前のあるデパートで行われていた「将棋祭り」の控室でのこと。

当時佐瀬先生は将棋の普及に命をかけ、あちこちのデパートで開かれる「将棋祭り」を熱心に仕切っていた。

棋士では珍しく車の運転をする先生だった。車といえばカーラジオ。先生は私の担当していた「今日も快調!朝8時」のヘビーリスナーでもあったのだ。

そんなことから私は「将棋祭り」のお手伝いをするようになり「この子」羽生善治四段と出会ったのである。

当時、羽生さんは中学3年生。色白で細っそりしたひ弱そうな少年であった。

もちろん当節の藤井聡太六段と同じように中学生で四段という天才棋士であったのだが、とてもそんな風には見えなかった。

朝から深夜までの対局という厳しい体力を要求される棋士のハードな毎日に耐えられるのか、ウソでなく僕は心配が先に立った。

水泳で体力を養ったそうで、僕の心配は杞憂に終わるのだが、あのときの「子供の羽生さん」を忘れられない。

今でも語り継がれる羽生さんのエピソードのうち、僕が一番好きなのは羽生さんは広島カープファンという伝説。

少年時代、八王子将棋センターに通っていた羽生少年はいつもカープの赤い帽子をかぶっていたというのが“羽生さんカープファン”の根拠だが、これには心温まるいい話がある。

羽生さんのお母さまがこう語っている。

「ああ、あれは迎えに行って探すのに、赤の帽子が目立ってすぐ分かるので、かぶらせていました」

「将棋祭り」で多くのおじさん棋士に囲まれて居心地が悪そうだった羽生少年が今や押しも押されもしないトップ棋士。

永世七冠に飽き足らず、また名人位奪還を狙っている。あの子がねえ!

■高嶋ひでたけ(たかしま・ひでたけ) フリーアナウンサー。1942年生まれ、神奈川県横須賀市生まれ。明治大学卒業後、65年にニッポン放送に入社。『オールナイトニッポン』などに出演。深夜ラジオでは“ヒゲ武”の愛称で親しまれた。80年代からは『お早よう!中年探偵団』『あさラジ!』などで“朝の顔”として活躍してきた。1990年からフリー。

情報源:羽生善治棋聖、少年時代の“赤い帽子”に心温まるエピソード(夕刊フジ) – Yahoo!ニュース

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