ふむ・・・
藤井聡太四段(15)が中学生のうちに優勝できる最後のチャンスがある。2月17日に準決勝・決勝がある第11回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)だ。優勝すれば、「一般棋戦優勝」の最年少記録(15歳6カ月)を作ることになる。
1次予選から8連勝で4強入り。準決勝では、羽生善治竜王(47)と公式戦で初めて顔を合わせる。準々決勝で佐藤天彦名人(30)に勝ったことが大きな話題になったが、予選も強敵ぞろいだった。中でもエポックメイキングとなった一局が、名人挑戦権を争うA級順位戦に所属するトップ棋士、屋敷伸之九段(46)との対戦だ。
昨年12月15日。東京都渋谷区の将棋会館の4階大広間で、藤井四段と屋敷九段が向かい合った。2次予選の1回戦。テレビ局のカメラが、対局前の藤井四段の一挙手一投足を追う。午前10時、屋敷九段の初手▲7六歩で戦いは幕を開けた。
屋敷九段は、「最年少タイトル獲得」(18歳6カ月)という記録の持ち主として知られる。1990年、中原誠十六世名人(70)から棋聖のタイトルを奪い、前年、1学年上の羽生竜王が作った「19歳3カ月」を塗り替えた。
棋士養成機関「奨励会」に入ったのは中学2年とやや遅かったが、わずか3年で卒業。これは藤井四段の4年より短い。野月浩貴(ひろたか)八段(44)は屋敷九段と同じ北海道出身で、小学生の頃から将棋盤をはさんできた。当時の屋敷少年をこう表現する。「奨励会時代は全く歯が立たず、50回に1回勝てるかどうか。本当の天才少年だった。天才だし、バケモノなんです」
屋敷九段の将棋は個性的だ。自陣をあまり固めないうちに戦いに持ち込むのが得意で、相手の意表を突く手が多いことから、「忍者屋敷」の異名がある。流行とは一線を画し、独自のスタイルを築いている。
藤井四段との対戦も、まさにそんな将棋になった。一風変わった陣立てから足早に銀を前線に繰り出し、激しく攻め立てた。敵陣に持ち駒の角を打ち込み、攻めの主力である飛車を捨てて突撃。藤井四段の陣形は、あっという間に弱体化した。
だが、藤井四段は冷静だった。相手の攻めが一段落したタイミングで、蓄えた持ち駒を使って巧みに反撃。時折、慌てた手つきになる場面もあったが、屋敷九段の玉に詰みが生じると、落ち着きを取り戻した。102手で屋敷九段が頭を下げ、投了。1手1分の秒読みの中、彼我の玉将の危険度を見切った藤井四段の正確な読みが勝利につながった。
藤井四段は対局後のインタビューで、屋敷九段の独特な戦術に戸惑っていたことを明かした。「どう対応していいか、悩ましい局面が続きました」。しかし、A級棋士に勝ったことについて問われると、素直に喜びを語った。「公式戦という舞台でA級の先生に勝てたのはとても自信になりました」。現役のA級棋士と3度目の対戦で、初めて白星をあげた。
後日、屋敷九段に感想を聞いた。「受けが非常に強く、本格派の将棋だと感じた。既に完成された雰囲気がある」。そう藤井四段をたたえる。一方で、10代の頃の自分については、「実力を越えた勢いでタイトルを取った。将棋の作りが甘かった」と振り返る。
18歳でタイトルを取り、19歳で防衛も果たした屋敷九段だが、順位戦で下から二つ目のクラスのC級1組に14期在籍するなど、苦労も味わった。だが、着実に昇級を重ねて39歳で初めてA級に上り、今もその地位にある。野月八段は「屋敷さんが深い研究をしていることは、棋譜を見ればわかる。努力しているところは、人にはあまり見せませんが」と話す。20代の頃は酒豪で知られたが、30代後半からは禁酒をしており、節制に努めている。
屋敷九段は言う。「藤井四段が今後、どのくらい強い棋士になっていくのか楽しみ。私も藤井四段と1局でも多く対局できるよう精進していきたい」。「天才少年」と「元天才少年」の次の戦いは、いつ実現するだろうか。(村瀬信也)
情報源:藤井四段、「忍者屋敷」攻略 ついに超えたA級棋士の壁:朝日新聞デジタル
ほぉ・・・