引退会見を終え清水市代女流六段から花束を受け取る加藤一二三九段(左)=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)

加藤一二三・九段引退会見- 産経ニュース

お疲れ様でした。


引退会見を行う加藤一二三九段=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)
引退会見を行う加藤一二三九段=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)

今月20日付で引退した将棋の加藤一二三・九段(77)が30日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で引退記者会見を行った。

加藤九段は、20日の竜王戦6組昇級者決定戦で高野智史四段(23)に敗れ、現役を引退した。

現役最高齢として長い歴史を刻んできた伝説の棋士はこの日、「精魂込めて、50年、100年色あせない名局を指せたことが喜び」と63年間におよぶプロ棋士生活を振り返った。会見時間は当初、加藤九段の希望で20分の予定だったが、5分延長して感謝の気持ちを語った。

《午後3時、加藤九段が一礼して会見場に入ると、一斉にカメラのフラッシュがたかれた。約40社100人の報道陣が詰めかけた》

「みなさまこんにちは。引退の記者会見を行います」。席に着いた加藤九段のあいさつから会見が始まった。

–今のお気持ちから

「大変すっきりした気持ちです。今まで通りやる気を失わないで、元気よくこれからの人生を歩んでいく気持ちですから、すっきりしています」

–大山康晴十五世名人とずっと戦ってきて、昭和44年にようやく十段戦で初タイトルを取った。その時のお気持ちは。

「私の棋士人生の中で、初期の代表的なことは、第7期十段戦の獲得。私が挑戦者となって、四勝三敗でめでたく獲得した。一手に7時間使って、すばらしい手を見つけて勝ったこと。それから戦っていて、みずから将棋というものは深いと感動を覚えた。将棋ファンは私が感動したのに近いような感動を覚えていただいているのではないかと思って、将棋の棋士の存在は、立派な将棋を指して、それをファンの方々に喜びを与えることに尽きると思った。30歳前だったので、生涯現役としてやっていく自信が生まれました」

情報源:【加藤一二三・九段引退会見(1)】棋士生活振り返り「精魂込めて、色あせない名局を指せたことが喜び」(1/2ページ) – 産経ニュース


引退会見を行う加藤一二三九段=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)
引退会見を行う加藤一二三九段=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)

–数々の名勝負のうち、「この一局」をあげていただければ

「20歳の時、昭和35年に、大山名人と名人戦の7番勝負を戦って、その後、48年に中原名人と戦って、三度目の名人戦が57年。三度目の挑戦で中原名人に勝って念願の名人になったのが最大の思い出。

1月31日の9時2分に名人になった。95%負けている将棋だったのを、私が逆転して勝った。私は少し前にキリスト教の洗礼を受けたこともあって、これは神様のお恵みだと考えています」。

–このときは、伝説の十番勝負と言われているが、どんな思いだったか

「名人戦の前に、中原さんには棋王戦と王将戦と十段戦のタイトル戦で全部勝っていたので自信があったものの、中原名人は名人10期の絶対王者。名人戦となるとどのタイトル戦よりも二割方、力をアップすることを知っていた。中原さんにとって名人戦は最後の砦。そう簡単には勝たせてくれないと思っているが、負ける気がしなかった。

勝つ機を見たとき、私は『ああ、そうか』と叫びました。名人戦に魂を燃やして戦ってきたけど、ついに獲得できたので、叫んだんです」

–63年の現役生活を終えて、寂しさはありますか

「棋戦を長年にわたって主催して下さった方たち、スポンサーの方たちに、心からの謝意を表します。我々がいくら頑張っても、それだけでは成り立たない。将棋文化を発展させようという意図のもとに、使命感に基づいてやっていただいていることに感謝します。同時に、私はその負託に応えて、勝った数が1324勝。国からは紫綬褒章、バチカンの法王からは勲章をいただいて、私の将棋人生はかなり成果を上げたと思う。ひとえに支援して下さった方々、ファンの方々の好意のたまものだと考えている。

また、長年にわたり、魂をもやし、ともに歩んでくれた妻に感謝の意を表明する次第です。

棋士としては名局の数々を指してきて、バッハやモーツアルトが今の人たちに感銘を与えるのと同じように、おこがましいけれども、文化遺産として遺していけば、人々の感動を得られるという自信がある」

情報源:【加藤一二三・九段引退会見(2)】伝説の十番勝負で名人奪取「魂燃やして戦った」(1/2ページ) – 産経ニュース


引退会見を行う加藤一二三九段=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)
引退会見を行う加藤一二三九段=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)

《大学の客員教授に任命されたことも明らかにした。伝統芸能の継承者として、将棋の深さを伝えていくという》

「6月23日に仙台白百合女子大学から客員教授の任命書を受け取り、大変感動している。今までの棋士で培った人生観を、女子学生に語っていきたいと意欲を燃やしています」

–藤井聡太四段の印象は

「昨年12月24日の竜王戦、彼のデビュー戦で戦い、戦い上手でうまい作戦できたなと感心した。おやつの時間に私がチーズを食べ始めたが、藤井四段がそれを待ってチョコレートを食べ始めたことに、非常に好感を持った。先輩に対する気遣いができているなと感心した。

もう一つは対局中、一回だけ、中盤戦で彼が私の顔をちらっと一瞬見た。盤面を見たら、『加藤先生、あなたの方が面白いと思っているでしょ。でもこの将棋は私が勝っていますよ』と目で送ってくれた。おお、この少年はなかなかすごいと感心した。

彼は優れた秀才型のすばらしい棋士とは思ったが、29連勝するとは想像もしなかった。彼の将棋を全部研究して、秀才型の天才ということを悟りました。作戦が非常にうまく、早く有利に立つ戦い方を身につけている。今のところ、彼には欠点が一つもない。

非常にうれしいことに、彼は私に対してありがたいコメントを出してくれる。少年棋士が引退する私に対して『寂しい』と言ってくれたのは、すばらしい後継者を得たと感動した」

情報源:加藤一二三・九段引退会見(3)】藤井聡太四段の印象「彼には欠点が一つもない」「すばらしい後継者を得た」(1/2ページ) – 産経ニュース


引退会見を終え清水市代女流六段から花束を受け取る加藤一二三九段(左)=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)
引退会見を終え清水市代女流六段から花束を受け取る加藤一二三九段(左)=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)

–ファンへのメッセージは

「長年にわたって私のことを好ましく思い、応援してくださった方々には心からの深甚なる感謝の意を表したい。また昨今、毎日のようなテレビ報道によって将棋に縁のなかった多くの方々が、棋士に対して好意を持つに至ったことに対して感謝の意を表したい。

街を歩いても『お疲れ様でした』『いい後輩が出てよかったですね』と、見知らぬ方からほほえみながら話しかけてくれる。深く感謝を表する次第です」

–63年間勝負を戦ってきて、将棋とは、棋士とは何かと問われたら

「1324勝しているうち、90%は名局。名局の数々を打ってきたことに尽きる。内容的に普通であれば、あえて誇りにしないが、精魂込めて、50年、100年色あせない名局を指せたことが喜び。

私の将棋は名局だと言っている以上、誰からの注文がなくても、勝った将棋を本に書いて伝えていく義務がある。5年くらいかけて書いていく予定です」

引退会見を終え清水市代女流六段から花束を受け取る加藤一二三九段(左)=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)
引退会見を終え清水市代女流六段から花束を受け取る加藤一二三九段(左)=30日、東京都渋谷区(春名中撮影)

《司会に最後に言い残したことは、と水を向けられて、後を託す後輩たちへの言葉を継いだ》

「あっ、一言、忘れていました。将棋界はいま、佐藤康光会長、羽生善治三冠、谷川浩司永世名人、渡辺明竜王、森内俊之永世名人と、大変人格的にも優れ、将棋は完成した域に達した名人がそろっている。後継者が粒ぞろい、心安んじて引退したい」

《最後に将棋連盟常務理事の清水市代女流六段から花束が贈呈された。「加藤先生、長い間名局、名勝負ありがとうございました」と手渡され、「笑顔で」「手を振って」とのカメラマンの求めに、はにかみながら「ひふみんスマイル」で応じたのち、会見場を後にした》

(終わり)

情報源:【加藤一二三・九段引退会見(4完)】花束贈呈にひふみんスマイル「応援してくださった方々に心から感謝」(1/2ページ) – 産経ニュース


ふむ・・・