升田幸三実力制第四代名人
2023.9/3 10:00
今回は、私と棋聖戦との縁をつづってみたい。
最初に新聞社とかかわったのは、奨励会の有段者として、タイトル戦の記録係に同行したこと。50年以上前のことだ。
当時は有段者になっても「君は素行が悪いから」という理由で、タイトル戦の記録係を拒否された人がいたらしいが、私は幸い、いろいろな棋戦の記録をさせていただいた。
棋戦によっては、関係者一行が懐石料理を食べているときに別室に呼ばれ、昼は天丼、夜はカツ丼。2日目はその逆ということもあったが、棋聖戦を主催する産経新聞社は「若い人はたくさん食べろ」とばかりに、多く出してくれた。
担当記者は相当な酒豪で、未成年の私にも「飲め、飲め」と言われたときは困ったものだったが。
奨励会も三段になると、タイトル戦の際に産経新聞社に詰めるアルバイトに呼ばれた。
当時は現地から送って来る指し手は「3五銀、シルバー」というように、金銀の間違えがないように、電話で送られてきた。
翌日の紙面に載せる棋譜と、投了図に間違いがないかをチェックする仕事で、これは校正マンでもできないから、奨励会員が呼ばれたわけだった。
棋士になって初年度の棋聖戦では、1次予選を抜け、2次予選の決勝で升田幸三九段(当時)と当たった。
升田先生と指すのはこれが最後かもと思った私は、夏の暑い日に白絣を着て臨んだのを覚えている。
将棋は升田流の神髄を見せて頂き、少し悪くなったが、粘っているうちに逆転して勝ちとなった。
これが氏との唯一の公式戦となり、升田九段とはこの後、引退を賭けたイベントの対局で指させて頂き、私が最後の対局者となった。
本戦では1回戦を勝ったものの、2回戦で二上達也九段に敗れ、私の棋聖ドリームは終わったが、升田九段と指せたのは私にとって良い思い出だった。
棋聖戦では過去にも書いたが、第23期の五番勝負第5局、米長邦雄棋聖―内藤國雄八段(ともに当時)戦の記録の最中に、関西から淡路仁茂三段(当時)が優勝して四段になったとの一報が入り、関東で優勝していた私が決戦なしで四段になったことも忘れられない。
制度が違うとはいえ、記録係の最中にプロ棋士になったのは、私くらいであろう。
その後産経新聞社とは、夕刊の詰将棋、クラッシック音楽の評論や本欄など、数多くの縁で関わらせていただいている。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:【勝負師たちの系譜】棋聖戦の思い出 升田幸三九段と唯一の公式戦 升田流の神髄、少し悪くなるも粘って逆転勝ち その後最後の対局者も(1/2ページ)
ほぉ・・・
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