へぇ・・・
2022.7/3 10:00
日本将棋連盟は時代に合わせ、本拠地である将棋会館を移してきた。
戦後間もない頃は、後楽園球場の中にあったと聞いたことがあるが、現在そのことを知っている人は誰もいない。
かろうじて現在の東京・千駄ヶ谷の前に、中野の照国道場(相撲部屋)の跡にあったことを知っている人は、何人かいるようだ。
千駄ヶ谷に移ったのが、昭和36年(1961年)。白亜の二階建て木造建築の会館で、私も四段の頃まではそこで指している。周りは連れ込み旅館だらけだったから、間違って入ってきたカップルもいたくらいである。
現在の5階建てのビルになったのが、昭和51年(1976年)。加藤治郎会長の下、関屋喜代作常務理事(八段)が「日本船舶振興会」からの補助金をまとめたことから始まったが、建設の方針を巡って侃侃諤諤(かんかんがくがく)の論争となり、結局理事会が総退陣となる、クーデターに発展した。
その後の資金集めは、大山康晴会長が企業を駆け巡って寄付金を集め、今の会館が建ったのだった。
そのすぐ後には、大阪も阿倍野の小さな旅館跡から、現在の福島駅前のビルに移ったのだった。大阪の旧会館は「酒屋の隣」と言われても通り過ぎるような建物だったから、大阪の方が新旧のギャップは大きかった。
今回は大阪の方が早くから計画が進み、高槻市への移転が決定。市が全面協力の形で進行している。現在は昔と違い、企業からの寄付金は難しいが、高槻市が「ふるさと納税」の形で、寄付金を集めている。
東京は将棋の聖地、千駄ヶ谷を離れることなく、駅前に建つ「ヒューリックビル」の1階に移転が決まった。
こちらは資金の不足分を「クラウドファンディング」で集めていて、この6月で第2期が終わり、今度は10月頃から第3期が始まる。
寄付金のお礼としては、全棋士サイン入り扇子や色紙など、将棋連盟はグッズに困ることはない。
中には10万円で、木村一基九段による少数限定の解説会というのもあり、即座に売り切れたとも聞く。
しかし私の知り合いでは、お礼に寄付者の名前を打ち込んだ銘板を会館内に飾る、というのに申し込んだ人が複数いた。
自分が好きだった将棋の本山に、死んでも名前が残るのが何より嬉しいということらしい。
今の会館にはない銘板を、是非永遠に残してあげたいと思う。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:【勝負師たちの系譜】新将棋会館建設 過去には方針めぐって理事会が総退陣、クーデターに発展も(1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
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ほぉ・・・
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