年始恒例の指し初め式
2022.1/8 10:00
将棋界では新年が明けると、毎年5日に指し初め式が行われる。
東京ではまず将棋会館に隣接した、鳩森神社にある『将棋堂』で新年の祈祷が行われる。それが終わった後に会館に戻って、一人一手ずつの指し初めを行った後、新年の小宴に入る。
今年私は、6日が大阪での対局となったので、朝早い便で出かけ、棋士になって初めて大阪の指し初め式に出席した。
出席者は約20人。コロナ前は関係者(新聞社の担当者など)を含め、50人くらいが来ていたというが、この時世では来る人もなく、全員が棋士である。
午前11時半。脇謙二九段(将棋連盟専務理事)の簡単な挨拶の後、対局が始まった。トップバッターは、糸谷哲郎八段と菅井竜也八段という、A級同士の対戦だ。
東京では以前、ファンも呼んでいたので、100人くらいになる時があり、一人一手でも100手進めば終盤になってしまう。時には初心者がとんでもない手を指すと、誰かが「その手はちょっと」と言って「待った」をさせることもあったが、今回は棋士だけなので悪手が出る訳はなく、しかも20手くらいでは、本格的な戦いも始まらないうちに終わりとなった。
今回の出席者で、ただ一人の引退者は森安正幸七段で、畠山兄弟の師匠だ。普通、引退すると将棋連盟の行事に出る人は滅多にいないが、弟子が活躍しているだけに「もう関係ない」とは思えないのであろう。
大阪も昨年に続いて、終了後の小宴はなし。しかし東京と違うのは、それならと菅井八段などが早速、棋士室で練習将棋を始めていたこと。この光景は、東京ではまず見られない。
かつて有吉道夫九段は、70歳を過ぎても引退(74歳)まで、若手棋士や奨励会員を相手に、年中練習将棋を指していたから、そういう土壌が今日の西高東低の棋界を生んでいるのかもしれない。
指し初め式で忘れられないのは、共同通信の名物記者だった田辺忠幸氏が、将棋連盟と日本女子プロ将棋協会(LPSA)の指し初め式を梯子して一杯飲み、その日の夜、自宅の風呂で亡くなったことである。
そんなことがあって以来、私は酒を飲んだ後は風呂に入らないようにしている。
情報源:【勝負師たちの系譜】1月5日に指し初め式 年始に思う西高東低のワケ(1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
あ
ほぉ・・・
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