努力:才能
2021.12/12 10:00
最近どこに行っても聞かれるのが「藤井さんは凄いですね。やはり天才なんですか」と言う質問である。
藤井聡太四冠の詰将棋を解く能力は、解答選手権で小学校6年の時から毎年日本一になっている。しかしプロ棋士は、答えを見つける能力だけでは、さほど評価はしない。それに加えて、序盤の構想力、中盤の間合いの取り方や見切りなど、何十年も指してきたベテランより優れた感性があるから、誰もが勝てなくて当然と思わせる資質がある、と私は見ている。
『令和3年版 将棋年鑑 2021』(日本将棋連盟発行、マイナビ出版販売)の全棋士の紹介欄の中には「将棋を勝つうえで必要な努力と才能の比率は?」という質問がある。答えていない人もいるが、これが棋士によってあまりにも違うのが面白い。若手棋士でも努力が10で才能は0と言う人がいれば、99%は才能と言う人もいる。
総じて頂点まで極めた棋士は、努力に比重を置く人が多い。努力が6~7割と書いた人は、豊島将之九段、谷川浩司九段、佐藤康光九段らである。
羽生善治九段は記載がないが、講演でやはり努力の方が大事と聞いたことがある。もっとも羽生が講演で「やはり才能の差ですよ」と言ったら、皆が白けるだろう。
反対にA級まで登っても名人まで行かなかった、南芳一九段、高橋道雄九段は3対7と才能重視で、私などは2対8(ただしアマは6対4)と書いた。
故原田泰夫九段はよく、「将棋は才能ですよ」と言っていた。いわゆるプロが驚くような手は「努力の延長では出てこない」ということだ。
私が才能を考えさせられたのは、同じ時代を生きて55歳で亡くなった、真部一男九段だった。彼は奨励会の頃から、さほど研究しなくても将棋は感性豊かで強いから、15歳、アマ二段で奨励会に入った私には、届かない存在だった。
そこで彼に勝つために、棋譜並べを少なくして、音楽(クラシック)を聞くとか、絵画や器を見て、感性を磨こうとしたものである。
その彼が晩年に言ったのが「将棋は努力をした者が最後に勝つ」だった。
私は彼とは山の反対側から登って行き、お互い頂上まで行けなかった、と思ったものだった。
年鑑で私が共鳴したのは、今年4月に棋士になった高田明浩四段の「一流を極めるには3対7くらいでしょうか」である。
情報源:【勝負師たちの系譜】「勝つうえで必要な努力と才能の比率は?」 棋士によってあまりにも異なる見解、頂点極めた棋士は努力に比重置く人が多い(1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
「勝つうえで必要な努力と才能の比率は?」 棋士によってあまりにも異なる見解、頂点極めた棋士は努力に比重置く人が多いhttps://t.co/BE4xKVwlZU
— zakzak (@zakdesk) December 12, 2021
問題は、10の努力が10の成果になる人と、1の成果になる人が存在するって事。そこが才能の差なんだろうけど。
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