寂しくなる・・・
2021年3月3日 14時00分
故・村山聖(さとし)九段をはじめ5人のプロ棋士を送り出した名門道場「広島将棋センター」が3月7日、43年の歴史に幕を下ろす。常連客の高齢化に加え、新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけた。
広島将棋センターを巣立った人気棋士たちの先駆けは、映画「聖の青春」の主人公になった村山聖九段(1998年、29歳で死去)だ。
広島県府中町出身で、子どものころにセンターに通い詰めて腕を磨いていた。そんな村山さんを、78年にセンターを開設した初代席主の故・本多冨治さんが関西在住の森信雄七段(69)に紹介。森七段の指導も得て、村山さんはプロ入りを果たした。若手時代から「東の羽生(善治九段)、西の村山」と称されるほど期待され、名人への挑戦権を10人の棋士で争うA級順位戦に参加するトップ棋士になった。
その後、センターからは山崎隆之八段(40)、片上大輔七段(39)、糸谷(いとだに)哲郎八段(32)、竹内雄悟五段(33)が相次いで森七段に弟子入りした。「僕が今あるのは本多先生のおかげ」と語ったこともあるほど、広島将棋センターを大切に思う山崎八段は「(センターがなくなるのは)非常に寂しいですね」と惜しむ。糸谷八段も「子どものころから通わせていただいたセンターですから、非常に残念です」と語った。
ネット将棋の普及やコロナ禍もあり、対面式の道場経営は厳しさを増している。日本将棋連盟直営の新宿将棋センター道場(東京)も3月末で閉まる。
連盟の常務理事を務める井上慶太九段(57)は、ここ数年、関西でも将棋道場を閉める話を数件伝え聞いていたという。「地方の将棋道場は将棋を普及させるうえで大切な拠点。広島将棋センターはたくさんの名棋士を育み、関西将棋界に送り出してくださった特別な場所だった」と感謝し、惜しんだ。(佐藤圭司)
藤井二冠に憧れる子どももショック、代表「町道場の役割は終えた」
2月の日曜。広島市中区の雑居ビルにある将棋センターで、小学生を対象にした全国大会の県予選会が開かれた。ピシッ、ピシッ。対局で向き合った約15組の子どもたちは、黙々と、そして素早く盤上の駒を動かしていく。
「ここに歩を打てばよかった」「いや金でしょ」。対局後の感想戦も熱を帯びる。「自分のだめだったところが分かるので楽しい。オンライン対戦は勝負が決まったら、それで終わりだから」。同市東区の小学4年、池田智仁君(10)は満足げに話す。
幼稚園の時に将棋アニメで興味を持ち、小1から週に2、3日通っている。自宅でも藤井聡太二冠(18)の棋譜を並べて学び、「プロになりたい」という。それだけに、閉じると聞いてショックだった。
1978年の開所以来、県内の中心道場として全国大会の予選会を数多く開き、地域の愛棋家に親しまれてきた。いち早く子ども向けの教室も開き、5人の人気プロ棋士を世に送り出した。全国的な知名度も高い。
最盛期の90年代初めには、土日ともなると50~60人が盤に向かった。平日の席料は一般1千円。正月などを除いてほぼ無休で、正午から午後9時ごろまで、気の合う客同士が何局も指し合う光景が日常的に見られたという。「しばらく顔を見せない常連がいると『どうしたんだろう』と心配し合いました」。代表の田儀(たぎ)聖吾さん(54)は振り返る。
だが、常連客は高齢化し、収入も右肩下がりに。コロナ禍が追い打ちをかけ、広島市内で感染が急拡大した昨年12月からは、週末でも10人ほどしか客がいない日もあった。田儀さんは「壊滅状態です。元に戻ることは見通せない。ネット将棋も普及し、社交場としての町道場の役割は終えたのではないか」と残念がる。(東郷隆)
情報源:怪童も怪物も巣立った将棋道場に幕 コロナが追い打ちに:朝日新聞デジタル
村)村山聖九段、山崎隆之八段、糸谷哲郎八段、片上大輔七段、竹内雄悟五段らが腕を磨いた名門道場。朝日アマ将棋名人戦の中国ブロック大会でもお世話になりました。
怪童も怪物も巣立った将棋道場に幕 コロナが追い打ちに:朝日新聞デジタル https://t.co/U9PvB3QfUD— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) March 3, 2021
残念・・・
|
|
|
|
|
★