ふむ・・・
2020年2月23日 18時00分
昨年秋、46歳にして初タイトル獲得という偉業をなしとげた将棋棋士の木村一基さん。若手の台頭に、打ち寄せるAI化の波――。厳しい勝負の世界で奮闘を続けるその姿は、将棋を知らなかった多くの人々に、勇気を与えています。将棋をめぐる現状について。弟子や後輩たちについて。そして、もし将棋以外に職業を選んでいたら……。ロングインタビューでたっぷりとうかがいました。
新しいものを拒まない
趣味のランニングをしている時の撮影をお願いすると、真新しいピンクの厚底シューズを履いて現れた。
「正月に箱根駅伝で見て、衝動買いしました。弾むような感触です」
週に2回、多い時は4回。自宅近くの荒川沿いなどで、6~7キロを40~50分で走る。体重は、中学3年の頃からほとんど変わらない。
「いつか、フルマラソンに出てみたいですね」
棋士として歩んできた道のりは、平坦(へいたん)ではなかった。将棋界に八つあるタイトル戦で初めて挑戦者になったのは32歳の時。4連敗で敗退した。2009年の王位戦では、3連勝後に4連敗を喫する屈辱を味わった。40代半ばになり、大舞台から遠のいていた。
昨年9月、重い扉を開ける時がついに訪れる。当時、二つのタイトルを手にしていた豊島将之名人・竜王(29)に挑戦した王位戦。3勝3敗で迎えた第7局を制し、王位のタイトルを手にした。46歳3カ月での初タイトル獲得は、有吉道夫九段(84)の37歳6カ月を更新する快挙。7回目のタイトル戦での初獲得も新記録だった。
「よく4回も勝ったなと。なぜ取れたのか、いまだにわかりません」
対局を振り返る際にはユーモアを交えてぼやき、タイトル戦などの解説では漫談のような語り口で笑いを誘う。アマチュアへの普及活動も熱心で、約160人いる現役プロの中でも5本の指に入る人気棋士だ。昨年12月に開かれた王位獲得の祝賀会には、棋士やファンら約500人が詰めかけた。
高校生棋士の藤井聡太七段(17)が台頭し、20代の棋士が相次いでタイトル保持者になるなど、将棋界は世代交代が進みつつある。そんな状況下での活躍とあって、しばしば「中年の星」と称される。「照れくさいです。自分がその対象でいいのかな」
対局中に疲れを感じ、加齢を自覚することもある。それでも、序盤作戦の研究や他の棋士との鍛錬は怠らない。名人3連覇の実績を持つ佐藤天彦九段(32)は、VS(ブイエス=1対1の練習対局)を15年ほど続けている間柄だ。
「これほど情熱を持ち、努力を続ける姿勢はなかなかまねできない。VSの時でもスパーリングではなく、常に『勝負』という迫力を感じる」
3年ほど前、人工知能(AI)を搭載したソフトを研究に採り入れた。行き詰まりを感じた時にヒントをくれる、良き相棒だ。
「そんな手があったのかと、いつも気づかされる。面白いですよ」
4月で、プロ入りから23年になる。意欲と向上心は、今も若手に負けていない。
木村さんにロングインタビュー
――初タイトルに、どんな反響がありましたか。
喜んでくださる方が多かったです。昨年12月の祝賀会にも、存じ上げない方がたくさん来てくれました。
――木村さんの解説を見て、将棋に興味を持った人が増えたということですか。
藤井聡太七段とか羽生善治九段の国民栄誉賞とか、明るい話題がある中で興味を持たれた方が多いのかなと思います。王位戦の前夜祭でも「ユーチューブで見ました」という人が複数いたので、印象に残っています。
――タイトル獲得後、取材も多かったですか。
雑誌やラジオのほか、企業の広報誌の取材も受けました。「元気のある中年」ということでの取材がよくありましたね。
――「中年の星」と呼ばれています。
照れくささもありますし、自分がそういう対象でいいのかな、とも感じます。取材を受けて何カ月か経つうちに、いい状態を維持するのが難しくなっているとも感じます。
――もう少し勝たないといけない、と。
そうですね。王位を取ったのなら、もうちょっと勝たないといけないと感じています。ただ、「うっかり王位を取った」と思えば、こんなものかもしれない。ただ、今のところ意欲もありますし、将棋をやったらやったで面白いと感じることは増えている。一生懸命勉強しようという意味では、いい状態ですね。
――「苦労人」と言われることもあります。
うーん。勝っている人はもっと苦労していると思います。私も頑張っていると思いたいですけど、まだまだ努力は足りないです。
――王位戦は、豊島将之名人・竜王が相手でした。
序盤の研究量では太刀打ちできないと思いました。1局目で相手の得意戦法を避けてボロ負けしたので、それにぶつかっていくしかなかった。うまく開き直れたのが良かったのかな、と思います。ただ、たまたま王位戦に星が偏っただけかもしれない。実力が伴っているのかは疑わしいです。
――豊島さんは17歳年下です。
若いから豊島さんが何かで劣っているということは全くないですし、年長者だから私が何かにたけているということもありません。
――年長である自分の経験を生かそうという考えはありませんでしたか。
将棋は、経験が生きることがあまりないと思っています。「経験が、かえって妨げにならないように」ということを意識して取り組んでいました。うーん、そのことを聞かれたのは初めてですね。
――7回目のタイトル戦でした。
あれだけやって取れなかったので、「まあ無理でしょう」と見る目はあったと思います。「それを変えてやろう」という気負いもなくて。この世界で生きていくために、精いっぱい取り組んだことがたまたま結果に結びつきました。
――人工知能(AI)を研究に活用しているのは、いつからですか。
当時名人だった佐藤天彦九段がAIに負けた頃だと思います。解説をする時に、AIの手を知らないといけないな、と。その時は、解説で生きていこうと思っていたから(笑)。研究をしていてわからない時に、AIは必ずたたき台を出してくれる。これは、同業者は絶対に言ってくれません。ただ、AIの手を理解できないまま採り入れると、かえって毒になることもあります。
――他の人と活用法は違いますか。
若い人に比べれば、使っている度合いが低いのかなと思います。ただ、自分の使い方が今の私には合っている、と言ったらいいんですかね。薬と同じで、人それぞれ違いがあるような気がします。もっと効率良く使っている人はいます。
――AIを搭載したソフトのインストールは自分でやったのですか。
全部、妻に頼みました。私は何もできないので。
――ソフトも次々と強いものが出てきています。
「新しいのをインストールしてくれ」って言っているんですけど、まだですね。ただ、さほど不自由だとは思っていません。
――AIの登場で、新しい手が出てきたと感じることは多いですか。
そうですね。自分がついていけるかどうか、不安になります。
――少しでも将棋に取り組まないと、取り残されてしまうのですか。
1日やらないだけでも、結構きついと思います。そういう意味では、大変きつい職業になっているという実感もあります。対局がインターネットで中継されていますし、ある手で1回成功しても、みんなに対策を練られてすぐに使えなくなる。常に新しい作戦を考えなければいけません。
――勝負の世界の厳しさを感じますか。
半々ですね。「充実しているな」と思う時と「勘弁してくれ」と思う時と。年をとって読む力が減ったせいか、勝てなくなってきたせいか、つらいと感じる時間の方が長くなりました。
――棋士になって良かったですか。
難しいですね。なって良かったと思いたいです。いい部分はかなりあったと思います。ただ、先に対する不安というのが、どんな仕事でもそうなんでしょうけど、ぬぐえませんね。
――年をとると勝ちにくくなる世界ですか。
そう感じます。記憶力とか読む量の衰えとか。自分がバカになっていくのを実感するのが、たまらなく嫌ですね。
――そう実感しても、やるしかない。
そうですね。他にできることもありませんし。結局これが一番やっていて楽しいんでしょう。他のことをやってもうまくはいかないでしょうから。
――将棋の棋士でなかったら、どんな道を目指していたでしょうか。
棋士にならなかったら、弁護士になりたいなと思っていました。
――何歳ぐらいの頃ですか。
小学校高学年ぐらいかな。それか乗り物の運転士になりたいなと。まとまりがないですが。車も電車も乗るのが好きなんで。ただ、将棋とは全然レベルが違う話ですかね。
――弁護士になりたかったのは、なぜでしょうか。
「人を助けることができる」という感じで捉えていましたね。
――大学にも進学しましたが、法学部を選んだのでしょうか。
全然違います。(受験の際の書類に)一番最初に経営学部と書いてあったから、そこにマルをしました。
――棋士養成機関「奨励会」に、10代の弟子が4人います。厳しい世界を目指す子どもたちに、どんなことを伝えていますか。
「やりがいがある」とは伝えています。ただ、「好きなことをやる」からこそのきつさも伝えているつもりです。
――そのきつさとは。
伸び悩んで、将棋を嫌いになる時がいつかやってくる。みんな順調にいくことばかり考えますから。
――弟子をほめないと聞きました。
「厳しい世界だから」ときつく言っています。それでつらいようなら、さっさとやめた方がいい。趣味の世界ではないので、ほとんどほめません。嫌な師匠だと思いますが。
――「ほめて伸ばす」という考え方もありますが。
弟子をとることがお金を稼ぐ「商売」だったらほめますけど。弟子の中には、やめていった人もいます。でも、やめていってもいいんですよ。将棋を通じて得たものがあれば、それでいいと考えています。
――ランニングを習慣にしていますが、走るようになったきっかけは。
小学校低学年の時、太っていたんですよ。小学校4年ぐらいの時に走るのを誘ってくれた同級生がいて、そのうち1人で走るようになりました。その同級生はすぐやめちゃったけど、中学生の時は1人で7、8キロ走っていたかな。だから中学3年の頃と体重は変わりません。
――マラソン大会に出たことは。
10キロマラソンに出たことはあります。いつかフルマラソンに出てみたい、と思っているんですけど。
――10キロマラソンのタイムは。
45分から48分の間だったと思います。最初飛ばしてへばるんですよ。でも、1人で走るのは楽しいですよ。終わった後は爽快感があります。
――走りながら考えるのは将棋のことですか。
将棋のことも考えますし、悩み事があればそれも考えます。走っていて、将棋のいいアイデアが出たこともあります。
――どれぐらい走りますか。
6~7キロを40~50分でしょうかね。週に2回、多い時は4回です。
――ダイエットとかではなく、楽しんでいるんですね。
太るのを防ぐ意味はあります。でも、終わってからビールを飲んでいるから、なんの意味もないですよ。でも走っていた方が、疲れの取れ方が早い気がします。
木村さん略歴
★1973年生まれ。千葉県四街道市出身。小学2年ぐらいの時に師匠の佐瀬勇次名誉九段(故人)に見いだされたのを機に入門。「棋士という仕事を知って、なってみたいなと思った」。小学6年の時、奨励会に入会。
★難関の「三段リーグ戦」で足踏みした後、97年にプロ入り。23歳9カ月という遅咲きだった。
★07年、名人挑戦権を争うA級順位戦に初めて昇級。11年、全棋士が出場する「朝日杯将棋オープン戦」で初優勝。
★19年、9期ぶりにA級に復帰。王位戦七番勝負は開幕2連敗からの逆転劇だった。
★扇子によく揮毫(きごう)する座右の銘は「百折不撓(ひゃくせつふとう)」。何度失敗しても信念を曲げないことを意味する。
★妻との間に2女。対局の際は弁当を持参する。「中学生の長女の分と一緒に作ってくれます」(村瀬信也)
情報源:「バカになっていく実感が嫌」中年の星、木村王位の本音:朝日新聞デジタル
村)木村一基王位のインタビューが載っている今日の朝日新聞朝刊別刷り「be」、まだコンビニなどでお買い求めいただけると思います。「箱根駅伝を見て衝動買いした」というこの厚底シューズ、「自分は速いタイムを出しても意味がないじゃないか」と、家に届いてから気づいたそうです。 pic.twitter.com/PPp0TKuIfy
— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) February 22, 2020
村)木村一基王位の記事、サムネイルの写真を撮った時の動画です。厚底シューズのピンクが映えています。 pic.twitter.com/t3dUflQSjI
— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) February 23, 2020
へぇ・・・