豊島竜王・名人は確かに強いんだけど、まだ防衛が無いからな。
【勝負師たちの系譜】
広瀬章人竜王に豊島将之名人が挑戦していた竜王戦七番勝負は、豊島3連勝の後、広瀬が1勝を返し、舞台は島根県津和野市の「藩校養老館」へと移った。
津和野は萩と並ぶ、中国地方の人気観光地で、江戸時代の史跡が多く残っていることで知られる。
今回の対局場の藩校は、津和野藩が儒学、医学、漢字、兵学などを教えるために作った学校。少年時代を津和野で過ごした文豪、森鴎外もここで学んだというから、将棋の対局場にはピッタリだ。
竜王・名人の対決と言っても、2人の立場は互角ではない。当然のことだが、タイトル戦の挑戦者になるということは、5割の確率でタイトル保持者になれるということで、豊島は勝てば二冠になるのに対し、広瀬は敗れれば無冠となってしまうからだ。
昭和の時代は、挑戦者になるということは、単にタイトル戦登場経験者という意味合いが強かった。
大山康晴15世名人が強過ぎて、挑戦してもとても取れそうもないと思われていたし、続く中原誠16世名人も、やはり絶対王者だったからだ。平成に入ってからも、七冠時代の羽生善治九段には、同じ雰囲気があった。
ところが昨今は、どちらが格上かわからないタイトル戦が多くなってきた。今年のタイトル戦が、棋王戦を除き、すべて挑戦者が勝っているのが、それを物語っている。
この第5局は、両者の得意とする角換わり腰掛銀から豊島が先攻したが、広瀬がうまく攻めをかわして反撃。終盤ではハッキリ広瀬勝ちとの控室の評判だった。
当然読み切って詰ましに行っていると思えた広瀬に、何か勘違いがあったか、歩が1枚足りないために詰まないという事態になり、逆転した。
豊島の秒読みに追われながらも、正確に逃げる読みにも感服させられた。
これで豊島は、羽生九段、谷川浩司九段、森内俊之九段に続く、4人目の竜王・名人の2大タイトル独占棋士となった。タイトル戦の挑戦者以外は、誰と指しても豊島が上座に座ることになる。
この結果将棋界は、タイトル分散の乱世から、渡辺明三冠、永瀬拓矢二冠と共に三国時代に入った、と言ってよいだろう。
■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。
情報源:どちらが格上かわからないタイトル戦が多くなり…「乱世」から「三国時代」へ突入した将棋界(夕刊フジ) – Yahoo!ニュース(コメント)
情報源:【勝負師たちの系譜】どちらが格上かわからないタイトル戦が多くなり…「乱世」から「三国時代」へ突入した将棋界 (1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
タイトルホルダーは前期強かった人、
挑戦者今期強かった人、防衛or奪取成功でやっぱり強い人
升田幸三元名人曰く「タイトルを取っただけでは半人前。防衛してようやく一人前。」なんて言葉もあるし。
あと、昔は順位戦の階級=段位だったから、今よりも昇段が難しかったはずだし。
- 「四段」「八段」「タイトル防衛」将棋界における「一人前」という言葉の使われ方(松本博文) – 個人 – Yahoo!ニュース
- 羽生善治二冠が王位を奪還してタイトル獲得数が歴代最多の80期に: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き