(大志 藤井聡太のいる時代)激闘編:1 いざ師弟対局、秘策を攻略し「恩返し」:朝日新聞デジタル

ほぉ・・・


2019年6月16日05時00分

初の師弟戦を振り返る藤井六段(右)と杉本七段(段位はいずれも当時)=2018年3月8日、井手さゆり撮影
初の師弟戦を振り返る藤井六段(右)と杉本七段(段位はいずれも当時)=2018年3月8日、井手さゆり撮影

2018年3月8日の朝。大阪市福島区の関西将棋会館には、50人もの報道関係者が集まっていた。この日、当時六段で15歳の藤井聡太(そうた)と、七段で49歳の師匠・杉本昌隆が公式戦で初めて将棋盤を挟んで向き合う師弟対局が実現した。

振り駒で先手となった杉本が得意の中飛車(なかびしゃ)戦法を選んだ。午後1時18分、同一局面が4回繰り返される千日手(せんにちて)(引き分け)が成立。その30分後、指し直し局が始まり、後手になった杉本の作戦は四間飛車(しけんびしゃ)戦法。「奨励会(しょうれいかい)(プロ棋士養成機関)の対局で登場しなさそうだから藤井との練習将棋では指さなかった」という戦法をぶつけた。「自分のペースで指せるはず」という杉本の思惑は的中。前日に杉本が西田拓也四段(27)と一緒に研究した通りの進行となった。

だが、結果は、杉本が研究していなかった手を藤井に指され、111手で敗れた。「勝負は残念ですけども、今日は素晴らしい一日だった。藤井六段にお礼を言いたいなと思います」。終局後の杉本の言葉だ。

杉本の師匠にあたる故板谷進(いたやすすむ)九段(1940~88)は、杉本が19歳で奨励会に在籍していた時に47歳で亡くなった。杉本はこう語った。「師匠と公式戦で対局するという子どものころからの夢はかないませんでした。形を変えて師匠という立場ですが、藤井六段と公式戦で対戦出来たのをうれしく思います」

将棋界では、弟子が師匠に公式戦で勝つことを「恩返し」と表現する。「恩返し」を果たした藤井だが、杉本の闘志は衰えない。今年6月9日、名古屋市であった「杉本昌隆八段の昇段昇級を祝う会」の直前、杉本と藤井は並んで記者会見した。「また藤井七段と対局する時は必ずある。自分ももっと成長して良い将棋を藤井七段にぶつけたい」。杉本がこう語ると、藤井も「どこかで対戦できる機会があれば」と応じた。師匠の熱い思いに、静かに寄り添う言葉だった。=敬称略

(佐藤圭司)

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情報源:(大志 藤井聡太のいる時代)激闘編:1 いざ師弟対局、秘策を攻略し「恩返し」:朝日新聞デジタル


へぇ・・・