羽生善治は思う「人がAIに寄りすぎるのはどうなのか」:朝日新聞デジタル

ふむ・・・


2019年5月20日16時44分

将棋と人工知能(AI)について語る羽生善治九段=2019年3月19日、東京都渋谷区の日本将棋連盟、仙波理撮影
将棋と人工知能(AI)について語る羽生善治九段=2019年3月19日、東京都渋谷区の日本将棋連盟、仙波理撮影

人工知能(AI)が人間を追い越したと言われる将棋界で、棋士たちは何を感じているのだろうか。数々のタイトルを手にし、今なおトップ棋士であり続ける羽生善治九段(48)に聞いた。

――AIを搭載した将棋ソフトと向き合うことはありますか。

時間は決めていないですが調べる時間は作るようにしています。自分がちょっと疑問に思ったときとか、違う発想が必要かなと思ったときに調べるという感じです。(使い始めたのはここ)2年くらいですかね。ソフトが公開されていると知ってからです。

――実際に使ってみて将棋の幅は広がりましたか。

考え方の幅は広がった感じがします。今まではこういう手は考えなかったけど、考えてみようとはなったので。でも考える総量は人間の場合、決まっているため、幅が広がることが本当にいいのかという問題があるんですよ。狭く深く考えた方がいいときもあります。プラスになるかどうかはまた別の問題です。

――AIの登場で将棋界は変わりましたか。

つい最近までコンピューター将棋と人間の世界はルールが同じでも交わることがなく、お互いに影響も与えていませんでした。ただ今は、非常に強くなってきたし、プロもアマチュアも最新バージョンのソフトを無料で手に入れることができるため、将棋の中身や内容が再構築されているという感じなんですね。将棋は400年の歴史があります。そこで積み上げられてきた体系的なセオリー(定跡)が一つずつ見直されたり、修正されたり、そのような段階に入ってきました。

何やっているのか、全然分からない

――AIがあまりに強くなりすぎると、人間にとってそれほど意味がなくなるということは。

そういう可能性も十分にあると思います。もう何をやっているのか全然分からない。ソフトは1年で古いバージョンに8割勝つと言われていて、それは驚異的なスピードです。人間が1年前の自分に8割勝つのは相当大変なことです。一方でこうも思うんです。それだけ進歩する余地があるのは、将棋の奥深さを証明してくれているという側面もある、と。

――3月に放送されたNHK杯テレビ将棋トーナメントでは7年ぶりに優勝しました。

AIでいろいろ調べることはできますが、結局は未知な場面でいい手が指せるかどうかが問われている点では、今も昔も違いはありません。どんなに便利になってもどんなにソフトが強くなっても、そこは同じかなと思っています。

――人間が指す将棋の面白さがあるということですか。

そうですね。二つの要素があって、時系列で物事を考えるかどうかと、もう一つは恐怖心があるかどうかです。恐怖心があるがゆえにこの手が指せるとか、この手を選ぶっていうことがよくあるんですね。そこに見ている人たちが共感できるかどうか、魅力を感じられるかということがあると思います。

――AIには結果がなぜそうなったのかが分からない「ブラックボックス」などの課題もあります。

AIの方がミスする回数は少ないと思うんですが、ミスしたときの度合いはAIの方が大きいと思うんですよ。人間はミスするんだけど、極端にとんちんかんなミスはしないと思っています。AIはプロセスで何をやっているのかが基本的には分かりません。ディープラーニング(深層学習)もそうですが、プロセスが大きすぎて解明は難しいです。

逆に言うと人間が持っている知性って、その部分をなんとか自分なりに再評価し、再定義し、揺らぎを見極めることなんじゃないかと思います。例えば、AIはこう言っているんだけど大丈夫かとか、もうちょっと人間なりに考え直した方がいいんじゃないかという視点を入れることによって、精度が上がると思います。

便利さを我慢するのも大事

――AIの進歩によって、羽生さんと若手の実力差を縮めるスピードは速くなっていると感じますか。

例えばネットが出てきたときも同じですが、ネット上で将棋が指せるようになって、いかにうまく活用するかっていうことだと思っています。別に年齢とか経験とかは関係なくて、新しいものをどう使うかという点が、棋士に問われているということです。

――ベテランでもその研究を怠ると勝てなると。

瞬間的に勝てなくなることはないのですが、結構じわじわと効いてきます。1回の勝負では関係ありません。だけど100局や200局くらいやってくると、結構効いてきます。そのときの(はやりの)戦術みたいなものが変わってくるので、新しいものも採り入れつつ自分なりの個性も出していくということだと思います。

でも私は、あんまり人間がAIに寄りすぎていくってどうなのかなと思います。AIが人間に寄り添ってくれないと本当は困るので。将棋の場合は技術的なことなのでその方が楽というか、やりやすい面があるので、そういう傾向があるのかなと。あまりそれを個人的には良しとはしていません。

自分なりにうんうんうなって考えて模索するプロセスって大事だと思うんですけど、便利なものがあるとついそっちを使ってしまうのも習性なので、そこを我慢して自分なりに考えることを大切にしないといけないと思いますね。

――AIを肯定的にとらえるのか否定的にみるのか、羽生さんは今どちらですか。

技術の進歩は避けられないものなので、それを否定するよりは受け入れてどうするかを考えていく方がいいと思っているんですね。個人的には自動運転が一番の象徴的なものになるんじゃないかなと思っていて、自動運転をうまく円滑に移行できたら、他のジャンルでも受け入れやすくなる。すべての人がこんなに便利になったとか、よくなったとか、こう変わったと実感できるじゃないですか。一番象徴的なものになると思っています。

AIとだけ対局して強くなれるかは「実験」

――将棋の世界では、シンギュラリティーが来たという人もいます。

ソフト自体が強くなったとしても、人間がそれを生かして能力を伸ばしていくというのはまだほとんどやっていないんですよ。これからやらなきゃいけないことだと思っています。それは発想の幅を広げることかもしれないし、もしかしたら思考をショートカットすることかもしれない。例えば、小さい子どもが強くなるためのメソッドを開発するとか、そういうところはまだ何もやっていないですね。

――AIを使いこなしている10代の藤井聡太さんや、台頭する20代の棋士を脅威に感じることはないですか。

今いる棋士の人たちは将棋を覚えてか途中から使っているだけなので、真の意味での新しい世代が現れるのは5年先、10年先だと思っています。使い方をどうするかっていうのはまだ試行錯誤です。人間とは対局しないでAIとだけ対局して強くなっていくのかは、もう歴史的な実験だと思います。

ソフトはプロセスを教えてくれません。答えらしきものだけを見続けていって、本当の意味で実力をつけて強くなれるのかという問いなのです。すごく勘のいい子ならできるかもしれないけど、一般的にするのは厳しいところもあるかなと思います。

――数年後に現れるAI世代の棋士たちと指してみたいですか。

指してみたいというか、もう指すことになるんです。夢ではなくて現実に必ずそうなると思っているので。でもどうなんですかね。結局、最終的には発想とかアイデアが大切とか、オリジナリティーを出すとか、個性が大事とかってことは同じなのかなと思っています。

――では負けない自信があるんですね。

いや、それはやってみないと分からないってところはありますね。やっぱり世代が違うと感覚が違うので、ちょっとそこはやってみて楽しみにしてと思っています。(聞き手=大津智義、編集委員・堀篭俊材)

情報源:羽生善治は思う「人がAIに寄りすぎるのはどうなのか」:朝日新聞デジタル



へぇ・・・