コーチとかしてほしかったな。
低迷期に入団し、走攻守三拍子揃ったショートとして活躍した梵英心氏。毎年苦戦を強いられながらも、マツダスタジアム元年を経験するなど選手を取り巻く環境と、新時代を迎えるチームの変化を感じていた。
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15年連続Bクラスが続いている06年に、僕はカープに入団しました。当時の本拠地はまだ旧広島市民球場でしたが、プロ4年目を迎える09年にマツダスタジアムが完成しました。新球場ができるまでは、選手の間でも『どんな球場ができるんだろう』と話をしていましたし、旧広島市民球場の老朽化も目立っていたので、きれいな球場になることが楽しみでもありました。
実際に初めてマツダスタジアムに足を踏み入れたときには、すごくテンションが上がりました。『この球場で早く試合をしたい、たくさんの声援の中で早く野球をしたい』そういう気持ちが湧き上がってきて、モチベーションが上がりましたし、まるで野球少年に戻ったような感覚になったことをよく覚えています。当然、施設面もそれまでとは大きく変わりましたし、選手としては取り巻く環境が良い方向へ変わったことを実感していました。
当時僕はショートを守っていたので、当初は『新球場のグラウンドで守りはどんな風に変わるんだろう』と、早く球場の特徴を把握しなければならないということを意識していました。実際に公式戦を迎えてみると、最近の日本にはない球場設計だったので、すごく新鮮でしたし、ファンのみなさんも観戦しやすい環境になった印象がありました。
ファンのみなさんの客層で言うと、旧広島市民球場時代は男性客が多いイメージでしたが、新球場になってからは明らかに家族連れやカップル、女性同士の方々が増えていました。マツダスタジアムが完成して2年目の2010年には野村謙二郎さんが監督に就任されて、徐々にフレッシュなメンバーが増え始め、首脳陣の方々から改革を進めている空気感を感じました。
そういう状況で一緒にプレーしてきたメンバーが徐々に出番が減ってきて、引退していくという姿を見て、寂しさを感じる反面、『新しい風をもたらす選手が出てくるんだろうな』と思いましたし、明らかにチームは変わろうとしている流れを感じながらプレーをしていました。
個人的にはそこまで周囲を気にしてプレーできる立場でもありませんでしたし、その状況下においても自分はしっかり結果を残さなければいけないと思っていました。『とにかく活躍したい、勝ちたい』その気持ちだけでした。
(広島アスリートマガジン2019年5月号から一部抜粋・続きは本誌にて掲載)
▼ 梵 英心(そよぎえいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。06年に広島入団。1年目からショートのポジションを奪うと新人王を受賞。10年には打率.306を記録し、盗塁王、ゴールデングラブ賞に輝く。13年には主軸として初のCS進出に大きく貢献した。14年から2年間は選手会長としてチームを牽引。17年限りで広島を退団。現在は社会人野球・エイジェックで選手兼任コーチとして活躍中。* * * * * *
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情報源:元広島 梵英心が語る平成カープ「新球場をきっかけにチームもファンも少しずつ変わった」(広島アスリートマガジン) – Yahoo!ニュース(コメント)
ふむ・・・