寂しいなえぇ・・・
竜王戦の最終局に臨んでいる羽生善治竜王が少年時代に通っていた将棋クラブが今月24日、41年の歴史に幕を下ろします。経営者の男性は、教え子だった羽生竜王の大一番の対局を特別な思いで見守っています。
東京 八王子市にある「八王子将棋クラブ」は、今から41年前の昭和52年に八木下征男さんが会社勤めをやめて開きました。
八木下さんによりますと、開業の翌年、小学2年生だった羽生さんがクラブに入り、まもなくして八木下さんをはじめ大人たちを次々と破っていきました。
羽生さんはいつも広島カープの野球帽をかぶっていたことから、赤い帽子がトレードマ―クのつわものとして恐れられていたということで、八木下さんが写した写真にはこのころの羽生さんの姿が収められています。
クラブには羽生さんに憧れた多くの子どもたちが入門し、今も休日には多い時には70人ほどが通っているということですが、75歳になった八木下さんは体調がすぐれないことなどから、今月24日で閉所することを決めました。
八木下さんは20日、インターネットの映像を見ながら羽生さんの大一番の対局を見守りました。
そして羽生さんに対して「勝負強い人だけど負ければ無冠になるので、ひやひやしています。できれば勝って100冠目をとってもらいたい」とエールを送っていました。
「クラブに来るたびに上達」
八木下さんが発行していた会報誌には、小学2年生だった羽生さんが八木下さんと対局したときの棋譜が掲載されています。
羽生さんが「飛車」と「角」の大駒2枚を落として対局したにもかかかわらず、このときの状況は「はじめからおわりまで羽生君の指し手はすべてノータイム」と記され、羽生さんの圧勝だったことがうかがえます。
羽生さんは各地で開かれていた将棋大会で優勝を重ね、こうした対局を通して、のちにライバルとしてタイトル戦などでしのぎを削ることになる森内俊之九段とも知り合い、同世代の友人として対局を重ねていたということです。
羽生さんの才能を見抜いた八木下さんは、棋士を養成する奨励会に入るよう強く勧めたということで、羽生さんは小学生の間、このクラブに通ったあと史上3人目の中学生棋士としてプロ入りしました。
八木下さんは当時の強さについて「センスがよく、素早く、筋のよい手を指す。クラブには週1回ほどのペースで通っていましたが、来るたびに上達しているのを感じました。きっと家でも将棋の勉強をしていたんでしょう」と話していました。
クラブの閉所を惜しむ声も
八王子将棋クラブは、羽生さんのほかにも、前の王座の中村太地七段や阿久津主税八段、増田康宏六段などのプロ棋士を輩出しています。
クラブが閉所されることについて、幼稚園のころから通っているという8歳の男の子は「将棋を指していると、とても楽しいので、クラブがなくなるのはとてもさみしいです」と話していました。
2年前から親子で通っている40代の男性は「八木下さんは子どもたちが楽しく通えるような工夫をされていて、ありがたいと感じていました。閉所は残念です」と話していました。
こうした声について八木下さんは「終わりの日がだんだん近づいてくるとさみしいです。羽生さんをはじめ、多くの将棋ファンの皆さんに支えられて、ここまでやってきました。思い出がたくさんあって気持ちをひと言では言えません」と話しています。
羽生さんにはことしの春に閉所を伝えたということで、「『八木下さんが決めたことだから』と受け入れてくれました。羽生さんがいなかったら、ここまで長く続けられなかったと思うので、本当に感謝しています」と今の思いを語っていました。
情報源:羽生さん育てた将棋クラブ閉所へ 教え子の大一番見守りつつ | NHKニュース
跡を継ぐ人はいないかったのかね・・・?