【新井の伝言】<7>V争い 緊急昇格、故障抱え快音 | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ

ふむ・・・


腰椎骨折のリハビリ途上で緊急昇格し、代打で適時打を放った新井(2008年9月27日)
腰椎骨折のリハビリ途上で緊急昇格し、代打で適時打を放った新井(2008年9月27日)

「甲子園が揺れた。背中に電気が走った。これが優勝争いなんだ」。2008年9月27日の巨人戦、1ゲーム差で首位の阪神が4点を追う六回、1死満塁とした。代打で登場したのは、出場選手登録されたばかりの新井貴浩だった。

広島からフリーエージェント(FA)宣言して阪神へ移籍したこの年、新井は開幕から打ちまくった。7月には自己最速で100安打に到達し、マジックナンバー点灯に大きく貢献した。

8月には「日の丸」を背負う大仕事も待っていた。日本代表の4番打者として、北京五輪に出場。この時、体は悲鳴を上げていた。「腰に変な痛みがあった」。メダルを逃して帰国後、精密検査を受けた。診断結果は「腰椎の亀裂骨折」だった。

「ひびが縦に入っており、医者からは完全に治らなければ二度と野球ができないと言われた」。チームが首位を走るペナントレースへ戻ることができなかった。

2軍の本拠地、鳴尾浜で療養の日々。新井を欠く阪神は失速し、2位巨人の猛追を受けた。V争いは佳境を迎え、甲子園での直接対決。昼すぎ、リハビリに励む新井の携帯電話が鳴った。監督の岡田彰布からだった。

「まだダッシュも打撃練習も再開していない段階。様子を尋ねられるのかと思ったら、『きょういけるか』と聞かれた。いけるはずはないけれど、いけますと答えていた」

プレーボール1時間前の午後5時に甲子園入り。阪神ナインも目を丸くした。六回、代打に備えてグラウンドに立った瞬間、拍手と歓声が渦巻き、甲子園が揺れた。「打席の桧山(進次郎)さんが、何事かと驚いて振り返ったほど」

150キロの速球を右前へはじき返した。試合に敗れ、巨人に逆転優勝を許したが、しびれる緊張感は存分に味わった。カープに復帰後、リーグ3連覇。幾度となく勝負強い一打を放ったベテランは「あの甲子園の経験が間違いなく生きている」。=敬称略(山本修)

情報源:【新井の伝言】<7>V争い 緊急昇格、故障抱え快音 | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ


ほぉ・・・